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バイオリンの妖精 * 前編 「 きっかけ」。

きっかけは、去年開催された職人展示会でバイオリンの職人さんに出会っこと。

硬い木片にノミを入れて削る作業は、力も根気もいる重労働なはずなのに、彼女は、金色に輝く髪の毛をゆったりと流し、ジュエリーを身につけ、手の動きも軽やかに、作業を進めていました。

光のトーンの落ちた、セピア色のような空間で、光の陰影もあり、まるでフェルメールの絵画のよう。

たちまち魅了され、見学しに工房へ訪れてもいいか聞いてみると、彫りから目を離し、顔を上げて、笑顔で、

もちろん! 

彼女は、パリス・アンドリューさん。英国生まれの女性。

なんの予備知識もなく声をかけたけど、実はバイオリン製作界のインフルエンサー。映画「アメリ」のような世界観で、仕事風景を日々投稿しています。

姿も音色も美しい弦楽器バイオリンは、高貴で近寄りがたい雰囲気。いつもただ遠巻きに眺めてたけど、パリスさんに出会ったのがきっかけで、バイオリンという世界に一歩足を踏み入れることができました。

バイオリンが分からないと、時間を割いてインタビューを受けてくださるパリスさんに、ちゃんとお話しが聞けないので、自分のためにも、2回に渡りご案内してきた、バイオリンにまつわる話し。

そして、バイオリン編の今回と次回は、パリスさんのお話をお届けします。

パリスさんが活動する工房を訪れたのは、クリスマス休暇を終えた1月の2週目。今回は、いままでの、いろいろな「きっかけ」から、いまに至るまでの、パリスさんの経緯をご案内します。

* バイオリンを作るようになった、きっかけ。

休暇後、いつから仕事を開始しましたか?

今日から!
木片からバイオリンの形に彫り出しているところなの。楽しい作業よ!

右手首から右肩にかけてずっと痛めていたんだけど、ようやく、仕事ができるようになったの。1週間7日間、ずっと仕事をしているから、痛めてしまうこともあるのよ。治るまでの、ちょっとの我慢。

それが、やっと今日から作業が始められるようになって、嬉しいわ!

石工師のお母さん

お母様は、どのような経緯でこの仕事に就いたのでしょうか?

イングランド北東部にあるダラム大聖堂の石工師をしています。女性初の、聖堂の石工師です。とても母を誇りに思ってます。

ダラム大聖堂 wikipediaより

母のすごいところのひとつは、ある程度の年齢になってから、始めたこと。いま56歳ですが、もともとは、教師をしていたんです。33年間教師をし、わたしと弟が独立したあと、

さ、これからはわたしの人生を生きるわ!!! 

と、石工というまったく別の世界に飛び込み、プロの石工師になったんです。

具体的には、修復がメインです。新しい石を彫って、欠けているところを補います。作業は屋外で行うので、冬、しかも、北イギリスの寒い時期は、雪が降るなかで作業をする、厳しい仕事です。

パリスさんのお母様
パリスさんのインスタグラムより

弟さんはシェフですよね?

そう! いまはヨーク市で、レストラン長になっています。弟とは、18ヶ月しか違わないの。

クリスマスのときは、料理はぜーんぶ、弟任せ。次から次へと料理が運ばれてきて、母とわたしは、テーブルについて待ってるだけ。母さんなんて、「なんて素敵な息子なのかしら!」と大絶賛、大喜びです。

どのような子供でしたか?

田舎で育ったの。いつも外で遊んでいたし、畑で野菜も作っていました。小さな頃から、手を使うことが好きだったのね。

バイオリンを始めたのは、わたしが4歳か5歳のとき。バイオリンの勉強がすごく楽しくて、1日何時間も弾いてたわ。

母さんがピアノやフルートを、わたしがバイオリンを弾いて、小さな合奏会をして遊んでいました。

敷地内には、小さなアトリエがあって、そこで、母も、弟も、わたしも、何かを彫ったり、絵を描いたり、なにかしら創作をしてたんです。家には、テレビがなかったのよ。

お母様が、テレビを置かないよう決めたんですか?

