1989年の東欧革命から30年以上経ち…(イメージと文化)
1989年の東欧革命から30年以上経ち…(イメージと文化)
1989年の東欧革命から30年以上経ち
1989年の東欧革命から30年以上経ち-「自由か、それとも、パンか」で歴史はシフトすると言われる。
東欧の自由化への動き
1989年、東欧の自由化への動きは、まずはポーランドからだった。
そして、5月にハンガリーがオーストリアとの国境の鉄条網の撤去し、その8月には国境から東ドイツ市民が、オーストリア経由で西ドイツへ脱出した。
それから、決定的な瞬間は、11月9日夜、ベルリンの壁が崩壊した、ということだろう。
西欧文明へ回帰
東欧市民は自由もなく、商品もない、ソビエト連邦型社会主義に別れを告げ、自由のあるより良い生活のある、西欧文明へ回帰した。
その2年後にはソ連自身もそれに加わった。・・・はずだった。
民主主義国家と言われる、欧米と日本は選挙権にて、政治家や政府との主従関係を逆転させた。
政治家にとって、今や国民の指示を仰ぐことが重要課題な訳だ。
過去には、自由経済に傾くと、社会は非人間的となり格差が増大する事になり、分配に傾くと、人民の名においてエリートの権利を抑え付けると言われた。
この視点、いわゆる、専制政治は腐敗と混迷を助長して、社会、そして、経済を停滞させる、それが、現在のスタンダードな視点だ。
エリートには自由を、民衆にはパンを・・・
エリートには自由を、民衆にはパンを・・・
これを議会制民主主義の下で実行することが、この100年の文明と言われるモデルだった。
それは、「民主主義は、いつの時代も、修正が効く」からだ。
そして、あのレーニン像は打ち倒され、どこへ消えた・・
(註)倒されたレーニン像(91年、リトアニア)-タイトルフォトグラフ
映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」の問いかけ
次回は、スイスの写真かニールス・アッカーマンの追う、レーニン像は打ち倒された...(イメージと文化)に続きます。
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