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9arts|古典×現代2020ー時空を超える日本のアート(国立新美術館)

江戸時代以前の名品と現代作家8人とのコラボレーションが味わえる古典×現代2020展に行ってきました。日時指定券は15分区切りでした、細かい。
今回は音声ガイドを借りて、じっくり巡りました。音声ガイドでは、古典代表の各作家・美術ジャンルについての基本情報や現代作家のプロフィールが紹介され、現代作家のメッセージも聞くことができます。

仙崖×菅 木志雄

禅宗の僧侶でユーモアあるゆるーい作品が人気の仙崖と、岩や木などのなんでもない素材を配置して空間を含めたアート(インスタレーション)を展開するもの派の菅 木志雄(すが・きしお)さん。
菅さんの作品はシンプルでクール。岩を四角く配置し、そのうち3つがロープで宙に浮かぶ《縁空》という作品では、城壁や庭園・邸宅の塀とその開口部を示したような印象を受けました。作家の言葉では「難しく考えず、石があるなと思って見ていただければ」(意訳)とのこと。仙崖も、丸を一つ描いて「これで茶でも飲め」と書き添えています。

花鳥画×川内倫子

室町時代から江戸時代にかけて、さまざまな流派の絵師が描いてきた動植物の画題「花鳥画」と、白く飛ばしたような光あふれる写真で世界を切り取ってきた川内倫子さん。
川内さんの写真だけみると、ナイーブな感性で見た日常写真としか思えないかもしれません。ところが、江戸時代の花鳥画、特に清の絵師・沈南蘋(しん・なんぴん)に学んだ南蘋派(なんぴんは)の写実的な作品とともに展示されていると、まだ硬い蕾、孵化したばかりで羽根の濡れた小鳥、吊り上げられた小魚に、生命の生々しさを感じるのです。同時に、18世紀の人が描いた草花や虫たちが現代の光景にもみえてきます。

円空×棚田康司

北海道から奈良まで旅をしながら、全国に仏像を残していった円空と、ひょろりとした体躯の少年少女の木彫を制作する棚田康司さん。どちらの作品も、1本の木から彫り上げる一木造の技法です。
円空は木の個性を生かしてつくるため、仏の姿は反っていたり傾いていたり、自立の難しいものもあります。「木材選びは人に会いに行くようなもの」と語る棚田さんも一本の木から、か細くもしっかりとした芯を持つ人物を浮かび上がらせます。一塊の木と対話して、そこから血の通ったような人型を取り出す木彫の歴史が脈々と受け継がれているのを感じました。

刀剣×鴻池朋子

人を切る道具でもあり、儀式に使う宝物や鑑賞品としての側面も持つ刀剣と、人間の営み・文化の原型である狩猟採集から芸術の根源を探る鴻池朋子さん。
高さ6m、幅24mの巨大な《皮緞帳》と、その間を振り子のように行ったり来たりする人の頭に目を奪われます。天然の素材を鍛えてつくる刀剣と動物を狩って食べる行為は、鴻池さんの言葉によると「自然界のものを人間界に引き摺り込む行為」だそうです。儀式に使用される刀剣も、屠られ命を捧げる動物も、牛革を引っ掻いて神話的イメージを刻み込む鴻池さんの作品や制作そのものも、どこか神聖性を帯びているように思えます。

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仏像×田根剛

滋賀県・西明寺の《月光菩薩》《日光菩薩》の二体の仏像と、場所の歴史や記憶をリサーチして設計する建築家の田根剛さんのコラボレーションでは、荘厳な祈りの空間が出現しました。
カーテンで仕切られた真っ暗な展示室に二体を配置し、その周囲を光源が上下します。光源には平たい笠が付いており、真っ直ぐなエッジを持つ光線は、開け放たれた戸から日光・月光が暗い御堂に差し込んでくるような効果を生んでいます。大勢の僧侶による念仏が絶えず流れ、時間や場所と切り離された抽象的な空間が広がっていました。

北斎×しりあがり寿

日本を代表するアーティストとして世界的に知られ、90歳で没するまで絵師として腕を磨き続けた葛飾北斎と、そんな北斎を敬愛してやまないマンガ家のしりあがり寿さん。
会場では北斎の代表作の「富嶽三十六景」シリーズと、それを現代的に味付けしたしりあがりさんのパロディ「ちょっと可笑しなほぼ三十六景」(和紙にインクジェットプリントというところも現代的)が対で展示されています。優雅に舞いながら、本当に楽しそうに森羅万象を描き出す北斎のアニメーションは、面白おかしいだけではありません。渦潮のように、鑑賞者を深淵で豊穣な北斎ワールドに誘います。

乾山×皆川明

琳派の絵師・尾形光琳の弟で、二人で協働してやきものを制作した尾形乾山(おがた・けんざん)と、可愛らしい柄や刺繍を施したファブリックで長く愛される日常着を提案する「ミナ ペルホネン」のデザイナー皆川明さん。
揃い物の絵付けを少しずつ変化させて個体差を出す乾山のセンスと、手描きの味わいを生かして不均一なドットを生地に落とし込む皆川さんのデザイン、個人の仕事ではなく他者と協力し合ったものづくりと、共通点が多い二人です。やきものは割れたかけら(陶片)も重要な資料であり鑑賞対象ですが、布地を裁断する時にあまったはぎれもサンプルとなり、パッチワークにすれば再利用もできます。会場では陶片とはぎれが同じケースに、色とりどりの花畑のように敷き詰められていました。

蕭白×横尾忠則

奇怪でグロテスクな仙人図などで奇想の画家にも数えられる蘇我蕭白(そが・しょうはく)と、グラフィックデザイナーを経て画家に転向後、生と死、エロスを絵画にぶつけてきた横尾忠則さん。
展覧会には、蕭白と横尾さん、二人が同じ「寒山拾得図」を描いた作品が出品されていました。唐時代の伝説的な僧侶で、巻物を持った寒山とホウキを持った拾得の二人組を描いた伝統的な画題ですが、横尾さんの作品では掃除機やトイレットペーパーを持った姿に変えられています。古典や伝統を学びながらも、それに捉われすぎない天衣無縫さを二人の作品にみることができます。

まとめ

古典の作家・作品と現代の作家の作品は、200年以上も制作年が離れています。しかし共通点は驚くほど多く、日本人の美意識、物事や対象への向き合い方、ものづくりの技術は、現代にまで続いていました。
来館者によっては、古典もしくは現代のどちらかに興味が偏っていたかもしれません。また、私も共通点のある二者の化学反応を楽しむ展示なのだろうと思って来館しました。しかし、二者は対立せずに渾然一体となって鑑賞者の前に立ち現れたのです。
アートは時間も場所も、ジャンルまでも軽々と超えてしまうパワーを持っているのだと感じられました。

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