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『怪物』と『TAR』にノれない理由(わけ)
映画ファンから熱狂的な支持を受け、今年の映画ランキングを席巻しそうな『怪物』と『TAR』だけど、個人的にはノれていない。
「実はそんなに余白のない物語を、豊かな余白(多様な解釈や味わい)があるかのように語っているのでは」というのが2作に共通して感じているモヤモヤ。
2作とも、パズル的な構成・語り口を採用しているけれども、主軸となる人物の行動原理は明快.....いっちゃえば割と単純。
もちろん「
デヴィッド・フィンチャーと実存主義
デヴィッド・フィンチャーのフィルモグラフィを概観しながら、彼のストーリー的なテーマとして重要と思われる『実存主義』と各作品のあらすじとの符合を、つらつらと書いていくnoteです。映像技術の面には言及していません。
あと最初に言い訳しておきます。
雑記です!大してまとまってません!
実存主義浅学な身の上(いや謙遜でもなんでもなくマジ)であるので、非常に雑な認識であるとは思うが、実存主義とは「人間の
火の運び手〜『ザ・ロード』から『悪の法則』への接続
※『ザ・ロード』『ノーカントリー』『悪の法則』の内容に触れています。
火
コーマック・マッカーシーの作品群における"火"とは何か。
『ザ・ロード』では、少年の無垢な心、ひいては人間の善性や希望の象徴であるように思える。
しかしマッカーシーの他作『血と暴力の国』『悪の法則』と比較すると、もう一つの象りが見えてくる。
プロメテウス
マッカーシーは、ギリシア神話の"プロメテウスの火“をモチーフに
外山恒一氏への疑問・ツッコミ。『小山田圭吾問題の最終的解決』について。
※
本文は他記事からへの引用も含め、13,000字ほどです。
最低限に抑えるよう務めましたが、凄惨ないじめに関する描写がございます。その点ご注意ください。
また、当方noteでの執筆は初となります。
恐れ入りますが、不備・不足があればご指摘くださいませ。
●まえがき
はじめまして。ハンドルネーム:クロサキと申します。
このノートは、外山恒一氏による『小山田圭吾問題の最終的解決』に疑義を呈するため