木片からバイオリンへ。木から音楽へ。
クレモナの名匠
クレモナで活躍し名を残した、バイオリンづくりの名匠は、アマティ・ファミリー、グァルネリ・ファミリー、そしてストラディヴァリ。
現在は機械を使ってバイオリンを作ることもできます。それでも、クレモナをはじめ、世界中の職人が、昔から伝えられてきた製法で、いまでも、木からバイオリンへと、ミリ単位で木を削り、作っています。
木の質、形、塗料、彫り、すべてが一体となり、初めて美しい音色が産まれるバイオリン。木からバイオリンになるまでに、約220時間かかるそうです。選択肢や方法は無限にあり、トライ&エラーの繰り返し。
アントニオ・ストラディヴァリは、ありとあらゆる実験を試み、亜麻仁油にウサギ膠(にかわ)や魚膠(にかわ)を混ぜて塗料を作ってみたり、果ては、牛乳や石膏を使ってみたり。
生まれつきの才能もあるだろうけど、毎日の地道な努力と、努力で培った閃きで、名匠と呼ばれるまでになったのではないでしょうか。
試行錯誤して、ようやく定着した形ができたのに、60歳を過ぎた頃に、一度壊して、新しく作り直します。名声に甘んじることなく、飽くまでも、良いものを作ろうとする探求心。
1710年頃に彼の手により作られたバイオリンは、いまでもなお、バイオリンの完全な完成品と言われており、バイオリン作りの手本となっています。
クレモナにあるバイオリン博物館内にある研究所では、最新の技術を使って、音の秘密を探っていますが、もし彼がいまの時代に生きていたら、いまの時代に相応しい技術をもって、新しいモデルを発明していたかもしれません。
バイオリンは、彫刻や、絵画と違って、誰が製作したのか、一般には違いを見つけるのは難しいけど、木を探しに森へ入ったりと、大理石を探しに大理石の山を訪れたミケランジェロと、重ねてしまいます。
ミケランジェロは、当時から一目置かれる存在で、列伝シリーズを書いたヴァザーリなどは、神のように崇め、同世代の芸術家は、ミケランジェロに倣(なら)え従え。次世代の、フィレンツェの画家たちは、ミケランジェロを超えられずに苦悩します。
バイオリンの世界でも、ストラディヴァリを超えることができずに、苦悩した後世の職人も多かったのではないでしょうか。
音の鳴る森
ストラディヴァリが、木を探しに訪れた森は、トレント州のフィエンメ渓谷。Bosco che suonaと呼ばれ、日本語では「音の鳴る森」とか「音を響かせる森」と訳せるかしら。
この森で育ったモミの木は、正式名はAbete Rosso(赤いモミの木)と呼ばれ、特別な共鳴音がするそうです。40メートルまで育ち、樹齢は400年。天までまっすぐ伸びています。
森に生息する一本の「赤いモミの木」。共鳴音が特別に素晴らしいようで、イタリアを代表するバイオリン奏者ウート・ウーギ氏が、この木を叩いて、音を響かせています。
この森の木を使用して、1700年代に作られた、グァルネリ作とストラディヴァリ作の、2挺のバイオリンの弾き比べもしています。
グァルネリ作は、ロマンチックで、ちょっとくすんだ感じを持ちながら、広がりがあり、立体的な音色。
ストラディヴァリ作は、クリスタルのように透明に澄んでいて、明るく、けど、ちょっと冷たい感じ。音がぎゅっと凝縮して、締まりのある、まっすぐに伸びる音色。
と表現しています。なるほど。わかりやすい。
音の違いを知りたい方、必聴です!!
渦巻きのはなし
il riccio della testa del violino
バイオリンは、音はもちろんのこと、姿も美しい。艶(つや)やかな肌ざわり(触ったことはないけど)、円(まろ)やかな曲線美、エレガントな「ff」の彫り。そして、なんといっても、てっぺんにある、渦巻き、くるくる。
バイオリンのヘッドにある、渦巻き状のくるくるは、日本語では、英語読みで「スクロール」と呼ばれています。イタリア語ではリッチョ。オノマトペは日本語が豊かだけど、このリッチョという音も、渦巻きっぽくて、イタリアらしい可愛いさ。
リッチョは、渦巻きを表すヴォリュート(voluta)とから派生したもので、「旋回とか動き」を意味する言葉。旋回からの繋がりで、カタツムリの貝殻をも意味します。さらには、植物をベースにスパイラルにデザインされた建築物。
ここで、いきなり、古代ローマ時代にタイムスリップ。
ここは、ローマのコロッセオ。階ごとに、柱頭のデザインが異なります。1階はドリス式。2階はイオニア式。3階はコリント式。
イオニア式は、紀元前のギリシャ時代から建造物に使われた柱頭。両サイドの、クルっクルっ、が特徴です。
1500年代に活躍したクレモナの名匠アンドレア・アマティが、イオニア式のデザインに触発され、バイオリンのヘッドに、リッチョを彫った(デザインした)とされています。
さらには、このリッチョ部分が、職人の署名に当たる部分で、誰が作ったか、ここで区別がつくようです。
そうだったのか!
