見出し画像

修行4日目

家族が与えてくれた修行の機会である。
実家に行くことで、制作に没頭できるチャンスをくれた。本当にありがたい。この感謝の気持ちを胸に、限られた時間をめいいっぱい打ち込もうと思っている。
1日目は雑念まみれだった。あれをやらねば、これをやらねばと追い立てられる。それはそのはず、絵画教室の展覧会まであと3週間を切っているからだ。責任感と不安で、展覧会の準備に時間を割いてきた。何せ100点以上の作品が並び、まとめていかねばならないから。
しかし大切なのは、自身の制作なのだ。絵を描く時間を守るには、よっぽどの覚悟が必要である。
簡単に描けるか?描けるわけがない。常に集中力は途切れて、やりたいことより、やらねばならないことに引っ張られる日々。しかし、それは「本当に今、やらねばならないことなのか?」、と禅の教えでは言う。
頭の思考を止め、静かに呼吸に意識を向けて、頭を空っぽにする。ここからようやっと、深い部分の声が聞こえてくる。
この声を聞くまでに、2日間を要した。粘り強く、迫り来る声を受け流し、不安と恐怖を受け止めて、また流し、注意を払った。
そして三日目、いい状態に入っている。ゾーンという精神だ。
やるべきことは午前中に集中する。8時から12時まで、4時間かけて事務処理や、打ち合わせや、見積もりや、先のイベントの企画、ホテル交通手段の確保、展覧会の宣伝、リスト制作、オンラインレッスンの仕組み、雑貨の手配、、、などなど。自営業とは全て独りでやっていかねばならない。

そして帰宅後に、安心して絵画に向かう。

これが育児中には両方は無理だ。左脳を使う事務作業しかできない。それも数時間しかできない。
右脳を使う作業は、呼び起こさねばならない。神様に電話をするようなものだけど、妨害電波がひどい。あっという間に別のことを考えている。(こうして日記を書いていることもそうなのだが・・汗)。

息子の生まれたこの四年半、いや生まれる前の10ヶ月からしてみれば、こんなに集中させていただける機会はない。それだけ、年単位で頑張ってきたからかもしれない。
普通の社会人の方、もしくは子育てが終わった方は、これが当たり前ときたもんだ。すごいことだ。こんな時間があったら、どんなことでも出来るではないか。
まぁ他人は他人、自分は自分。このありがたみを一心に感じよう。自分に残された時間は1週間。十分だ。十分すぎる。これは普段の生活の「1年分」にも当たると思う。ここでもう一度、取り戻そう。本来の感覚を。そうしてまた、大音量の日常に戻ったとしても、心静かにいれるように。子育てに没頭できるように。短い時間でやるべきことに集中出来るように。

幸せだ。幸せである。
こんな幸せなことはない。
魂の望む時間。
「我」を忘れて絵に向き合う時間。
自分が、父親でもなく、夫でもなく、本来の自分を呼び起こす時間。
この呼吸に気づける。この景色に気づける。この声に気づける。

生まれてきた意味に気づける。

ここで得られたものを、みんなに還元しよう。家族にも、展覧会にも、生徒さんにも。。

さて、再び、絵筆を取る。
あの世に旅立った家族を乗せた、天国のクジラを描く。

よろしければサポートお願いいいたします。こちらのサポートは、画家としての活動や創作の源として活用させていただきます。応援よろしくお願い致します。