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ワークライフバランスからワークアズライフに変化したことについて
ビジネス書でよく登場する「ワークライフバランス」という言葉。自分がこの言葉を知ったのは、大学院に在籍していた頃だ。
本屋で手にしたビジネス書で扱われていたテーマ。当時はライフ(生活)よりワーク(研究)の方に時間が偏りがちで、研究成果を上げるために精神的に追い込まれていたこともあり、気がついたら購入していた(この後で本格的に体調を崩し、適応障害と診断される)。
ワークライフバランスとは、文字通り「仕事と生活の調和」のこと。この考え方にすがりたい気持ちもあり、読んでいて心から救われたような感じがした。当時はまさに理想的なライフスタイルだと思えたのだ。
あれから5年以上経ち、今はどう考えているのか。その変遷について書いてみようと思う。
ライフワークバランスを考える人が持つ前提
前のブログで紹介した、落合陽一氏の「働き方5.0」を読んだときの話。この本で興味深い記述があった。「ライフワークバランス」は時間を切り売りする人の考え方であるとのこと。私の中で衝撃が走った。
この考え方を説明するために、その人が「好きなこと」を仕事にしていないという前提を知る必要がある。つまり、好きでもないことを仕事としているため、自ずと仕事の時間とプライベートの時間が必要になる。見方を変えれば、仕事は仕事として割り切り、その中で生産性を高めようという考え方でもある。
逆を言えば、好きなことを仕事にしていれば、プライベートの時間を割いてでも、仕事に没頭するはず。これが著者(落合陽一氏)の意見であり、彼はこれを「ワークアズライフ」と呼んだ。
そして、最近までライフワークバランスを重視してきた自分だが、これまでの行動を振り返ったときに、なぜかワークアズライフの考え方に共感したのだ。
当時の私のライフスタイルとは?
高専でも大学院でも、当時の私は研究に対して没頭していた。土日返上で研究に勤しんでいたし、それ自体はワクワクする部分もあり、決して辛いと思うことはなかったのだ。
大学院の頃に適応障害と診断されたものの、それは研究とは別の理由だった。塾のバイトのイザコザ、指導教員とのコミュニケーションの取りずらさなどが直接的な理由である。
私の中では、大学院の生活はライフワークバランスよりもワークアズライフに相当するものであり、学生生活の部分は二の次であった。
そして、現在就いている仕事もワークアズライフに近いことが言える。もともと学生時代に専攻してきた分野の延長線上にある仕事内容であり、好きなことが少なからず含まれているのだ。
ちなみに、社会人ではうつ病にはなるが、これも人間関係的なところが要因として強く、仕事内容に対しては特に不満はない。
結局のところ、私はコミュニケーションという対人的な問題が常に尾を引いていたのだ。本質的には、私は好きなことを続けてこれたという幸運を、私は手にしていたのかもしれない。
これからの私のライフスタイルとは?
現在はコロナ禍の中だが、ある程度病状は落ち着いてきた。うつ病を抱えた現在の私において、仕事を継続的に取り組んでいくためには、ワークライフバランスの存在は必要である。
こうしてブログを書くことも、本来はプライベートの時間の話であり、これも今ではライフスタイルの必須項目なのだ。
それでも、好きで続けている仕事でもあるので、妥協したくない時はワークアズライフを発動させている。つまり、ライフワークバランスとワークアズライフの両方を感覚的に使い分けるということ。これが、現在の私が構築しているライフスタイルである。
おわりに
ライフワークバランスとワークアズライフのそれぞれについて、今の価値観と比べながら変遷を書いてみた。
ライフアズワークの考えに共感できたのは、著者も自分も研究者としての側面が重なっていたことがひとつ理由であったかもしれない。そして、好きなことを仕事にするということを少しでも達成した私は、環境に恵まれていたと思う。
なお、ライフワークバランスとワークアズライフで着眼点が異なるので、私はどちらもアリだと考えている。あくまでひとつの考え方として、今回の記事を受け止めてもらえたら幸いである。
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