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本当の進路指導って何だろう。【元先生が、本気出して考えてみた】

先日、こんな記事を見かけました。
https://benesse.jp/juken/202102/20210203-2.html

呼んでいて、思ったことがあったので
記事にしてみようと思って書いてみました。

◎進路指導について本気出して考えてみた

僕自身、
高校受験・大学受験と受験をしてきたし
ありがたいことに、そこそこ名の知れた大学へ進学もさせてもらった。
塾講師として10年受験に関わってきたし
今でも家庭教師の仕事をして、受験に関わっています。

受験が決して嫌いなわけでもないし
必要なシステムであるとも思う。

けど、ちょっと納得がいかない部分があるんです。

◎受験・入試の「無謀化」

僕は、受験や入試が
「無謀化しすぎている」
「無責任化しすぎている」と思っています。


僕がサッカー好きなので
サッカーの例えで話しますね。

大学受験や高校受験で
東大とか京大みたいな偏差値が高いところへ行こうとする
箱根駅伝に出るような超有名校に行こうとするのって
「プロサッカー選手になりたい!」みたいなものだと思うんです。

けど、
サッカーしている人が
全員プロ選手になりたいわけではないし
目指しててもなれない人だっている。
もしかしたら、才能や家庭環境だって要因かも知れない。

ただ、一つ確実に言えることは
それ相応の犠牲や努力といった対価を必ず支払って、
プロサッカー選手になるはずなんです。

「プロになるために頑張る」のであれば
結構頑張らないといけないと思うんです。
数年から数十年単位で、必要なことだと思うんです。

受験や入試も同じで、
「東大や名の知れた有名大学へ行きたい」なら
それなりの頑張りをしないといけないと思うんです。
同じように数年から数十年単位で。

もし、受験生が
「高3から受験勉強」「中3から本気出す」
「部活引退してから本気で目指す!」
と本気で思うのであれば、
「現役で有名校に合格する」という考え方って、
僕は無理があると思うんです。

「一年でプロサッカー選手になる!」
って言っているようなものなんですから。


もちろん
高1でも高2でも努力をしてきて
高3で部活引退してから
「より努力の密度を上げる」
「今までよりもっと量をこなす」
のであれば、話は別ですよ。

「浪人して努力を続ける」という選択をするのも
「社会人を経験してから大学を受験する」という選択も
僕はありだと思っているし、
もっと一般化して欲しいとすら思っています。

けど、そうじゃない考え方が
あまりにも広がり過ぎていると思うんです。

学校の先生にも、塾の先生にも
「受験勉強は、高3からで間に合う」と言う人はいるし
「高1高2からそんなに頑張らなくても」と遠慮してしまう人もいる。
目標が決まりきっていない生徒さんのが大半ですから
そう言う思いを持つ気持ちはわかります。
はっきりと1年生から「〇〇大学へ向けて努力する」なんて
言える人の方が少ないですから。


だったら、先生がやるべき仕事って
「先を見せる」ことだと思うんです。
あらゆるメリットもデメリットも考えられるように。
どんな努力が必要なのかを考えられるように。


進路希望用紙って
「ちゃんと考えてくるんだぞ」って
ひとこと添えるくらいじゃないですか。
そんなに適当に考えさせていいものなんでしょうか?

入塾面談って
「今から頑張れば間に合いますよ」って言うじゃないですか。
「ひとまず〇〇大学を目標にしましょう」って言うじゃないですか。
そんなん詐欺じゃないですか?
そんなん無責任すぎませんか?

行きたい大学や行きたい高校について
なりたい自分や自己実現について
自分の夢ややりたいことについて
本当は、もっともっと考えて、
そのとき最適だと思える選択をしていくことが
大切だと思うんです。

◎進路指導の敗北

偏差値重視・名前重視にしてしまっているのは
現役合格が素晴らしい・浪人は悪という思想になっているのは
社会人の大学進学が敬遠されるのは
「進路指導の敗北」だと思うんです。

自分の進路について
「僕はプロサッカー選手になるんだ!」
「私は日本一のピアニストになるの!」
ってずっと言わせ続けるのが、
進路指導なんでしょうか?
自己実現なんでしょうか?

プロサッカー選手になるなら
ピアニストになりたいなら
どれほどの犠牲を払い
どれほどの努力をし
どれほど厳しい道なのかを示し
その上でも「行きたい」と思うのであれば
相応の努力を促す

その道に挫折したのなら
別の道を模索しようと思うなら
選択肢を増やしておきたいと思うなら
プロサッカー選手を目指せなくなる
ピアニストになれなくなるリスクを示し
どんな方法を取れて
どんな努力をして
どんな道が存在するのか
ともに考える。
その上で、別の道を歩むなら
その選んだ道を全力で応援する。

そんな指導が必要なのではないでしょうか。

夢を「あきらめさせろ」という意味ではありません。
目標を「下方修正させろ」という意味ではありません。

何のリスクも考えさせず
何の現実も見せず
何の手段も与えず
野放しにするのって、
「教育」なのでしょうか?
「指導」なのでしょうか?


◎本来の形って…。

本来これは「家庭」での話し合いや
「家族間」でのコミュニケーションが土台にあるべきです。

けど、
「家族でしっかり考えてください」って言ったって
何をどう考えればいいのかなんてわからないですよ。

兄姉がいる家庭の弟妹なら
考え方もわかるかも知れません

身近に年上のお兄さんお姉さんがいたら
やり方を聞けるかも知れません。

けど、
出生率が下がり、一人っ子が増えているこのご時世
地域コミュニティの関係性が薄れているこのご時世
「考える土壌すらない」
「どう考えていいのかすらわからない」

だから、
先生や塾に丸投げする
偏差値や名前など、わかりやすい指標を見る

そんな状況が
「偏差値重視」「名前重視」の風潮を
生んでいるのではないでしょうか。

進路に対する意識が希薄すぎるから
「僕も私も現役で行かなきゃ」ってなるのではないでしょうか。

◎これからの進路指導へ提言

そんな風潮を見て
受験を無謀化させている
受験を無責任化させている
そう僕は思うのです。

もちろん
これを「先生がやらなきゃいけない」というわけでは
決してないと思うんです。

先生が保護者会や生徒集会を開くのだってOK
塾と連携して、講演会を開くのだってOK
動画を撮ってYouTubeで配信するのだってOK
僕のような教育フリーランスが、話して回るのだってOK
ホームルームで進路指導についての時間を取って、
そこを任せるのだってOK。
進路についての考え方だって多様化しているのだから
就職活動のOBOG訪問みたいに
いろんな人の話を聞くのだってOKだと思うんです。

先生に協力していただく必要はあると思います。
けど、講演時間中、先生は休憩してたっていい。
人に振っている間は、別の仕事してたっていい。
こっちの方が、生産性も上がると思うんです。

「より良い進路指導をする」
「しっかりと先を見せる」
「一人ひとりのゴールを明確にする」

それができれば、普段の指導だってしやすいはずです。


子どもの未来を「一緒に考える」ために

自己実現について考えるための土壌を作る
進路について考えるきっかけを与える
考え方を教える ことが、

現代に求められている「進路指導」なんじゃないかな。

そうして自己実現・なりたい自分・進路について
しっかり考えることができれば
進学した後の学生生活がとっても豊かになると思うんです。

もし、なりたい自分が変わっても
一度自分でしっかり考え抜いた経験があれば
考え方がわかっていれば
同じように考え直して軌道修正することが
できるようになると思うんです。

そんな「本当の進路指導」
広まっていくといいなと思います。

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〜ライター〜
わかやん
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