くるくるな曲線を、手で少しづつ彫り進めていく職人さんたちは、ここで、
というサインを残していたんですね。
初めて知りました!
こころを奪われたアニマの存在
バイオリンの内部には、円柱のような小さな棒が存在します。
曲線状の細く繊細な道具で「ff」の小さな空間から挿入するんです。
イタリア語では、アニマ(anima)。アニマは、魂(たましい)という意味。日本では柱魂(ちゅうこん)。どちらの音も、意味も、美しい。英語ではサウンドポスト。
外からは見えず、内側に潜んでいる、このアニマは、バイオリンの心。バイオリンの響きに左右する、とっても大切な存在です。だから、(音の)アニマ=魂と呼ばれるのかもしれません。
しかも、接着して固定するのではなく、バイオリンの表裏に、挟むように、文字通り「そっと」置いて、傾きや位置を微調整します。
その様子がこちら。
バイオリンの内部に収まっている、このアニマ。どこかで見たことがあるような?
前回案内した、バイオリン博物館内にあるコンサートホール。ここの、内部がまさに、この世界なんです。ホールを支える柱が、アニマと同じ細さで、バイオリンの内部のアニマの位置とほぼ同じ。
ということは、ホールの、座席へと向かう通路は、バイオリンの内部に見立てています。憎い演出です。
アメリアのウイスコンシン大学の物理学者、ジャック・フライ教授。彼は、いまのようなテクノロジーがなかった時代に、このアニマを本気で研究した人物です。
バイオリンを演奏すると、音の響きで板が振動しますが、このアニマが、バイオリンの板の上下を支え、クッションの役目を果たし、振動を均一にし、より豊かに、より大きな音にします。
さらには、表側の板に開けた「ff」字は、振動が柔軟に動けるのを助けているんです。
小さなひとつ、ひとつに、意味があり、それぞれに、大切な役目があることで、楽器としての機能をしっかり果たし、しかも、美しい。知ればしるほど、虜になります。
興味のある方は、ジャック・フライ教授の研究中の姿と、研究をもとに、舞台で発表している映像をご覧ください。
若かりし頃の、
研究真っ最中の教授のドキュメンタリー。
イタリアのテレビRaiで放映された古い映像です。
イタリア語。
30分を過ぎたあたりから、
教授が説明します。英語です。
フランスの宮廷音楽
フィレンツェから一人の女性がフランス王アンリ2世のもとへ嫁いできました。その名はカテリーナ・デ・メディチ。
アンリ2世が事故で死去したとき、後継のシャルル9世は10歳。まだ小さな息子に代わり、カテリーナが政治を執り行うようになると、多岐に渡る芸術のパトロンとしても活動を始めます。
音楽もしかり。合奏団を作り、宮廷バレエを催したりと、フランスのルネッサンスの中心になります。フィレンツェから派遣された楽団には、30名のイタリア人バイオリン奏者が含まれていたそう。
楽団には、カテリーナの子供達へ音楽を教えた、バルタザール・ド・ボージョワイユーという人物がいて、彼は、イタリア出身のヴァイオリニスト、作曲家、振付家、演出家。
のちに、宮廷の音楽監督と首席従者となり、シャルル9世からは、宮廷主催の催し物の演出を任せられます。
調べてみるに、バルタザール・ド・ボージョワイユーは、『最初の宮廷バレエ(バレ・ド・クール)と評価される『王妃のバレエ・コミック』などを振り付けたことなどで舞踊史に名を遺した』そうです。
いつの時代も、こういう仕掛け人がいるんですね〜。フィレンツェで活躍したひとりは、メディチ家に仕えたブオンタレンティ。
シャルル9世が在位のときに、遣いがクレモナへ降り立ちます。行き先は、アンドレア・アマティの工房。
前回の記事をお読み頂いた方は、ピンときましたか?
このときに作られたバイオリンが、前回案内した、1566年のアンドレア・アマティのシャルル9世(CarloIX)です。
1つのバイオリンと、1つの歴史。それぞれの点が、こんな風に線で結ばれると、旅をしていて、偶然に知り合いと出会うような、そんな嬉しさが込み上げてきます。
この楽器一式は、フランス革命が起きた時に、バラバラになり、残念なことに、ほとんど紛失してしまいます。それでも、わたしたちの世界まで、生き残った楽器がいくつかあるのは、幸運なことです。
これは、サウスダコタ州バーミリオンにある楽器博物館所有のチェロ。中央にフランス紋章。
擬人化された、シャルル9世のモットーである「信仰(哀れみ)と正義(Pieta' e della Giustizia) 」の装飾。右端の円柱の上には、二人の天使が王冠を携えているのが、わかりますか?
