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未熟で繊細でゆらゆらした、そんなわたしの言葉があふれ出しそうな頭の中。

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最近の記事

「結婚」ってなんだ

少し前まで「結婚」って不確かでものすごく遠いものだと思ってました。 それが突然そう遠くはない現実のものとして距離を縮めてきちゃって、 いや、確実にまだ不明確なものなんですが。 友だち関係で今まで未来を共に選択するなんてなかったし、恋愛だって結婚まで考えて付き合うよりはやっぱり「好きだから」、「一緒にいたいから」付き合うじゃないですか。 そんな感じで過ごしてきて、今「これからも見据える」関係というのにそわそわしている。 少し前にまた出会った人のどう考えても「その場しの

    • 「賢い医師生活」で賢く生きたくなった

      《슬기로운 의사생활(賢い医師生活)》の最終回を見終わり、卒業式を迎える日のようななんとも言えない「エモさ」で出演陣の最終コメントを見ている。 生きてきてこれほど平凡で、温かく、優しいドラマには出会ったことがなかった。 いや、これ全「賢医」視聴者たち同じこと思ってるはず。 「優しい」ってこんなにややこしくて、繊細で、難しいんだ、と。 そして本当の「優しさ」ってまずは相手を熟知して理解していく過程に見つかるもので、人間に対する、そして相手に対する知識を持たないといけ

      • どうしても自分の足で歩きたい、欲

        2回目のコロナワクチンを打ったからなのか、コロナが身近にまで迫ってきたことを実感することが増えたからなのか、 どうも精神的にやられてるみたいですごく落ち込んでいる。 そう、無気力。 今まではそんなときに誰かにいてほしい、とか誰か気付いてほしい、とかそんな思いがあふれ出てくることが多かったのだが今はどうも違うらしい。 自分で勝ち抜きたい、という欲がふつふつ湧き上がってくる。 自分のことは自分で責任を持ちたい。 自分の奥深くまで潜ってみたい。 だから逆に誰にも介入さ

        • 自分の幸せくらい自分で守れ

          私はいま、とてつもなく結婚したい。 1ヶ月前まで結婚はしたいと思う人が現れない限り、無理してしたいとも思わないから強要しないでほしい、と言っていた私がふと結婚したくなった。 結婚に対して抵抗感があったのは、「男尊女卑」への拒否感からだった。 この社会は「男尊女卑」が根強く残る社会だ。 私はそのせいで恋愛しながら心から笑ったこともなかったし、結婚なんて私の人生を犠牲にするものでしかないと今でも思う。 中学生の頃から好意の目を向けられることが増えた。 「かわいいね」、

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          再び自分と出会う

          私は、誕生日を目前に控えている。 この年になると、「もうおばさんだよね〜」とか「アラサーじゃん」とか自虐したり歳を揶揄したりが増えてくる。 私もノリでそうしたことがしょっちゅうだ。 でも、そんな必要あるのだろうか? 日本は特に「若さが取り柄」的な文化があるから若さこそ良いみたいな考えなんだろうが、私は25歳を目前としている今が今までの誕生日目前歴史の中で一番ルンルンしている。 泥沼に自分の足で立って生きているという実感がどんどん湧いてくる。 そうやって自分の足で生

          再び自分と出会う

          書くための武器を得た。

          書くためだけのタブレットPCをゲットした。 しかも自腹で初めての大きな買い物だ。 毎日書きたい衝動に駆られる私はスマホでは書いた気がせず、PCは重くてなかなか書くまでに進まなかった。 どこにでも持ち運べる相棒を得たからこれからもっと新鮮な文字たちを綴ることができると考えると、遠足前日の子どもたち以上にルンルンだ。 ルンルンしている。 しかも大切な相棒を自分のお金で買ったということがより嬉しい。 もしかしたら本当にほしいものは、もらうより自分で買ったほうがいいかもし

          書くための武器を得た。

          つらい、つらい。

          コロナの影響を受けていないと思っていた自分も、 知らず知らずのうちにコロナに侵されていた。 今やこの世にいるすべての人が被害者なんじゃないだろうか。 職業柄じぶんのメンタルケアがとても大切だ。 前向きで、少し前向きな私だったらコロナにかからないかぎり 影響をうけることはないと思っていた。 夏までは順調だった。 コロナで時間が止まって自分と向き合える時間が作れた。 でも、あらゆる活動が再開した今、私の心がその急発進に追いつけずにいる。 助けてほしい。 すべて

          つらい、つらい。

          感性に共通点なんてあるのか

          「わかる」が私には分からない。 「わかる」は一瞬で私を底に突き落とす。 何がわかるのか。 ビジネスにおいて「共感力」は最大の武器になる。 これが今の社会の嘘臭さだ。 「わかる」を武器として唾を吐くように簡単に言うのだ。 怖い。何がわかったのか。何をわかったというのか。 感性に共通点なんてあるのだろうか。 私の水に対する憧れや見るものへの思い、 そんな感性に「わかる」とは何と失礼なのか。 軽々しいにもほどがある。 土足でわたしの大切な世界に踏み込んでくるんじゃない

          感性に共通点なんてあるのか

          繊細なわたしは「強い」らしい

          「強くて繊細」 昨日、会話の流れで母が小学生の頃の通知表を出した。 小学校5、6年生の頃のものが残っていてうきうきしながらまっさきに所見を読んだ。 そこに書かれていたのが、「強くて繊細」ということばだった。 何度も読み返した。「強い」と「繊細」が共存しうるのか。 ふたつの言葉を離したりくっつけたり、何度も読解しようとした。 わたしは、むかしから繊細である。気づいたのは最近。 HSPなのかどうかはその基準が定かじゃないし、わからない。 ただ、果てしなく、人の心と

          繊細なわたしは「強い」らしい

          わたしは、「届ける」と決めた。

          日々、頭の中からあふれ出してこぼれそうになる言葉たちをどのようにおさめようかと考えていた。 わたしは、人と言葉でつながることがすきだ。 自分の気もちが文字となって綴られていくことがすきだ。 人の頭の中が文字という記号を通して、わたしの心の中に入ってくる瞬間がすきだ。 基本的に人がすきなんだと思う。常に触れていたいと思う。 言葉はどこにいてもその人に触れることのできる最大の武器だ。 でも、なぜか毎日私の頭の中からあふれそうになる言葉、つまり「想い」を「届ける」ことが

          わたしは、「届ける」と決めた。