そうです。田舎にいるんだから、自然のなかで遊んだ方がいい。というのが母さんの方針でした。

夜は、本を読むこともあれば、家族で、アートプロジェクトを相談したり。プロジェクトのために、材料を選んだりして、とても楽しかったわ。

バイオリン工房との出会いはなんですか?

16歳のときにバイオリンが壊れてしまったので、工房に持って行ったんです。工房に入った瞬間に、その雰囲気がたちまち好きになり「わたしもなりたい!」と思ったの。

18歳までバイオリンを弾いてたけど、ライバルも多いし、ストレスもあって、約15年間も弾いてたのを、やめてしまったんです。

その後、クラヴィチェンバロ(鍵盤楽器チェンバロ)の師匠と出会い、クラヴィチェンバロを新しく作ったり、修復する仕事を始めました。

師匠とは、どういう出会いだったのでしょう?

当時、ケンブリッジ大学へ通っていた音楽家の友人が、大学のクラヴィチェンバロを修復にきていた職人と知り合ったんです。そこで、彼に、わたしのことを話してくれて、わたしから連絡を取りました。

師匠は、「自分一人ではこなせないほど、やることがたくさんあるから、来てくれると助かるよ。」と言ってくれて、クラヴィチェンバロの工房で仕事を始めました。19歳のときです。


フィレンツェのアカデミア美術館に
展示されているクラヴィチェンバロ。

師匠は、とても陽気な人で、一緒に仕事をしてて楽しかったです。

師匠のもとで、道具の使い方を覚えたり、楽器がどう鳴るかとか、いろいろ勉強できました。

本当はいまでもクラヴィチェンバロの修復も続けたいけど、技術が未熟だと感じるの。だから一人では自信がないわ。可能なら、いつか、師匠をここへ呼んで、一緒に仕事をしたい。

イタリアに来てからは、バイオリンやチェロの製作に集中してて、最近では、中世時代やバロック時代の楽器の修復もはじめました。

いまの仕事に就くようになった経緯は?

クラヴィチェンバロの工房で仕事をしていたけど、その後、バイオリンの修復を学ぶ学校に入ります。

わたしが住んでいたイギリス北部では、ヨーク市に専門の学校があるけど、授業料がものすごく高くて、バイトをしながら自炊して、授業料のほかに、家賃も光熱費も食費も払いながらの生活は不可能でした。

それで、ロンドンに移ったんです。ロンドンで通ったサウス・テムズ大学は最高でした。Keith Graves(キース・グレイヴス)師匠に出会ったことは大きかったです。いつも陽気で楽しくて、先生としても、すごく優秀な人でした。

大学を卒業したあとは、ロンドンで、フリーランススでバイオリンの修復をしてました。

* フィレンツェにきた、きっかけ。

2017年にバイオリン修復の勉強のために短期でフィレンツェに来ましたが、その前から、イタリアに惹かれていたのでしょうか。たまたまフィレンツェだったんですか?

ある日、イタリアに行って見るのもいいかなと「ふと」そんな考えが浮かんで、イタリアでも、フィレンツェがいいかなぁ。と、なんとなく思ったんです。

それで、ネットで検索をしてみました。バイオリンの地である、クレモナやブレッシャでも探したけど、わたしがいま所属している、リュテリア・トスカーナのHPに出会い、惹かれて、一か八か、こんな内容で、メールしてみました。

2週間ほど訪問して、仕事風景を見せてもらったり、ちょっと道具に触れさせてもらったり、トスカーナの技術を見せてもらうことは、可能でしょうか?

リュテリア・トスカーナからの返答は、

もちろん!

そして、17年の秋に、ここにきたんです。

フィレンツェに移り住む計画はあったの?

