私は21世紀に源氏物語をつくりにきたのかもしれない(吉田)
栗山さんからのバトンを受け取って、最初の記事を書きます。
はじめまして、吉田と申します。
実はこのnote企画をやろうよ!と最初に吹っかけておいて、その後の進行を松本さんに任せてしまった張本人です。笑
でもなんとか形になって、なにを書こうかなとタカタカタイピングしてみては消し、またおもむろに書いてみては消して、を繰り返しているこの瞬間が至福です感無量です。松本さん栗山さんどうもありがとう。
今日は私が「内省の世界」を泳いで得た感覚についてのお話をしようと思います。
きっかけは「違和感」
普段は職場でゴリゴリ働いている私が、どうしてこういうぬるめのnoteなんかをやりたかったかと言いますと、ズバリ「ただがむしゃらに仕事をして、指数関数的に業績を伸ばすことに疲れたから、意義を感じられなくなったから」に他なりません。
入社当初は「上場とか目指さないんすか!」くらい鼻息荒くしていました。成長とか経験に飢えていたんだと思います。
でも、ある程度がむしゃらに働いて成果もついてきたくらいから、いまいちしっくりきてなかったんです。
仕事をしている私って戦略的でしたたかで、それでいてエネルギッシュなインパクトもあって、後先考えない大胆さとか思い切りとかを使って成果を出していると思います。
多分、松本さんと栗山さんもそういうイメージじゃないです?
でも、ここ数年の私の願いは「空が広いところで暮らしたい」「朝から土鍋で米を炊いて暮らすような生活がしたい」「ていねいな暮らしがしたい」「余白が欲しい」。
口を突くように気がつけば言っていて、それが本当の願いでもあって。
じゃあ仕事してる時のこの私はいったい誰なんだろう。
一方で、仕事を通じて、世の中に発揮したい影響の方向性はめちゃめちゃしっくりきています。
当社の事業内容は、制限的に自分を捉えていた人が自分らしくイキイキと人生を送るきっかけを作ったり、その結果あたらしい事業や文化が生まれたり、ということをコアとしていて。
それは本当に信じられているし、これからもそうありたいという願いに近い。
問いからますます深まる「違和感」
プライベートでコーチングを学んでいて、そこのスクールでも、類似したみぞみぞする問いをもらいました。
もういよいよ訳がわかりません。
私の中にこういう私もいるな〜っていうのは発見できて、合計7人くらい確認できました。みんな動的でエネルギッシュで活動的で狡猾で、すばしっこい感じのやつばかり。
私が心に飼っているのは、リスもいるしギャルもいます。主人公気質なやつもいる。多分軍師もいます。テキパキ掃除してるマメなひともいます。
でも、全員土鍋で米炊いたりなんて到底しません。朝は食べないかプロテインで済ませそうです。
しっくりこないまま4ヶ月ほど、主演が決まらないオーディションをずっとし続けてる気分でした。
でもちょっとだけ予感していることがありました。
賢くて凛としていて内側に芯を秘めている、淡い色を纏っている和服の女性のイメージ。
(自画自賛しすぎだろという声が聞こえてきそうですが一旦無視します)
これならしっくりきそうなんだよな〜。
「違和感」を埋めるセンターの正体
そして、ある時、出会ってしまったんです。
本日時点、暫定一位の「私」に。
大のNHKオタクの私は、今期の大河ドラマ「光る君へ」をもれなく齧りついて見ているのですが、そのメイキングで主演の吉高由里子が、主人公のまひろ(のちの紫式部)について、こんなふうに言っていました。
なるほど。
日本史の教科書で習った紫式部のイメージは、なかなかブッ飛んだ官能恋愛小説作家で(あ、源氏物語のことです)、清少納言のことをカゲでdisり散らかしてる陰キャな腐女子だと思っていました。
※だいぶオーバーに表現しました
でも、そうか。
平安中流貴族の彼女はきっと独特の余白をまとっていて、急き立てられる暮らしからは程遠かったことはイメージできるし、きっと男性にも負けないくらいの知性を身につけた賢い女性だったに違いない。その上、静的なオーラの中に秘めたるイカれたクリエイティビティ。
彼女の何気なく書き残した手記は、千年もの時を超えて息づく文化となり、それによってたくさんのひとの人生にインパクトをもたらしている。
その紫式部のイメージは、私自身のセンターにぽっとハマるような、そんな感覚がしたんです。
その日から、胸の真ん中に「紫式部」を置いて暮らしてみています。
吉高由里子に倣って「パープルちゃん」ってあだ名にしています。
だから余裕が欲しかったんだね〜ってことにも自分で腹落ちしたし、最高の仕事をするためにも自分に必須の要素なんだと納得できたことで罪悪感ゼロで余白を確保しにいけています。
それから、自分のイカれてるところをもっと出していこうとも思ってます。まともな人間でいなきゃと思っていましたが、どれだけ狂ったアイディアを捻り出せるかの方にワクワクしています。
小学生ぶりにクレヨンでのお絵かきを再開してハマったりもしています。
本当に自分がやりたいことのイメージもより解像度高く言語化できるようになったから不思議です。
ああ、私は何十年後も何百年後も息づく事業づくりがしたいのだなあと。
大きくなくていいし、派手でなくてもいい。でも生活にとけこんで文化になるような、そんなものを世に生み出したかったんだ。
短距離走で、株式市場からの評価を得るために刹那的な売上を作ったり、納得いかない提供価値のまま走ることに対する違和感はここから来ていたのか、と。
自分の深淵に会いにいく過程は、とても孤独で、たまにグロくて。
これからも変わっていくものだろうけど、少し近づけてびっくりするほど親近感を感じていると同時に、和歌とか初めてみたらスパークしてしまうんじゃないかと暢気なことを考えている、そんな今日この頃です。
それでは次を松本さんにお戻ししますね。
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