クレモナのバイオリンの装飾は、剥げてしまいましたが、すべての楽器に、これと同じ装飾が施されていたんですね。名匠アンドレア・アマティの最高峰の作品です。
フィレンツェの宮廷音楽
カテリーナの実家、メディチ家もまた、芸術のパトロンであり、音楽の支援者。
右側で黄色い大きな蝶ネクタイをしているのは、フェルディナンド・デ・メディチ、通称フェルディナンド皇子。
彼の左背後にいる男性、誰だと思いますか?
バロック音楽を代表する一人、ヘンデルです。
フェルディナンド皇子とヘンデルは、とても仲が良く、ヘンデルがフィレンツェを離れたあとも、書簡が頻繁に交わされています。
中央にいるのは、作曲家で弦楽器奏者のジリ。当時、とても良好な関係を築いていたモデナのエステンセ宮廷から、1685年にメディチ宮廷に移ってきています。
彼が抱えている弦楽器、絵に収まりきれないほど、すごく大きい。上まで手が届くのであろうか。
彼のすぐ下で、渋い紫色の美しい衣装を纏うのは、フェルディナンド皇子の師である、ピエトロ・サルヴェッティ。音楽のほかにも、数学と貨幣の研究家でもあったようです。先生風な雰囲気が漂っています。
いまならカメラに収める、記念撮影のよう。繊細に編み込まれたレースが、袖口や、胸元に広がり、シルク製と思われる上着を着こなし、みんなクリクリのロングヘア。地毛じゃないですよ、当時の常識、カツラです。
メディチ家といえば、老コジモや、ロレンツォ豪華王が代表的な人物ですが、彼らは本家。本家が断絶したあとは、分家が継ぎ、1700年後期まで続きます。
フェルディナンド皇子は、父親であり大公のコジモ3世の跡を継ぐべく、期待されるも、政治にまったく興味なし。
窮屈なフィレンツェを離れてベニスに遊びに行くことが2度あり、そこで、バルトロメオ・クリストフォリなる人物と出会い、彼に楽器コレクションの収集を委ねるようになります。
このバルトロメオ・クリストフォリ。フィレンツェに移り住み、皇子の楽器収集をする、その傍らで、ひとつの研究をします。研究の結果、出来上がったのが、ピアノです。
1709年に初めてのピアノがフィレンツェで作られますが、そのときは、まだ弦楽器が主流。ベートーベンや、モーツァルトが活躍する1700年後期まで待たなくてはなりません。
話を戻すと、フェルディナンド皇子の楽器コレクション。少しづつ増えていき、ヨーロッパ随一とまでいわれます。
暑い夏と寒い冬は、フィレンツェにある、本宅ピッティ宮殿で過ごし、春と秋は、別荘で、音楽会を開催。そのなかには、ヘンデルもいたことでしょう。
楽器コレクションには、同時代に活躍していた、クレモナのアントニオ・ストラティヴァリの弦楽器も含まれていました。
クレモナ出身の貴族バルトロメオ・アリベルティが、バイオリン2挺、ヴィオラ2挺、チェロの製作を、1690年にストラティヴァリに依頼し、フェルディナンド皇子に、五重奏のための弦楽器として、寄贈されたものです。
時を経るにつれて、コレクションの大部分は紛失してしまいますが、フィレンツェに残されたものは、フィレンツェ国立音楽学校が管理し、ミケランジェロ作のダヴィデ像で有名なアカデミア美術館内にある、楽器博物館で鑑賞することができます。
ストラティヴァリ作の楽器では、五重奏用に製作された、Medicea(メディチェア)と呼ばれるテノールのヴィオラ一挺とチェロ1台。それに、バイオリン一挺。
ヴィオラに関しては、まったく手を加えられず、製作された当時の姿で残されている貴重なものです。
フェルディナンド皇子は、1713年に48歳で亡くなり、次男のジャンガストーネも1737年に逝去。唯一残された長女のアンナ・マリア・ルイザが後を継ぎ、1743年まで生きますが、彼女の死で、メディチ家も幕を閉じます。
その後、婚姻関係のあったハプスブルク=ロートリンゲン家が引き継ぐことになります。
バイオリン、奥が深いですね。本当ならこの第二部は、もう少し早く投稿する予定だったんですが、あちこちリサーチしていたら、音楽の迷宮に入り込んでしまい、なかなか抜け出せませんでした。
今回記事を書いたことにより、自分自身もちょっとだけ、バイオリンや、音楽について、知ることができました。
バイオリンを通して、一緒に、音楽の旅をして頂いたみなさま、ありがとうございます。
次回は、フィレンツェで活躍するバイオリン職人のお話をご案内します。
参考文献:
Lo Scrigno dei Tesori The Treasure Trove
Fausto Cacciatori
Edizioni Museo del Violino
Nella Bottega del Liutaio
Donatella Melini
Librereia Musicale Italiana
この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか? 気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます! コメントを気軽に残して下さると嬉しいです ☺️