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「天路の旅人」感想。旅人は本当に幸せだったのか。

引き続き「天路の旅人」沢木耕太郎著の感想です。
今回は少しネタバレも含もうかなと思います。

読後にずっとひっかっていたこと。「旅人・西川一三は、帰国後の人生で幸せだったのか」ということ。起業して3〜40年、364日働いて、家族との関わりも薄く、朝も昼もご飯は同じ。
帰国後、3000枚にも及ぶ著者本「秘境西域八年の潜行」の発行からまでには15年がかかった。しかし、本を書き上げた西川は、すべては終わったかのように、原稿にも出版本にも興味がなかった。
訪れる取材にも来客にも、必要なことを答えるだけだった。
それを沢木耕太郎が1年間毎月1回の50時間をも及ぶ取材と、その後の西川一三の人生、没後の家族のエピソードを描くことで、ようやっと見えてきた、彼の魂の形があるような気がする。
そのためには、一度読み終えたあと、もう一度、最初の章と最後の章を読む必要があった。

彼は「生きること」に集中した。それはまるでラマ僧が洞窟でひたすらに修行をし、生活の糧を支えるように。必要なことは、死なないために生活すること、そのために、修行と言語の習得があった。
沢木耕太郎も言うように、おおよそ神秘主義とは遠く離れた現実的な人だった。だからこそ、「今を生きる達人」になり得たのかもしれない。

その生き方は、現代人であり、日常の喜怒哀楽に感情の起伏を委ねるわれわれにとって、魅力的なものなのか。そう願えるものなのか。

沢木耕太郎は、彼の人生を「胡桃の殻のような」強固な生き方だと例えた。微動だにしない精神は、反対に頑なで変化を徹底的に排除するとも言える。変化しかないこの時代に、こう生き抜いたことは、大正生まれの彼の時代的な背景もあるのか。

いや、やはりそうではない。
彼は、旅人であったときに「自由だった」。これほどにないくらい。しかしそれは、モンゴルの大地を颯爽と駆け巡る馬のようではなく、汗水垂らして荷物を持ち、山を登る馬の如くの「自由」だった。彼は憧れはしたが、自分をよく知っていたし、さまざまな旅の困難や出会いによって、人間として、生命として、もっとも原点的なことに限りない豊かさと静けさを垣間見たのではないだろうか。

それは、まるで目の前にいて笑っている生後2ヶ月の我が娘に見えるような自由さだ。限りなく不自由だけど、なぜあれだけ純粋なんだろう。見るものの心をシンプルにさせるエネルギーは、まさに神の所業のように思えてくる。

西川一三は、決めたことをやる。必要なことはやり、そうでないものは興味すらわかない。取材を重ねていた沢木耕太郎にすら、一枚の薄い膜があったと言う。それは妻ふさこと、娘との関係性にも表現されている。薄い膜。 
彼、または妻ふさこには、他者と関わる世界より深いところに、人間が生きるということの地層を知っていたのだろうか。木々は四季折々に変化して、無常の世界で流転のように変化しながら、光と影、美の醜を刻んでいく。

しかし、瞑想の第一段階にある、死体が腐敗していく過程を瞑想するように、すべては無に期した時に、何が残るのか。もっとも深い「流れ」が見えるのではないか。
その上で、人生を選ぶとしたらどう生きるのだろう。
同じ秘境の旅人の木村が、外交官として社会貢献に行きた人生と、ラマ僧として旅を続け、不本意ながらも帰国し、盛岡の1商社を全うした人生の違いはなんだろう。
西川一三は、2022年という未来において、天才・沢木耕太郎により25年もかけてまとめあげたノンフィクションとして生まれ変わった。つまり、普遍的な真実がそこにあったのだ。

西川一三が娘につぶやいた遺言が残されている。
「もっといろんなところに行きたかったな。自分という人間がいたことを忘れないでくれよ」。
娘は、はいはいと流して聴いてしまったことを後悔しているが、その娘の最終章の会話によって、西川一三という人生の達人の面影が、確実なる光を備えて、私たちに語りかけるようだ。
そして、最後のページ。

西川一三と会った最後の夜の回想を、涙無くして、どう読めようか。

彼は、幸せだったのだ・・。そう沢木耕太郎は感じている。

彼という人間がいた。
かつての壮絶な前人未到の旅とは全く違った人生を、同じ人間が生き抜いた。そこに共通している真実が、きっと未来の私たちの支えになるのかもしれないと感じている。
それがまだわからないから、ぽっかりと穴が空いたままだから、こうやって僕は、読後の感想を書き続けているのだろう。

おわり。

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