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世界一周4か国目:インド美術(2022年8月11日~9月9日)

 インドには南の玄関口チェンナイから入り、1ヵ月間で南から北まで陸路で進んだ総移動距離は約5,000kmでした。

 旅路に関係なく造形的な発展過程を言うと、①インドの原型、儀礼中心の時代を見られるバラナシ、②イスラム系やヘレニズム(ギリシャ)の影響を受けるなどして仏教が造形活動と結びついた北部、③そこから派生したヒンドゥー教美術は南部、となります。

 旅路的には南から順に、チョーラ朝の最高傑作タンジャーヴールとダラスラン、サータヴァーハナ朝の最高傑作アジャンター、ガンダーラに並ぶ仏像彫刻の聖地クシャン朝のマトゥラーと、インド美術の要所を網羅的に回りました。

インド美術に触れる機会

 おそらく多くの日本人が、今までに義務教育など公的なサービスでインド美術にしっかりと触れる機会は無かったのではないでしょうか。日本国内においては、東京国立博物館などに自ら出向くなどしなければ、美術鑑賞の対象としてインド美術を見るという機会はありません。
 しかしインドに来てみれば、触れられなかったときに触れていた美術がいかに小さな領域のものだったかを認識できるほどに豊かな美術で溢れています。
 世界的な大動脈、潮流を成す1つに西洋美術があるのは間違いありません。ただそこに、同じくインド美術が名を連ね、最初の目次のページで肩を並べていても自然だと思える人類の傑作がここにも溢れているのです。

5,000kmの旅路

 上記インド美術の要所と今回訪れた主な都市の一覧を示したのが以下のマップです。

 ご覧のように、周辺の国々が何カ国も入る大きさがあります。通過点の1つとしてインド美術を見るにはあまりにも複雑で重層的な歴史の積み重ねと文化的多様性があります。その点において大陸レベルのこの国を1ヶ月ではとても回りきれません。
 ゴンブリッチは『美術の物語』に、なぜあの国を書かなかったのか、なぜこの国のこの部分しか書いていないのか、世界一周出発以前はこの世界のごく一部を切り取った物語に疑問を感じざるを得ませんでしたが、なるほどたしかに、世界は広いのです。

インド国鉄自由席の様子

 移動手段は主に鉄道またはバス。鉄道を使うと、自由席であれば1,000kmほどを500円前後で移動することが可能です。
 南の玄関口チェンナイからインドに入り、周辺を散策した後にアジャンターの洞窟壁画を見るべくその拠点となる町アウランガーバードへと直行するつもりでしたが、インドの独立記念日の関係で国民の大移動が各地で行われ、北上する交通手段はいずれも完売状態。
 そこでまず行くことにしたのが、チェンナイよりさらにスリランカ付近まで南下した大チョーラ朝寺院群の最高傑作と言われるタンジャーヴール、そしてダラスランでした。

大チョーラ朝寺院群

タンジャーヴール

Brihadeeswara Temple、通称Thanjavur Big Temple
Brihadeeswara Temple、通称Thanjavur Big Temple

 2022年8月のタンジャーヴール。インド人参拝者の多さと対照的に、外国人観光客は1人もいません。
 今は経済中心の時代なので主要なものは大都市に集まります。一方で昔は神など信仰対象中心の生活だったためロケーションが重要です。神話に登場する聖地などに寺院が建設される場合が多く、それは生活する場としての利便性度外視であることも少なくありませんでした。 
 ただ、タンジャーヴールに関しては聖地だからこの規模のものをつくったわけではありません。

 この寺院を訪れてまず目にするのは、通り名の通り巨大な祠堂です。高さは60mを超えます。これだけの規模の建築を創り出すことができる権力を持つ者として、内外に誇示することが、聖地でもないこの場に築き上げた理由です。

中央祠堂内部の様子

 祠堂や周辺の建築物に見られる精緻な彫刻や壁画は一千年以上前のものです。ラーマーヤナの舞台近辺なだけあり今でもヒンドゥー教が力強く根付いています。中央祠堂内部は途切れること無く参拝者の行列があり、身動きが取れないほどの人口密度です。
 この祠堂内部が、アブシンベル神殿入り口を入ってすぐに視界に入る光景とやや重なって見えるのは筆者だけでしょうか。ペルシャの柱構造との関連性がしばしば指摘されるインド。おそらくはここもその1つでいいものを積極的に取り入れる当時の権力者間の文化的交流を想像せずにはいられません。

 南インドのヒンドゥー教美術はチョーラ朝発と言われます。チョーラ朝以降は専ら巨大化と細密化に走り、彫刻装飾も機械的な表現へと移行します。

祠堂を取り囲む回廊に見られる壁画

ダラスラン

Airavatesvara Temple、通称Darasuram temple
Airavatesvara Temple、通称Darasuram temple

 12世紀建立で祠堂の高さは54m、規模はタンジャーヴールのそれより全体的にコンパクトなつくりとなっていますが、精緻な浮彫装飾などは大チョーラ朝寺院群の中でも傑出しています。また祠堂の基壇部側面に車輪やそれを引く馬や象などが彫られており、祠堂全体が山車に見立てられていることがわかります。

