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「エレファントカシマシ とスピッツの研究」 (第三回)

鮮烈のデビュー『エレファントカシマシ 』
ゲオルゲ、詩人としての覚醒『讃歌』

 1988年3月21日にロックバンドエレファントカシマシ(以下、「エレカシ」と記す)はデビューしている。私はリアルタイムでデビュー当時から追った世代ではないので、レンタルCD屋でEPIC時代のCDはまとめて借りて聴き始めた。スピッツのアルバムが欲しくて欲してたまらず買い集めた時の感覚とは違っていた。しかし、草野マサムネ氏が推奨するエレカシの良さを理解できれば、何かが自分の中で掴めるような気がして、半ば洗脳されたようにEPIC時代のエレカシを我慢して聴いていた。

 その中でも、このデビューアルバム『エレファントカシマシ 』は比較的痛快でわかりやすく昔ながらのロックンロールバンドを感じさせるアルバムであった。それでも聴いたばかりの当時の私はスピッツの音楽性に、より独自性なり新しさや親近感、そうした事をひっくるめて、音楽の才能があるバンドだという思いを感じていた。あるバンドに興味が湧くかどうかの基準を、私は此処に置いてきたように思う。

 だが、そのような事はエレカシのボーカル、宮本浩次氏(当時大学3年生)もとっくの昔に意識していたのである。

ーで、初のアルバムですが、本人の感想はどうですか。
「う⋯⋯ええ。60点ぐらい」
ー(笑)えーと、編集部はですね、このアルバムを非常に優れた、かつ画期的な作品として受け取ったわけなんです。ましてこれがデビュー作とはとんでもない、と。その辺、当人として自覚あります?
「革命的だとは思いますけどね」
ーどういうところが?
「まず⋯⋯ちゃんと才能がある、ってことですよね、音楽の。⋯⋯やっぱりその一点に尽きるわ(笑)」
(『風に吹かれてーエレファントカシマシ の軌跡』2010年1月18日三版第三刷発行 渋谷陽一 株式会社ロッキング・オン P14)

  デビューしたばかりの頃のインタビューで既に、バンドマンは才能がまずなければならないと喝破している。さらにデビューアルバムが高評価を得ている中で、革命的ではあるけれども、自分たちのバンドはそれが本意では無い、という事を仄めかしている。この時点で、もうすでに次の方向性をエレカシは見据えているようである。

 ここでいう「革命的」というのは、「ロックンロール」に対して言われているものと見て良いのではないか。
「如何にオーセンティックなロックンロールを日本人が演るか!」ではなく、
「如何にロックンロールの呪縛から日本人を解き放つか!」といった様なアティテュードを感じるのである。もっと露骨に、いち日本人の初期衝動で音楽をやろう、とするのである。
 このアティテュードは、ブルーハーツ、スピッツからも感じ取れる。

腰のくだけた音楽街にはあふれ
ポーズばっかり腰がふにゃふにゃ
何かつられてあっちに行けば
どっかでとぼけたすれちがい
つき合いきれねぇ奴らのノリにゃ
I Love Rock’n’ Roll
(『ポリスター』:エレファントカシマシ デビューシングル『デーデ』カップリング曲)

 単純に私は「商業ロック」に飽き飽きしたイギリス、アメリカのパンクロッカーとは別趣の、日本のパンクロックをそこに見た。


日本のパンク、日本人の初期衝動とはどんなものだろうか。


 そしてエレカシはその表現の土台となるものに音楽シーンの屋台骨を担ってきた血統のロックンロールを選んだのである。これは世の音楽シーンに対して、その解釈はあくまでも自分たちの衝動に任せた解釈で対峙してみせるというアティテュードの現れである。
 アルバム一曲目の「ファイティングマン」は、後にストリートスライダーズのHARRY氏がカバーしたバージョンを聴いたり、宮本氏が語っているのを聞いていると、ローリングストーンズの「Street Fighting Man」が基調になっていたのではないかと勘ぐりながらも、エレカシのドラマー、冨永義之氏のジョンボーナム(レッドツェッペリンのドラマー)顔負けのパワフルドラミングはその基調を飛び越えてしまっている。
 そうするとローリングストーンズのような洒落っ気が無くなって、それでもロックンロールなノリで真面目に行こうとするあまり、

