魔法を囁いて鐘を鳴らす -マーク・ボランの音楽の魅惑
【金曜日は音楽の日】
私にとって今も昔も、どこか見知らぬ場所に連れて行ってくれる作品というのが、とても大切なのは確かです。それは、芸術に限らず、ポップな音楽でも同様。それはある種の魔法です。
T.REXことマーク・ボランが残したグラム・ロックの音楽は、今もなおストレンジでビザールで、つまりは私が大好きな魔法に満ちた音楽の一つです。
マーク・ボランは1947年ロンドン生まれ。元々モデル等もしつつ、ジョンズ・チルドレン等のバンド活動を経て、スティーブ・ペレグリン・トゥックと共に「ティラノサウルス・レックス」を、結成して、1968年にデビューしています。
初期のティラノサウルス・レックスは、今もって奇妙な音楽です。
一応アコースティックデュオの、ダウナーなフォークと言えなくもないですが、トゥックの乱打するコンガに合わせて、乱れ弾きのアコギで、ボランが呪詛のように長文の魔法や魔物を歌った幻想的な光景を唸る様は、異様にシュールで、昂揚感が殆どありません。
当時最盛期を迎えていたヒッピーイズムやフォーク音楽の中でも、かなりの異端。後のアシッド・フォークに比べても、サイケ度が低く、ポエトリー・リーディング的な感触もあります。
そんな音楽性が徐々に変わってきます。4枚目のアルバム『ベアード・オブ・スターズ』にはカラフルなエレキギターが少し入り、メロディアスな質感も出てきます。
そして1970年には、トゥックとのパートナーシップを解消し、ミッキー・フィンを迎え、「T-REX」と改名。
フィンはコンガ担当ですが、実のところ、音楽的には「何もしない」人。ただ明るい性格だったらしく、パーマネントなバックバンドを雇うことになったボランは、気分を一新して、ポップな道へ。
そして、シングル『ライド・ア・ホワイト・スワン』が全英第二位の大ヒット。新しい時代を迎えます。
鐘のように澄んで鳴り響く、ボランのエレキギターの美しいリフに、コーラスが重なり、分かりやすいメロディで、魔法について、以前よりシンプルに歌われるこの曲。まさに、ポップソングの魔法が詰まっています。
そしてシングル『ゲット・イット・オン』とアルバム『電気の覇者』が全英一位になり、ボランの音楽は花開きます。
ブギのリズムを伴うポップなメロディに、パワフルな歌詞、鐘のような美しいボランのリフはそのままに。
そのリフはタイトなリズム隊と混じり、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティがアレンジした、低音が良く響くストリングスの装飾を纏います。そして、高音が特徴のエディ&フローによる狂騒的なコーラスが煌びやかなポップソングに。「グラム・ロック」の誕生です。
『電気の覇者』は、曲の質が非常に高く、『ゲット・イット・オン』、『コズミック・ダンサー』、『マンボ・サン』といった代表曲があり、しなやかな音像、ヴェルヴェットのように柔らかいボランのヴォーカルと相まって、極上のロックとなっています。
グラム・ロック前の、アコースティック時代のブルース色や、呪文のような部分も残っており、変化する時の艶とハリもある。私にとって生涯のベスト10アルバムの中に入る作品です。
ここから、アルバム『ザ・スライダー』やシングル『20センチュリー・ボーイ』等、快楽ブギとハードロック路線に進み、ポップスターの道を突き進むかのように思えました。
しかし、グラム・ロックの狂騒が落ち着くと、セールスに陰りが見えると共に、ボランの音楽にも迷いのようなものが出てきます。
ソウル路線を取り入れたり、なぜか「仮面ライダー」にはまって、コンセプトアルバムを作ってみたり。ボーカルはヘロヘロになると同時に、あの艶っぽいボランのエレキギターから、鐘のような澄んだ響きが消えて、ハードでぱさついたものとなり、どこかぎくしゃくした音楽になります。
何より、心に残るような口ずさめるポップソングが少なくなったのが、厳しい。彼自身が時代とずれてしまったように思えます。
それは、ボランの音楽性が、実はかなり狭いものだったことにも、原因があるように思えます。
基本的にはフォークと、初期のロックンロールにR&Bを少々。変化の幅が狭く「グラム・ロック」の次を示せなかった。
グラム・ロックの盟友だったデヴィッド・ボウイと比べると、その苦境は見えてきます。
初期の『スペース・オディティ』から、摩訶不思議なコード進行があり、単なるハード・ロックだけでなく、ジャズやクラシック、後にはテクノにも順応できる。そんな多様な音楽のバックグラウンドを持っていたゆえに、グラム時代が終わっても、柔軟に次の音楽に移っていけた。
まあ、ボウイほど音楽面の幅が広い人は稀なわけですが、その意味でも、ボランの根っこは詩人だったのだと思います。
彼が敬愛するボブ・ディラン(「ボラン」という芸名はその姓名を短縮したものです)のように、言葉を一番効果的に響かせるために、音楽を必要とする人。
ハードな現実とシュールなパワーが両立して豊穣に広がるディランの詩と違い、孤独な男の子の呟きと、『指輪物語』的な魔法のファンタジーが同居しているボランの言葉は、グラム・ロックの極彩色の音楽でしか生きられなかったのかもしれません。
ただ、後期でも、76年のアルバム『フューチャリスティック・ドラゴン』は、ポップで親しみやすい歌が揃った、お薦めの佳作。美しくハードなリフには、かつての美しい鐘のような響きも戻りました。
折しも、パンク・ロックが出始め、若い世代が幼少期に熱狂したボランの音楽は、パンクやゴスといった新潮流に支持されていました。かつての勢いを取り戻しそうに思えたのですが。。。
1977年、恋人が運転する車が道端の樹に激突して、同乗していたボランは29歳で死去。
僕は30歳まで生きられないだろう、と言ったその言葉通りの死でした。
ボランの音楽は、ダウナーな囁きから、狂騒的な叫びまで、独自の琥珀色の色彩と、ぞくぞくするような色気と、安らぎが同居しているように感じます。
それは、彼が異界を描く言葉を信じ、そこにふさわしい艶めいた音楽を常に模索していたから。つまりは、魔法を信じていたからだと思っています。
音楽には形がなく、言葉をのせてふわふわと漂うからこそ、私たちの中に入り込んで、幻想を描き、世界を変えてくれる。
ボランの音楽は、90年代から00年代にかけて未発表音源やライブ盤が大量に出ていたこともあり、配信でもかなりの量が聴けます。
その魔法の一端に触れて、世界を彩るように試みるのも、音楽の楽しみの一つのように思えるのです。
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