立ち入り禁止の壁画保存エリア

 タンジャーヴール、ダラスラン共に壁画エリア以外にも、内装・外装共に豊かな彩色が残っている部分が端々に見られ、褪色以前の様子が偲ばれます。

マハーバリプラム

一枚岩への浮彫《アルジュナの苦行》 横幅26m×高さ9m
一枚岩への浮彫《アルジュナの苦行》 横幅26m×高さ9m

 6世紀から8世紀頃建造された石窟寺院や石積み寺院が多く残るマハーバリプラム。アジャンター石窟寺院やエローラ石窟寺院に強く影響を受けたパッラヴァ朝の王マヘンドラバルマン主導で制作されました。
 
 7世紀につくられた《アルジュナの苦行》は横幅26m×高さ9mあり、磨崖彫刻としては世界最大規模と言われています。描かれているのはマハーバーラタの物語です。
 現実に存在していた神話の世界がそのまま石にされてしまったかのような生命観を感じる彫刻の数々。むしろこの世界が実在していないことに驚きを感じるほどのインド人の想像力と創造力です。

7世紀建造《5つのラタ》

 5つのラタ。ラタとは日本で言う山車を指します。5種類の石彫山車が独特の距離感にそれぞれ位置しています。先ほどの1枚岩に彫られた神々が祭りの準備をここでしていた最中にこちらも同様に石にされてしまったのでしょうか。以降、南インドのヒンドゥー教建築様式の模範とされているようです。
 中でも上の写真一番奥にあるダルマラージャ・ラタは、後にエローラ石窟寺院を代表する名所となるカイラサ寺院に影響を与えています。
 石彫の祠堂を動かせることを前提とした山車として表現することに、人と神が混在するヒンドゥー教の世界観とそこに美術表現を通して近づこうとしていたかのような、当時の人たちの願いや信念があったのかもしれません。

8世紀建造の海岸寺院
8世紀建造の海岸寺院
8世紀建造の海岸寺院

 こちらは8世紀建造の海岸寺院。ここを見た第一印象としては、道の両端にスフィンクスが並ぶルクソール神殿との類似性です。実際にはおそらくシヴァ神の乗り物とされる聖牛ナンディンでありスフィンクスとの関連性を指摘する根拠はありませんが、海洋交易で栄えた港湾都市に異文化の影を見るのは万国共通。現にここでは古代ローマ、ペルシャ、中国など各国の当時のコインが見つかっています。航海技術が確立されていないこの時代の海岸沿いに建つ寺院に、交流していた異国の神が影響していても不自然ではありません。

チェンナイ

Kapaleeshwarar Temple
Kapaleeshwarar Temple
Kapaleeshwarar Temple
Kapaleeshwarar Temple

 チョーラ朝以降南インドで発達した高い祠堂を配置するヒンドゥー教寺院。カラフルな浮彫装飾にはヒンドゥーの多様な神々が見られます。
 ヒンドゥー教の神々は、神話が派生したり時折形態が変化したりとその数3億以上も存在すると言われ、寺院に見られる壁画や彫刻などでもその物語の一端が展開されています。プージャのような祭式・儀礼中心で偶像崇拝をしなかったインドの土着信仰の原点からすると対照的な信仰形態と言えます。

カラフルでフレンドリーなチェンナイの人たち@Kapaleeshwarar Temple


アウランガーバード

アジャンター石窟寺院

 アウランガーバードを拠点として見に行くことができる石窟寺院の2トップ、アジャンターとエローラ。両者の特徴は、アジャンター石窟は仏教寺院、エローラ石窟はヒンドゥー教寺院で共に壁画や彫刻の傑作と賞されるものが残されています。

アジャンター石窟寺院の壁画
アジャンター石窟寺院の壁画

 アジャンター石窟寺院の方が制作時期は全般的に古く、壁画や彫刻などの多くは5世紀から7世紀の間、サータヴァーハナ朝時代に制作されています。さらに制作後1000年以上忘れ去られていた時期があるため保存状態も抜群です。日光にも晒されず人の呼気に含まれる炭素の影響も受けていないこともあり特に壁画は圧巻で、この1ヶ月間で見て回ったインド美術の中では群を抜いて傑出しています。
 西洋美術における古代ギリシャやローマへの原点回帰、ルネサンスがインドで起きるとするならば、回帰される時代はこの時代であり場所はアジャンターとなるでしょう。

バシリカ的構造の寺院も

 石窟寺院の中には、古代ローマの教会建築バシリカ同様の構造を持つ寺院もありますが、アジャンターの信仰対象は仏陀。ここに造形活動が伝わる以前、仏教の偶像崇拝始まりの地クシャン朝にて、ギリシャやペルシャなどの文化が出会い造形的にも建築的にも折衷様式が生まれたためだと思われます。

