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ざわめきが聴こえる夢 -ロベール・ドアノーの写真の魅力


 
 
写真というのは、絵画と同じ二次元表現でありつつ、必ず「かつてあった現実」を切り取っていることに大きな特色があります。
 
そして、私が好きな写真は、現実を切り取ると同時に、その奥にある見えない何かを掴んでいる写真です。
 
フランスの写真家ロベール・ドアノーの写真は、私にとってそんな芸術の一つ。パリのかつてあった雑踏の中から、詩情と、ざわめきの音楽が立ち上ってきます。




ロベール・ドアノーは、1912年フランス生まれ。もともとは石版画を学び、広告会社に就職しますが、写真広告が増えてきたため、広告写真を手掛けるように。前衛写真家、アンドレ・ヴィニョーに弟子入りしています。

 

ロベール・ドアノーのセルフポートレート
©Atelier Robert Doisneau/Contact


フリーの写真家として活動し、第二次大戦後は『ヴォーグ』誌の専属カメラマンを務めます。
 
昼はスタジオでファッション写真を撮り、夜はサンジェルマン・デ・プレ等のナイトクラブやカフェを廻り、夜のパリを撮影。写真集『パリ郊外』や『私のパリ』を刊行しています。1994年、81歳で亡くなっています。




ドアノーの写真で私が好きなのは、即興的に捉えた空気感と、ロマンチックな演出の詩情が融合しているところです。
 
特にパリを捉えた写真からは、人々の熱気とざわめきが聴こえてくるかのよう。どこか温かいその場の空気感の中から、人々のヴィヴィッドな表情が刻まれます。
 

『カーブのビバップ』
©Atelier Robert Doisneau/Contact


2021年に開かれた展覧会『写真家ドアノー/音楽/パリ』展は、そんな彼の音楽的な詩情に焦点を当てた好企画でした。
 
音楽家のポートレートや、ナイトクラブでの人々の表情は、まさに豊かな音楽になっています。その中身はそのまま『ドアノーとパリ、音楽』という、小さいけど厚い、充実した冊子にもなっています。






ただ、その詩情は、結構入念に演出されたものであるのは間違いありません。
 
例えば、彼の代表作『パリ市庁舎前のキス』は、「パリの恋人たち」というコンセプトで撮影するため、モデルを使ってロケ撮影したものだとのこと。キスをする二人は、演劇学校の生徒だったそうです。


 

『パリ市庁舎前のキス』
©Atelier Robert Doisneau/Contact


よくよく見てみればその通りで、中心の二人にぴったりピントが合い、背景の市庁舎は浮き上がるようにぼけていて、綺麗に対比されている。
 
他の通行人がどこまで演出かは分かりませんが、少なくとも主役二人のポージングと、場所のロケ、画角は事前に打ち合わせたものでしょう。全体がきっちりと絵画的な構図に収まっていることからも分かります。
 
しかし、私はそれでよいと思っています。この演出された写真は、どんな「決定的な瞬間」よりも、当時のパリの空気感と、普遍的な若さのようなものを、雄弁に捉えているように思えます。ある意味、古典的な絵画作品のエッセンスをも備えているのです。



『ムフタ―ル通りのアコーデオン弾き』
©Atelier Robert Doisneau/Contact





そのドアノーの演出は、ロマンチックで、ちょっといなたい感じなのが、面白い。
 
例えば『サン・サーンスに捧ぐ』は、白鳥(アヒル?)がいる公園の池で、湖面に浮かぶように男がチェロを弾いている写真です。

 

『サン・サーンスに捧ぐ』
 ©Atelier Robert Doisneau/Contact
友人でチェリストの
モーリス・バケを被写体にした
『チェロと暗室のバラード』より


勿論、台座を湖面の下に仕込んで撮られたものであり、題名は作曲家サン・サーンスの『動物の謝肉祭』所収の、有名なチェロ独奏曲『白鳥』を指しています。
 
ちょっと通俗的で、キッチュな作品ではあります。でも、物語性がぱっと分かり、しかもさらっとして重くなく、ユーモアを感じさせる作品を撮れるのが、彼の良き特性のように思えます。






例えば、同時代のニューヨークを捉えていたソール・ライターも、ファッション誌『ハーパーズ・バザー』の専属カメラマンでしたが、彼の方が遥かに審美的で、スタイリッシュな写真です。


 

ソール・ライター
『カルメン、ハーパーズ・バザー1959』
©Saul Leiter Foundation


ライターの場合、モデルの個性を捉えるのではなく、光の反射の中に溶け込ませ、匿名的な美を感じさせます。

二人の写真家及び、『ヴォーグ』と『ハーパーズ・バザー』の二つの雑誌の性質の違いのようなものが見えて、興味深いところです。




おそらくは、ドアノーがパリの夜等を捉えた写真にも『パリ市庁舎前のキス』のように、大なり小なり演出があると思えます。
 
それは何も、モデルを仕込むというわけではありません。

照明や光の加減を入念に観察して、くっきりと人物の表情と背景の空気感を捉えるよう、試行錯誤しているということです。
 
「何かいい瞬間」を探すのではなく、撮りたいイメージと現実の葛藤の中から、素早くその新鮮な瞬間をとどめられるように。


『パリ祭のラストワルツ』
©Atelier Robert Doisneau/Contact




それは現実に対する夢のようなものです。
 
夢は、現実や、現実に起こらなかった思考、妄想が、人の頭の中で取捨選択・演出されて、瞬間的なイメージを組み立て、通り過ぎていくものです。
 
ドアノーの写真は、都市の人々の現実や様々な思念を、過ぎ去るイメージに変えて創られた、都市の美しい夢の断片なのでしょう。


『サン=ジェルマン=デ=プレの
ジュリエット・グレコ』
©Atelier Robert Doisneau/Contact





ドアノーは、最晩年まで、変わり続けるパリを撮り続けていました。先の冊子には、彼のこんな言葉も載っています。


今日も多くのものが破壊されている。私は廃墟を嘆くことはしない。心を動かす美とは儚いものであるべきだ。


そして、こんな言葉も。
 


私にこれだけ多くの写真を撮らせたのは、生き延びるための反射的本能だったのだろうか? おそらく、消え去るイメージを所有したいという欲望だったのだろう。

あるいは、もっと単純に、この世界に生きている自分の喜びを刻み、明快な形にするための方法だったのかもしれない。


夢のように消え去るイメージをほんの少しの間、とどめること。それは、生きていることの喜びであるということ。
 
私たちの生には、現実だけでなく、夢もまた含まれている。

その夢の中から聴こえる、喜びのざわめきと音楽を、明晰に捉えた写真。それが、ドアノーの作品と言えるのかもしれません。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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