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友達に長文メールが送れない

自分の思っていることを伝えたいけどメールにすると長すぎる。

LINEやWhat`s APPなどのSNSアプリが普及した今、こんなことを考える人は多いのではないだろうか?

私はそうだ。長文になると返しにくいのでは?重く思われるのでは?自分のことばかり話しすぎていないか?こんなことを考えて結局一言、「元気ー?」しか言えない時がよくある。

いや違う。言いたいことが多すぎて長くなり、失敗した!という経験は何度かある。ごめん友よ、そしていつもありがとう。

でも、しかし、私の頭の中にはいつも言葉が溢れている。素敵な出来事や面白い出来事が起きたり、素晴らしい作品に出会ったりすると私の中のリトル俺はそれを言葉でどう表現しようかと暴れ出す。

しかし言えない。
友達には送れない。

オタク気質の私の熱い長文の叫びを送りつけるわけにはいかない。友達は私と同じく忙しい社会人がほとんど、子供を持つ友人も多い。

どう考えてもスクロールする量の文章は気軽には送れない。

しかし思い出した、ブログという存在があるということを
そしてこの中では思いの丈を自由に語れるということを

なんと素晴らしいフォーマットなのだろう。改めて運営してくれている誰かさんに感謝の念を抱きつつ、私のこれ良かったー!ねえ、これ素敵だったよ、こんなことがあったよ、ということをどこかの誰かさんに手紙に送るような気持ちで書きたいと思う。

誰かへの手紙だと返事も気にしなくていいし、何より既読なんてステータスもつかないし。素敵だ。

そしてこれを書いている今、私は日本から遠く離れたドイツのカフェにいる。書くことを目的にした会で、私の周りの人々もそれぞれ、自分のPCに向かい、ただ書いている。

斜め前の女性は自分のための小説を書いているそうだ。
ファンタジーが大好きで、近未来の舞台で、地球が住めなくなったあとの話だという。素敵だ。

オーストラリアから来たという男性は、自分の本を書いているらしい。読んでいる人が飽きないように、1ページごとに違うトピックにするという。素敵だ。

私は長文メール送りづらいし、ブログで手紙書くつもりで書けばいいじゃん?という何とも高尚なことからはかけ離れた動機ではある。ドイツにいるのでタイムリーなメッセージも日本の友達には送りづらかったりするのも動機の一つだ。

でも自分の考えていたことを文章にする作業ということが久しぶりで、結構楽しいことだったということを思い出した。

実際の会話は結構相手とのリズムや流れによるものが大きい。相手のテンションや興味に合わせてトピックを変えたり反応を変えたりする。

そうやって人と合わせて何となく過ごしてしまうことも多く、自由に文章を書いていいと言われるとヤッホイ!となってしまう小心者だ。

この書く会はあと数分で終了し、その後30分間フリートークの時間が設けられているが、きっと思ったことの半分も言えないだろうな、共通言語は英語だし…と思ったりしながらこの文章を書いている。

そして案の定軽妙なフリートークなんてできず、買い物をするという理由で退散した。いつもは買わないレンチンできるポップコーンを買ってしまった。焦げた味が染みる。

コミュニケーション好きの社交下手。やはり文章の方が私の言いたいことは言えるようだ。






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