 バラモンを最高位とするカースト制度では、バラモン以外の身分の者は神々と繋がれない、救われないことを意味します。その不条理に反発し、修行によって高みに到達することができると説いた仏陀。この地に仏教美術の傑作を生み出した背景には、カースト制度によって締め付けられた人々の救いを求める強い意思、バラモンでなくても道を切り開いた仏陀への憧れがあったに違いありません。

アジャンターでは100人~200人ほどに囲まれ撮影をせがまれ退散


エローラ石窟寺院

第16窟Kailasa Temple
マハーバリプラム《5つのラタ》の1つ、ダルマラージャ・ラタ
エローラ石窟寺院にある巨大浮彫彫刻

 エローラ石窟寺院はヒンドゥー教の寺院であり、8世紀後半から9世紀に大きな岩山からそのまま彫り出した第16窟のカイラサ寺院が最もよく知られています。幅46m、奥行85mあり、150年かけて造られました。マハーバリプラムにある5つのラタの内ダルマラージャ・ラタの建築様式を継承しています。
 この巨大な彫刻・建築物の表面を飾る浮彫が表現しているのは、ラーマーヤナやマハーバーラタなどヒンドゥー教神話。アジャンター石窟寺院に描かれた壁画は仏教説話ですが、同じ石窟寺院でも題材は異なります。
 部分的にまだ彩色が残っているところもあり、この巨大な建築かつ彫刻作品でもある寺院全体が鮮やかに着色されていた当時を想像できます。

バラナシ

アッシーガートで見られるプージャ。この時は雨期でガンジス川が氾濫していたためバラモン1人体制。
1年に1回、この寺院生誕記念に祭神である猿神ハヌマーンに捧げられるプージャ。太鼓もバラモン総出というオールスター体制。

 祭式・儀礼中心主義のインドにおける原始的な信仰形態を日常の中で大切にしている聖地、バラナシ。カースト制度最高位バラモンによるプージャが毎日執り行われています。
 独特の音を奏で何かを唱え、火を付け煙りを出すことで、辺り一帯が非日常な神聖な空気に包まれます。時折参拝に来ている地元住民たちがバラモンに合わせて大合唱のように何かを唱えるシーンもあり、適宜進行を補助する役員のような特定のメンバーもいて、周囲にいる誰もが見物客ではなく参加者という印象を受けました。
 供え物の花飾りも1回性のものですがどれも緻密につくられていてとても美しく、信仰心の強さが伝わってきます。ガンジス川ではいつも大勢のインド人が沐浴していて、また火葬場もフル稼働です。
 ヒンドゥー教の信仰を中心に生活や、生誕前・死後をも含む生命が回っているサイクルを身体全体で感じ取ることができる町です。インド美術を生み出すエネルギーの源流を、おそらく今も昔も変わらぬ姿を目に焼き付けました。

プージャの事前準備をする姿が美しい女性陣


アグラ

タージマハルのリフレクション
遠景でみるタージマハル

 1632年から1653年、イスラム系王朝であるムガル帝国により造られた王妃の墓、タージマハル。四方にはミナレットも配置され、用途はお墓であってもモスクそのものです。
 南からヒンドゥー教美術の完成を見た大チョーラ朝寺院群、仏教壁画の最高傑作アジャンター石窟寺院、インド原始宗教の信仰形態が生きているバラナシと見て、ここアグラにはイスラム建築があります。
 この広大な国を1つの国として見るには複雑で、それぞれの層が厚すぎるのもそのはず、現在の国土全体を統治する統一王朝がほぼ存在しなかったからです。これら多様な文化の集合体を「インド美術」として一括りにできるほど、1つ1つがおとなしくないのです。

マトゥラー

 6世紀以降に華開いたヒンドゥー教美術より以前、アジャンターを初めとするサータヴァーハナ朝、そしてマトゥラーを主な舞台とするクシャン朝にて華開いたのが仏教美術です。
 ガンダーラと並ぶ仏像彫刻の聖地マトゥラー。クシャン朝時代、クシャーナ族がインドの仏教思想と西洋の彫刻技術を出会わせた場所です。

マトゥラー政府博物館
気迫の籠もった仏像
仏教美術の偉大なパトロン、カニシカ王像

 クシャーナ族のカニシカ王が美術好きだったことにより拍車がかかった仏教の偶像崇拝。カニシカ王の治世は2世紀頃で、この間に仏像制作も最盛期を迎えます。
 クシャーナ族とはこの辺りを拠点としていた遊牧民です。移動の民が各地で出会った文化同士を出会わせたという出来事が、世界各地に散在する仏教美術の生みの親なのです。どんなきっかけが後世で宝と評されるのか、また新たな潮流を成すのか、現時点ではわかりません。
 
 遊牧民の民族服を着た姿で石像となり後世に伝えられているカニシカ王。約2000年前にこの服を着た男性が踏み出した1歩が、現在の日本でも仏像彫刻として見られるほど、一大潮流を成しています。

初期の仏像はキリスト寄り
マトゥラーで出会った路上生活者の爽やかさ


インドのまとめ絵日記


参考文献

宮治昭『インド美術史』吉川弘文館 2009
前田耕作他『東洋美術史』美術出版社 2000
V. Meena『MAHABALIPURAM』VZINDIA


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