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息子の絵・その2。

真顔の表情。

リスのような瞳。

何回も描いては消し。描いては消し。

ただ似せるだけなら、別の画家に頼んだほうが良い。
家族の絵というのは難しいです。

こんな逸話があります。
僕の曾曾祖父は、神の国・宮崎で神主兼、祈祷師をしてまして⛩。
全国から、病気平癒や憑き物落としの参拝者が訪れていたそうです。
そんな曾祖父も、家族に何かあったときには「病院に行け!」と言っていたそうです。

まぁ、ごもっともな話だともいえますが、それだけ家族に対しては、煩悩みたいなものが邪魔をする、という、日本昔ばなしの格言のような逸話です。

現代のお医者さんでも、家族は手術できないといいますよね。

僕は30,000枚以上の肖像画を書いてきましたが、それでも家族は、似せてかくことは難しい。愛犬で、テクニックでなんとかごまかすくらいです。😅。

ある一定のレベルで似せて描くには、ニュートラルな観察力が大切です。
まさに初めて見る時の、ズン!と入ってくる印象。
第一印象ですよね。見た目が9割という本もあちこちに出回ってますが、その第一印象で描くのが肖像画。
それを、長期的に精密にデッサンし、「まるで写真のように」描けるのとも、画家の能力の一つですが、僕はその力を、描けば描くほど手放していきました。

余白のない写実的な絵画より、その人の存在が滲み出てくるような絵が描きたい。
そうやって、写実の能力を共感能力に変化させていきました。

それも、バランスが大切です。例えば、ご遺族から、家族の絵を頼まれた時に、共感能力が強ければ、とても絵は完成できません。
かと言って、共感しなければ、絵は生きてきません。
無論、写実の能力は下げられません。

では、どうするのかというと、写実も共感も超えた、別の視点から、その存在を観察するということをします。

僕の背後にある、ある場所、存在、から描く。

いろんな勉強をして、座禅による「空」状態、が、この感覚に近いなと感じました。

光とか、パワーとか、強いものというより、ただ静かで穏やかな、沈黙した視点。

座禅は、内に内に向かっていきますが、相手を描く絵は、当然、目の前の相手に集中して、向かっていきます。

アスリートでいえば、ゾーンともいうでしょうし、その超・集中状態から、何かのインスピレーションを得る、というのことは、いろんな職業によって、それぞれにあるのだと思います。

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そこで、家族です。 
いろんな感情がわき、似ている似てないもの、よくわからなくなっていきます。
そもそもが、似せて描こうという気持ちすらもないのかもしれませんが・・。

そんな家族だからこそ、別の視点で、空、の状態から、相手の存在そのものを描くことができれば、また少し成長できるのかもしれません。

一番近くにいる家族だからこそ、もっとも見えにくい。じゃ、だれか別の画家に描かせるのか?とても似ている絵を・・。それでは意味がありませんよね。

もっとも見えない、わからない、似てるかどうかもわからない、からこそ、描く意義がある。

確信しているものがある。

表現とは、そういう確信をもとに、わからないものを試行錯誤しながら、作り上げていくものだと、感じるのです。

それが、愛、という形を表現することにつながるのだと思います。

家族を起点として、より広い愛へ。

おわり。
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