来てみたら、すっごく気に入ってしまい、翌年18年の2月には、ここで住み始めていました。

まさか、移り住むなんて、最初に来た時は夢にも思っていませんでしたけど。

そもそも、仕事と絡めて、イタリアでのバカンスも楽しもうという計画だったんですから。

2週間の滞在では、日中はこの工房を見学させてもらって、夜は美味しい食事をして、ちょっと日焼けして、イギリスへ帰る予定でした。

それなのに、イギリスへ帰ると同時に、イタリアに住むと宣言して友人を驚かせ、ロンドンのアパートを引き払い、仕事を引き継ぎ、イタリア行きの新しいページをめくったんです。

気がついたら、大きな荷物を両手に抱えて、フィレンツェに降り立っていました。

そのときから、ここに住み始めたんですか?

最初は中心街のアパートを借りていました。すごく小さなアパートの3階に住んでいたけど、エレベータがなくて、人ひとりがやっと通れる狭くて急な階段しかなかったの。

冷房はもちろんないし、風通りも悪くて、夏はものすごく暑かったわ。重たい買い物袋を運びながら、狭い階段を上るのが、本当に億劫だった。

一度は憧れるけど、真夏に冷房のないフィレンツェ中心街のアパートで過ごすのは、厳しいですよね。

その通り。それに、わたしは田舎で育ったから、自然が好きなの。

イギリスで都会といえば、ロンドン。ロンドンには、学校とか、仕事とか、お客さんとか、大都市なりの利点もたくさんあった。

でも、好きじゃなかったわ。

汚いし、いつも生き急いでる感じだし、すべてが高い。カプチーノが6ポンドなのよ!(円換算で約950円。イタリアでのカプチーノの価格は150円くらい。)

ファミリーで、ある程度の収入があれば、ロンドン暮らしも楽しいかもしれない。ロンドン市街の小さなアパートで、2000ポンド(31万円くらい)の家賃。それに生活費を含めると、どこにも行けず、ただ家の中で過ごすだけ。そんな生活、わたしの人生ではないと思ったの。

そして、いま、フィレンツェ市街の、緑の多い住宅地に住んでいるんですね。この住宅地は、背の高いアパートがなくて、隠れ家的な、静かで落ち着いた場所ですよね。

ここはとても気に入っています。中心街まですぐなのに、緑が多くて、開放感があります。

イタリアのバイオリン製作学校

製作学校が多いのは、クレモナ、ブレッシャ、そしてフィレンツェですか?

ナポリにもたくさんあります。でも、わたしは、フィレンツェが好きなんです。

フィレンツェのバイオリン製作者アントニオ・グラニャーニ(Antonio Gragnani /1728年 –1810年)の優雅なモデルがすごく好きで、彼のモデルをたくさん作りました。女性のような丸みを帯びた、気品のある、小さめのバイオリンなんです。

いま製作しているのは、フィレンツェのバイオリン製作者ジョヴァンニ・バッティスタ・ガブリエッリ( Giovanni Battista Gabrielli/1716年 –1771年)のモデルです。

トスカーナ出身のバイオリン製作者のモデルを作るのが好きなんです。

街によって、バイオリンの形も異なるということですか?

そうです。バイオリン文化が培ってきた、クレモナ特有のニスの塗料とかもあります。

形にしても、アマティのモデルのものや、ブレッシャなら、栗色が特徴のガスパロ・ダ・サロのモデルのもの、ミラノのモデルは、赤っぽい色、ナポリは、弦楽器でもギター類が多いです。風変わりなものから、真珠で螺鈿の細工が装飾されているようなものまで、バリエーションに富んでいます。

そんな色々なモデルがあるなかで、わたしはトスカーナのバイオリンが好きです。シンプルでありながら、女性的で、気品があるんです。ボディの表板の膨らみが、クッションみたいにプクっとしてて、対象的に裏板は、薄めになってるの。

