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チョコレート・ストーリー。

クリスマス時期に、なにか、ほっこりする物語をお届けして、心も温まって頂けたらと思い、ご紹介します。

お店との出会い

小雨が降り、冷え込んだローマの片隅。薄暗い路地のなかに、ぽぉっと、暖炉のように優しい光に導かれて、お店を覗いてみると、お客さんは誰もいない。入ろうか一瞬迷ったけど、寒かったし、お店のドアを押してみた。

内装、家具、包みのリボンが、フェッラーリの、鮮やかな赤よりも、ずっと、くすみのある赤で、統一されてて、大正浪漫のような、1900年初期の残り香がするようなレトロなお店。ローマの喧騒とは、まるで別世界で、時が止まったような雰囲気。

マロングラッセ

お店の片隅には、大量の栗が散らばり、床には、剥いた皮が散乱し、剥かれた栗は、大切に箱のなかに収められているけど、剥き終わるのに、どのくらい時間がかかるんだろう。

栗の季節になると、マロングラッセが店頭に並ぶのは、フランスだけでなく、イタリアもしかり。

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栗には、カスターニャとマローニという2種類があり、前者は小さめで、後者は大きめ。ホクホク感や甘さも、マローニが優勢。当然のごとく、値段も王者の風格。

マロングラッセになるのは、このマローニ。1粒350〜500円くらい。

今年のマローニを使った、今年のマロングラッセ。冬限定商品。いま買わずして、機会を逸してしまうのは、一生の後悔。

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スーパーにも箱詰めのがあるけど、小さなお菓子屋さんや、バールが作るマロングラッセは、味が別物。

フィレンツェにも、季節限定のマロングラッセを販売するお店が何軒かあり、その美味しさを堪能するのが、秋から冬にかけての楽しみ。

このお店のマロングラッセは、焼き芋のようなホクホクな食感と、ねっとり深い甘みが後を引き、絶品中の絶品。

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チョコレートは、砂糖控えめで、カカオの香りが立ち、口のなかでスっと溶け、後味さっぱり。うーん。唸る美味しさ。

1粒だけで充分に幸せにしてくれる、マロングラッセや、チョコレートに秘められた物語。

書いた人の愛情が伝わってくる、お店の小さなパンフレットをもとに、ご案内します。

チョコレート・ストーリー

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小さな国の集まりで、まだイタリアが統一していなかった、1860年からの10年で、イタリアの状況は、ガラリと変わり、1865年には、イタリアが統一され、トリノ出身のサヴォイア家がイタリア国の国王になる。

ローマは以前として独立を保っていたけど、1870年にイタリア国に加わり、と同時に、首都となり、ようやく、本当の意味でのイタリアが誕生。

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去年と今年、昨日と今日とで、まったく違う世界に生きるようになった、イタリア半島に住んでいた人々は、ちゃんと、適応することができたのかしら。

そんな時の流れのなか、1850年に、いとこ同士の二人、アゴスティーノ・モリオンドと、フランチェスコ・ガリーリオが、トリノに、小さなチョコレート店を開店させた。店名は、二人の姓を繋げて「モリオンド&ガリーリオ」。

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 出典:HP L'Amleticoより

数年のうちに、美味しいチョコレートのお店として、大繁盛。

ちょうどその頃、ローマを首都としたイタリア国が誕生し、サヴォイア国王もローマへお引越し。王家御用達だった「モリオンド&ガリーリオ」もローマに開店。こちらも大繁盛。

「モリオンド&ガリーリオ」の成功は、イタリアでナンバーワンと呼ばれた、偉大なチョコレート職人、カルロ・エンリコ・クニベルティ氏の存在なくしては語れない。

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出典元:Meddi Magazine

14歳のときに、すでに天才チョコラティエとの呼び声高く、「モリオンド&ガリーリオ」では、彼の才能を発揮し、革新的なレシピを次々と生み出し、いままでにない、美味しいチョコレートが、店頭に並ぶことになる。

そんな時に、産業革命がイギリスから降りてくる。

「モリオンド&ガリーリオ」の経営者が、

この流れに乗れば、もっとたくさん作れて、多くの人に販売できるだろう

と考えるのは、当然のなりゆき。

そこで、クニベルティに話を持ちかけて、

いや、なに、レシピを工場で再現すればいいんだよ。なにも難しいことじゃないでしょ。君の給料もアップするよ。

オーナーは二つ返事で承諾するだろうと、疑う余地もなかったが、クニベルティの答えは、否。

工場で製産すれば、味の再現のために、本来必要のない材料が加わり、チョコレートの真髄である「素朴さ」が失われます。それは、もう、チョコレートとは言えず、「モリオンド&ガリーリオ」のチョコレートとは似て非なるものです。

結果、お店では、時の流れに反し、職人チョコレートを作り続けることに。

あるとき、見習いとしてお店に入ってきた、12歳のマルチェッロ・プロイエッティ君。両親はすでに他界して身寄りのない身。

クニベルティには息子がいず、我が子のように可愛がり、チョコレートのレシピや秘訣を教え込むと、覚えが早く、瞬くまに吸収していくマルチェッロ君。

クニベルティは、厨房に入ると、ものすごいスピードで、次から次へと新しいアイデア、新しいレシピを生み出すも、レシピは紙面に残さず。

マルチェッロ君は、必死になり、クニベルティのすべてのレシピを覚え、血は繋がってない、親から子へと、秘伝のレシピが引き継がれることに。

イタリア統一、戦争と、動乱の時代を乗り越え、振り返れば、100年もの歴史を重ねてきた「モリオンド&ガリーリオ」。

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 出典:HP L'Amleticoより

マルチェッロの息子たちが、代を継ぐも、経営不振に陥り、にっちもさっちもいかない状態。

1977年。おんな達は嘆き悲しみ、おとこ達はうなだれ、幽霊のような青白い顔をして、店の前に立ち尽くす姿が見られるようになる。

「モリオンド&ガリーリオ」が、閉店を余儀なくされたのだ。ひとつの時代の終焉。と、報道されるようになる。

ドルチェヴィータの最盛期の面影を残す店内にて、身を切るような、売り出しセールが行われ、最後の最後に、扉を閉めようとしたとき。

暗闇に、一人の女性が立っていることに気がつく。

その人は、ドンナ・イザベラ・コロンナ。コロンナ公爵夫人であった。

わたしのために、チョコレートを作って頂けませんか? そのための小さな工房も整えます。

100年続いたお店を、自分の代で閉じることの辛さ、明日からどうすればいいのかもわからず、途方に迷っていたときに、神が救うような、慈悲の手が差し出され、プロイエッティ氏は、自分の身になにが起きたのか、わからなかったかもしれない。

プロイエッティ氏の頭の中に詰まっている、代々引き継がれた師匠クニベルティのレシピが、生き返り、公爵夫人のために、情熱を込めて作られるチョコレート。

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1992年になると、不死鳥のように蘇った「モリオンド&ガリーリオ」は、少しだけ大きめのお店をピエディマルモ通りに移し、いまも、ここに、お店があります。

わたしがお店に入ったときは、誰もいなかったけど、しばらくすると、入れ替わり立ち替わり、お客さんがきて、レトロな紙の包装紙に包まれた、マロングラッセやチョコレートをお持ち帰りしていました。

お店に立ち寄る機会があれば、片隅にあるテーブルに座り、たくさんの物語が詰まっている、1粒のチョコレートを、楽しんでみてください。

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Moriondo & Gariglio
モリオンド&ガリーリオ
Via del Piè di Marmo, 21/22, 00186 Roma 

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