「オットット」「ヨットット」「オットコドッコイ」「スットコドッコイ」調

が入ってくる。私が見出せるエレカシの独自性の一つである。

 3曲目の「星の砂」も、バットカンパニーの「Rhythm Machine」の様なノリノリではなく、べらんメェ口調の実直で歯切れの良い江戸っ子のノリと化している。歌詞の内容はとても洋楽ロックンロールでノれる歌詞ではない。

 ただし、断っておくべきはエレカシのロックンロールの演奏力というのは、すこぶる高い。RCサクセションのコピーバンドをさせたら日本一と言われていたほどである。ロックンロールの素地は確固たるものがある。
 その上で敢えて既存のロックンロールに対して自分達の内からくる衝動を崩さないスタンスというのは、この時から聴き取れるのである。

 同じような芸術家が、もう一人。

 1890年、ドイツに一人の詩人が登場する。
 彼はドイツのダルムシュタット のギムナジウム(日本の中高一貫教育校に近い)を卒業後、旅に出ていた。ドイツを出、オランダからロンドンに渡り、スイス、イタリア、フランスと渡り歩いた。
 フランスのパリで、彼は偉大な詩人ステファヌ・マラルメと出会う。
この言語芸術に至上の熱情を捧げる、「言語の狂人」の様な詩人の存在は、彼に大きな道標を与えたに違いない。外部から得られる経験を排除し、言語そのものに帰依する純粋詩の追求者である。
 こうしてドイツに戻った彼は、ベルリン大学で学ぶ中、詩集を刊行する。
 友人に向けて作った私家版の薄い詩集だが、詩人のアティテュードはこの詩集『讃歌』において既に峻厳と現れる。彼の名は、ゲオルゲ
 巻頭の代表作「聖なる訪れ」より、

大河に出よ! 誇らしくも高い葦は
やさしい風に旗をなびかせ、
媚びをおびた若い川波らが
岸べの苔にひたひたと寄ろうとするのをさまたげる。

         (中略)

Hinaus zum strom !  wo stolz die hohen rohre
Im linden winde ihre fahnen schwingen
Und Wehren junger wellen schmeichelchore
Zum ufermoose kosend vorzudringen.
(「ゲオルゲとリルケの研究」昭和35年11月10日 第一刷発行 手塚富雄著 株式会社岩波書店 P187~189)

 私には、「ファイティングマン」を高らかに歌う宮本氏が脳裏に浮かぶ。

黒いバラとりはらい 白い風流しこむ oh yeah
悪い奴らけちらし 本当の自由取り戻すのさ
(『ファイティングマン』:エレファントカシマシ )

 さらに、ゲオルゲは詩人としてミューズの洗礼を受けた事を堂々と示し、エレファントカシマシ はファイティングマンとして正義を気取って生きる事を堂々と示したのである。

いまお前は熟した、いま女神は降下する、
月いろのヴェールをまとい
夢に重いまぶたをなかば開いて
祝福を成就しようとお前に身をかがめる。

女神の口はお前の顔に添うてふるえ
聖なる息吹に洗われたお前に見入る、
そしてお前の口の端に指をささえて
お前のくちづけにあらがおうともしなかった。

         (中略)

Num bist du reif, nun schwebt die herrin nieder,
Mondfarbne gazeschleier sie umschlingen,
Halboffen ihre traumesschweren lider
Zu dir geneigt die segnung zu vollbringen:

Indem ihr mund auf deinem antlitz bebte
Und sie dich so rein und so geheiligt sah
Dass sie im kuss nicht auszuweichen strebte
Dem finger stützend deiner lippe nah.
(「ゲオルゲとリルケの研究」昭和35年11月10日 第一刷発行 手塚富雄著 株式会社岩波書店 P188~189)
oh  ファイティングマン yeah 正義を気取るのさ
oh ファイティングマン yeah oh yeah
(『ファイティングマン』:エレファントカシマシ )

  ゲオルゲはここからゲオルゲ・クライスなるサークルを結社する。
後にこのサークルの中心人物の一人となるフリードリヒ・ウォルタースは、

「詩人が(これらの詩作で)自己の言葉を見いだすや否や、彼のうちにはまた次のような意志が高まった、それはその言葉によってはたらきかけよう、そしてまず周囲の世界を自己に最も固有な能力の領域で、すなわち詩作の領域で変化させようとする意志である。(後略)」
(「ゲオルゲとリルケの研究」昭和35年11月10日 第一刷発行 手塚富雄著 株式会社岩波書店 P188~189)

 このアティテュードは、エレファントカシマシ にとってのロックに通じるものだと私は思っている。

                           つづく

 

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