感性に共通点なんてあるのか
「わかる」が私には分からない。
「わかる」は一瞬で私を底に突き落とす。
何がわかるのか。
ビジネスにおいて「共感力」は最大の武器になる。
これが今の社会の嘘臭さだ。
「わかる」を武器として唾を吐くように簡単に言うのだ。
怖い。何がわかったのか。何をわかったというのか。
感性に共通点なんてあるのだろうか。
私の水に対する憧れや見るものへの思い、
そんな感性に「わかる」とは何と失礼なのか。
軽々しいにもほどがある。
土足でわたしの大切な世界に踏み込んでくるんじゃない。
私たちは社会に時間を奪われているのだ。
美しいと感じる時間を、
愛おしいと見つめる時間を、
恋しいと涙を流す時間を、
奥深くまで繋がる時間を、
余韻に浸る時間を、
それは「無駄」なものだと。
私たちの感性や時間を平気で奪っていく「ヤツ」に
抗いもせずに「わかる」なんて言わないでほしい。
感性の共通点なんてせめて擦れるくらいなのだ。
あらゆる過程を省略したビジネス的「共感」に
日々、わたしはもう一つの世界を閉ざしていくのだ。
そのビジネス的「わかる」が私の培ってきた大切で愛おしい感性の塊を一瞬で破壊するのだ。
感性を何だと思ってるんだ。
感性に共通点なんてないのだ。
「わかる」なんて、要らない。