女性のバイオリン奏者にとって、手にする楽器は少し小さい方が、扱いやすいんです。厚みが少し薄くて、全体的に小さい方が、バイオリンを構える時に、腕にしっくりきます。

いま製作しているチェロは、スタンダードな大きさより少し小さめです。ちょっと小さいだけですが、演奏すると、その違いがわかります。より体にフィットして、抱えやすくなります。

ヴィオラも、色々なサイズがあり、38、40、41、42サイズ。45サイズというのもあり、これは結構大きいです。

そのなかでも、38とか、38.5などの小さいサイズのリクエストを多く受けます。かと思えば、42サイズの大きな楽器を好む女性もいます。

住む前と後では、フィレンツェの印象は変わりましたか?

驚いたことに、北イギリスと食事がよく似ているんです。うさぎ、キジ、シカ等のジビエ料理、そして豆類。

ぜんぶ好きなもので、わたしが子供時から食べていたものばかり。北イギリスの伝統料理でもあるんです。

それに、この工房では、食べることがすごく大切。奥に広いキッチンがあるので、ランチをみんなで食べますし、夕方になると、そのときいるメンバーでアペリティーボ(食前酒)もするの。

* インスタグラムをはじめた、きっかけ。

21年12月の時点で、インスタグラムのフォロワーが3万人になりましたね。どうしてインスタを始めようと思ったんですか?

バイオリンがどういう風に作られていくか、興味のある人がいるんじゃないかなぁ、と軽い気持ちで始めました。

それが更新していくごとにフォロワーが増えていき、そして、ある日、わたしのインスタグラムを見た人から「工房に行ってもいいか」と、連絡があったんです。

そして、わたしの作ったチェロを2台も購入してくれました。

このときから、
OK !!!! インスタグラムはわたしの活動にすごく重要!これはビジネスになる!ただゆるく投稿して楽しむだけじゃないんだ! と確信したんです。

それ以降、毎日、写真や動画を投稿しています。わたしにとっては、オフィシャルHPのようなものです。

2020年頃から投稿のアプローチが変わった?

なにかきっかけがあったのでしょうか? パリスさんが被写の中心にいて、仕事をしている風景を写すように変わってきたように思えました。

そうした方が、見る人に伝わると思ったからです。毎日更新することは、自分にとって仕事のひとつです。製作しているときの風景を、できるだけ撮り溜めしておくようにしています。いつ写真が必要になるか、わかりませんしね。

メッセージへ返信しながら、変なメッセージをキャンセルするのも、ひと仕事です。1日に1時間くらい、インスタグラムのために時間を使います。

ほかの人のインスタグラムを見るのが好きなので、仕事だけど、好きでもあります。

それに、各国のバイオリン製作者の製作風景を見ることもできるし、インスタグラムを通じて同業者と知り合えたり、おしゃべりしたりするのも、楽しいです。

* アーティストとコラボした、きっかけ。

ロンドンで活躍している、イタリア人アーティストのレオナルド・フリーゴ (Leonardo Frigo) さんと、彼のバイオリンの作品がイスタグラムに掲載されていましたが、どんな経緯を経たのでしょう。

インスタグラムに投稿した写真は、21年にヴィチェンツァで展示会を開いたときのものです。彼はベネト出身(ベニスのある州)で、ロンドンで活動してるアーティストです。

右からレオナルドさんとパリスさん
パリスさんのインスタグラムより

どこで知り合ったんですか?

すっごく不思議なんです!レオナルドは、イギリスでわたしのご近所さんだったんです。

でも、そこで知り合うことはありませんでした。わたしがフィレンツェに移り住んでから、わたしのインスタグラムをみてくれたレオナルドから連絡があり、この工房を訪れたんです。

そのときにおしゃべりしてて、同じ通りの、わたしが8番地で、彼が9番地に住んでいたことがわかったんです。なのに、一度も顔を合わせることもなく、この工房で出会うなんて、すごく不思議。

ヴィチェンツァの展示会の広告
ダンテの地獄をテーマにした作品

レオナルドは自分のプロジェクトのためにバイオリンを探していて、作ってくれないか。と話を持ち込んでくれたので、わたしは、certo (もちろん)! 二つ返事でオーケーしました。

彼はバイオリンの表面に絵を描くので、わたしは塗料を施さず、白木のバイオリンを彼に渡しました。

できあがったときの、印象はどうでしたか?

