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時間に対する価値観を変えたら幸せになってきた

施設にいた関係で高1からの2年間をほぼアルバイトに費やしていたからか、時間を無駄にすること≒損失という価値観が常にあった。
当時時給1013円で働いていたので、自分の1時間の価値は1013円であり、1時間1013円に満たない行動は無駄で、すべて損だと思っていた。
実際の時給は自分の時間に対する価値ではなくて、行った労働に対する対価だったのだけど。

アルバイトを辞めて施設を出て生活保護で暮らすようになってから、当時とは比べ物にならない程時間とお金に余裕ができた。
初めのうちは働かずに得るお金と最低賃金で働いていたときよりも裕福な生活に困惑しながらも、時間を無駄にすることは悪という価値観は変わらなかった。
働いていないながらも自分にとって無駄なこと、意味のないと思ったことに時間を割くのは避けていたし、体調が悪くて何もできなかった時間に対しては罪悪感を抱いていた。
毎日を意味のある1日にしたかったし、そのために努力することは義務であると、自分の頭の中では決めつけていた。意識が高すぎたのかもしれない。

具体的に何があって意識改革がなされたのかはわからないけど、ここ数ヶ月の間で時間への価値観に対する転機が起こった。
多分何もする必要のない時間がデフォルトになったことで、その時間の全てを「1013円以上の価値」のある時間にするのは難しいということに気がついたのだと思う。
それからは罪悪感を感じながらも徐々に、以前なら無駄だと切り捨てていたことにも目を向けられるようになった。

考え方を変えたら、無駄だと思っていたことも結構たのしかった。
今日が終わるのが勿体無くて夜更かしをしていたのを辞めたら健康になったし、いくら増やしても意味のないゲーセンのメダルゲームはやり込む度に新たな発見があったし、興味のなかった漫画は全巻読んだら案外面白かった。

嬉しい誤算だったのは、「無駄だからやらなかったこと」を続けたことで「やりたくてもできなかったこと」ができるようになってきたことだ。
鬱になって集中力がなくなってから数年間、まともに本が読めなくなっていた。
だけど時間に対する価値観が変わり、毎日漫画アプリで漫画を読むことが習慣になったことで、試しに電子書籍を読んでみたところ、今まで読めなかったのが嘘だったかのように、最後まで本が読めるようになった。
本は時間が勿体無くて読めなかった訳ではなかったし、読もうと思って買った本も積んでいたから、本が読めないことと時間に対する価値観の変化は一見関係がないように思えた。
それでも毎日スマホで漫画を読むことを習慣化できなければ本を読めるようにはならなかったので、無駄だと決めつけていたことは案外意味のあることの達成につながるのではないかと思えた体験だった。

人生に無駄なことなど1つもない。そんな綺麗事には共感できない。
必要のない痛みは受けない方がいいことを分かっているつもりだから。
だけどわざと地獄を覗く必要はないけど、自分の見える範囲で面白そうなことがあったら、時間と精神の余裕がある限りチャレンジしてみるのも悪くない気もするね。

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