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セコイア国立公園 | 樹齢2200年、世界一の木に会いにいく 【カリフォルニア州】

とにかく何もかも大きなアメリカ。
都市部こそ繁栄した印象を受けるが、少し離れるとそこには広大な畑や牧草地、手付かずの自然が広がっている。大都会などほんの僅かな地域に過ぎない。
飛行機に乗って見える空からの景色も、車で行く地上の景色もどこまでも果てしなく「地球」という惑星を感じさせてくれるありのままの自然が広がっている。

カリフォルニア州ロサンゼルスを早朝に出発、車で約4時間ほど北上しセコイア・キングスキャニオン国立公園(Sequoia&Kings Canyon National Park)を目指す。カリフォルニア州シエラネバダ山脈の南部に隣接して位置するこのふたつの国立公園の総面積は約3500平方キロメートル。(セコイア国立公園だけで約1600平方キロメートル)東京の総面積は2200平方キロメートルなので、両公園内に東京都がすっぽり収まってしまうというから驚きだ。


西海岸カリフォルニア州の中央部にある

またこの国立公園はアメリカ国内で2番目に古く、深い渓谷や豊富な水量を抱える渓流、洞窟など豊かな自然が広がる森林帯で、中でも最も有名なのはジャイアントセコイアの木。最も古いものは樹齢2200年を超えるという。


大都会ロサンゼルスを少し離れると美しい丘陵地帯が現れ、さらにその山を下るとオレンジの果樹園がどこまでも広がる。カリフォルニアはオレンジの産地としても有名だ。
国立公園手前の町で立ち寄ったファーマーズマーケットでは新鮮な野菜や果物と共に搾りたてのオレンジジュースを販売していた。何も加えていない素材そのままのオレンジジュースは風味も甘味も非常に強い。ぎゅっと生命エネルギーが詰まっていて。今まで飲んだ中で間違いなく一番のオレンジジュースだった。


生のオレンジもおまけで頂いた


その町から1時間ほどオレンジ畑を走ると美しい湖が現れ、間も無くセコイア国立公園の入り口に到着。

入園口からさらに車でつづら折りの山道を進む。はるか彼方に見えた山々はいつの間にか見下ろすまでになり、標高が上がるごとに外気温は少しずつ下がりやや肌寒い。緑豊かな景色は日本の山地に似ている気がした。

標高1800メートルを越えたあたりからセコイアの森林が姿を現す。
ここからはトレッキングシューズに履き替え、森を散策する。車道から少し離れると林の中はとても静かだった。
うっそうと茂る暗い森ではなく、空がよく見え光が入り、ある程度遠くまで見通せるほど木々の密度は小さい。
足元には小さな桃色の花が一面に広がり、豊かな苔も広がっていた。


足元の小さな森


木々を吹き抜ける風が心地よい


明るい林はまだ若く細い木も、千年単位で生息しているであろう大木も混在しているが、どの木も真っ直ぐ天に向かって伸びている。細い枝は伸びているものの、枝葉が横に広がることなく上部で歯が茂っているのが特徴的だ。
そして巨木の近くへやって来ると思わず足をとめ見上げてしまう。
2000年、一部の木は3000年以上とも言われるほど長い年月を根を張り生き続けるジャイアントセコイア。数千年経ってもなお成長を続けているそうだ。高さもさることながら、その幹の太さに圧倒される。
重厚感あるその存在感は長老そのもの。静かに語りかけるような気持ちで深呼吸を繰り返す。

馬の蹄のよう

この公園内にはいくつか名前のついた木があるが、その一つであるシャーマン将軍の木(General Sherman tree) は体積世界一とのことだ。

General Sherman tree
左に小さく人が写っている
そのサイズ感が伝わるだろうか
体積世界一の木
直径11メートル
周囲31メートル
高さ84メートル
推定樹齢2200年
木肌は馬の背のようだった
年輪が美しい


多くの木の一部分が黒く焼き焦げており、そこかしこに山火事の痕跡が見られる。炭化し立ち枯れたものや巨大なセコイアの内部だけが燃え尽き空洞となっているものなどが散見された。北米の森では山火事は避けて通れないものなのだろう。

訪れたこの日も、一部森林火災が起こっている場所があった。焦げ臭い匂いが漂い、煙で視界は不明瞭だった。

しかしこの山火事、単に森を破壊している悪者というわけではないらしい。
実はこの火災こそがジャイアントセコイアが数千年も生きることができる環境整備の手助けになっているというのだ。
セコイアの木は厚く耐火性のある樹皮を持っており、種子は山火事の熱で落ち枝葉が焼かれたあとの土でしか発芽しないという。また他の木々が生育するのを阻害することで、栄養素や日光を効率よく取り込める環境になるのを助けるのだという。古代より適応を繰り返し、生き抜いてきた故の特殊性なのだろう。

以前は山火事の際に積極的に消火活動を行った時期もあったというが、それによって新しい種の生育が滞ることがわかり、最近では必要以上に介入せず自然のままに任せているのだそうだ。
火災により炭化した木々も再び森林の養分となり新たな命の手助けとなる。森全体として生き続けるため、一つ一つの命はリサイクルされていく。

森の中で命がリサイクルされるように、私たちも地球の一部として土に返り再び何かの生命の一部になるのかもしれない。

まだ細く若い木々は
燃え尽きている
大きな木も内部が燃え尽くされて
表皮だけが残っていた。
それでも上部の枝はには緑色に茂る葉が


古代から生き続ける巨木の森を歩いていると、昨今の地球温暖化問題が本当に我々人類の産業化の加速により引き起こされているものなのだろうかと疑いたくなる。
確かに産業革命後、人類の傲慢さが自然を破壊し続けてきたのは事実だし、実際に汚染された大気が我々の生活圏を脅かしている。
地球を慈しむ気持ちで、エコロジーに取り組むことは大いに賛成で、むしろその流は止めてはいけないと思うが、一方で我々人間が暮らす地域など大きな地球のほんの一部でしかないともいえるわけで、人間の手で自然を破壊し温暖化に至らせると考えることもまた傲慢である気がしてならないのだ。
地球には地球のサイクルがあり、温冷を繰り返すその大きな転換点にたまたま私たちは生きていると考える方が自然なのではないだろうか。

専門家だって意見が分かれるのだから本当のことは私にはわからないが、しんと静まる巨木の森の中を歩いていると、ナウシカやもののけ姫、猿の惑星などの世界観が心に浮かび、自然界から問いを投げかけられている気がしてならなかった。

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