わたしのバイオリンに描く絵のテーマは「フィレンツェ」で、フィレンツェが輩出したレオナルドダヴィンチやガリレオガリレイ、フィレンツェの紋章などが描かれています。

ヴィチェンツァでの展示会では、わたしのバイオリンを含めて、33挺が展示されていて、すべてに彼のデザインが装飾されていて、圧巻でした。

彼がどんな風に絵を描いて、描いたあとに、どういう塗料を、どんな風に施すのか、わたしには、ひっそりと教えてくれましたが、知った上でも、どうしてこんな風に仕上がるのか、まるでミステリーです。

今年も彼とコラボレーションをする計画があり、いま着々と準備中です。

* 展示会へ参加した、きっかけ。

21年9月に開催された、コルシーニ家主催の職人展示に出店されていましたが、どういう経緯で参加できるようになったのでしょうか?

フェラガモ財団(Fondazione Ferragamo)というものがあり、35歳以下のソーシャル活動をしている10名ほどの職人を選出し、職人展示に招待するんです。

フェラガモというのは、ファッションブランドのサルヴァトーレ・フェラガモのことですか?

そうです。21年は、わたしも、そのひとりに選ばれたので、無料で参加できました。

参加してみてどうでしたか?

すごく良かったです。とっても良い経験になりました。みんな同世代で、期間中に仲良くなり、楽しかったです。

いろいろな分野の職人と知り合え、横のつながりを築けると思ったので参加しましたが、直接に仕事に繋がるとは思ってもみませんでした。

職人展示会で。
パリスさんのインスタグラムより

雨天にもかかわらず、展示会には多くの人が足を運んでくださりました。

『習おうか悩んでいたところ』とか、
『修復を頼む人を探していた』とか、
『息子のためにバイオリンを探している』とか、

本当にたくさんの人が関心を持ってくれて、驚きました。あのときに出会った方々が工房へ訪れてくださり、実際に仕事に繋がっています。

パリスさんが参加した会場は、邸宅の厩だったところですよね。仕切りになっていた飴色の木枠と、光をおさえた照明が、レトロな雰囲気を作り出していて、素敵な空間でした。

出店すると決まり、はじめて会場を見たときは、驚きました。そのまんま厩だったんです。あるのは電球だけ。この空間で、それぞれの職人が、受け持ちのブースを装飾したんです。

その結果、小さな工房が連なっている良い雰囲気が作れてましたよね。わたしも、あの空間がすごく好きでした。


* パリスさん語録

パリスさんのインスタグラムには、素敵な言葉がたくさん散りばめられていて、本当に仕事が好きで楽しんでいるのが、伝わってきます。

バイオリン製作に必要なもの。
誇り、情熱、そして、忍耐。
人は、わたしに問う。
「バイオリンを製作するときに使う機械はなに?」
「わたし。わたしが機械なの。」

🍂 lovely, productive, happy MESS 🍂
愛らしく、実り多き、幸せな散らかり。

* 「いま」 そして 「これから」。

イギリスからイタリアへ渡り、人生の新しい一歩を踏み出したパリスさん。次回は、パリスさんがいま活動していること、これから向かおうとしているところについて、お話を伺っています

次回もお楽しみに!


HPは下段にあります。
* パリスさんのHP
* Instagram -->  @palutherie
* レオナルドフリーゴさんのHP
* Instagram -->  @leonardo_frigo_

パリス・アンドリュー Paris Andrew さんのHP

レオナルド・フリーゴ Leonardo Frigo さんのHP


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