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閉鎖病棟にいた小学生

中学生の時に2回、一番長かった時で8ヶ月児童精神科病棟に入院していたんだけど、その病棟には小学生もいた。
本来なら家庭で生活し学校に通っているはずの年齢の子が、精神科の閉鎖病棟に入院するほどの事情ってどういうことだろう。
当事者の立場だし本当の事情はわからないけど、入院中に出会った小学生の子の中でも特に印象に残ったAくんの話をしようと思う。

1回目の入院で最初に仲良くなったのが、当時小学3年生になったばかりのAくんだった。
退屈な毎日の繰り返しである入院生活では新規入院者は物珍しいのか、Aくんの方から話しかけてくれた。
お互いに名前と年齢を言い合ったあと、興味本位でどれくらいここに入院しているのか聞いてみた(後に自分が古参になってから、入ってきたばかりの子にこれを聞かれるのは結構ムカつくことに気づく)
Aくんはニコニコしながら指を8本立てた。
それが8ヶ月という意味なのか、適当に数字を挙げただけなのかはわからなかったけど、その後の入院生活の中でAくんはかなり古参の部類に入っていることを知った。

わたし含め小学生のうちから精神科に通う時点でそれなりに事情があるはずだし、入院ともなると家庭や社会でやっていけない相当な理由があると思う。
だけどわたしの個人目線で見る限りは、児童精神科病棟に長期間いるAくんにはとても精神科の入院治療が必要とは思えなかった。
毎食後に向精神薬を飲んでいるからか身体はとても小さかったけど、年上の中学生とも物怖じせずコミュニケーションをこなし、常に明るく、情緒不安定になっていた時を見たことがない。
そんなAくんがなぜ閉鎖病棟に入院していて、なぜ大量の向精神薬を服用する必要があるのかがわからなかった。
唯一わかったことといえば、閉鎖病棟に入院しているという"特殊"な生活はAくんにとっては既に"日常"になっているということだった。
七夕が近づき病棟内で短冊を書くイベントがあったとき、病院の外が"日常"であるほとんどの子が「退院したい」「外で遊びたい」と願い事を書く中で、Aくんは「200まいのおりがみがほしい」「本がほしい」と書いていた。"日常"である病院の中で叶う願い事だった。
仲良くなったとはいえ踏み込んだことは聞けないまま、わたしの方が先に退院して、Aくんの入院生活は続いた。

驚いたのは、わたしが1回目の入院を終え、半年後に再入院した際にもAくんがいたことだった。
というか、約30人の入院患者の中で、10人くらいは見覚えのある顔だった。わたしが退院し外の世界でいろいろやっていた間にも、変わらない"日常"を100日以上繰り返した子どもたちがこんなにもいたのか。
半年後に再会したAくんは、何も変わっていなかった。
わたしのことを覚えてくれていたようで「前もいたでしょ」と声をかけてくれた。

もう2年近く入院していることになるAくんは、最初に出会ったときも2回目に出会ったときも精神科に入院するような病気があるようには思えなかったけれど、長期で入院している子はほとんど外泊で家に帰る土日も病棟にいて、Aくんが外泊に行くのを見たことがなかった。
児童精神科病棟には、さまざまな理由で家庭で生活できない子どもたちが入院している。
子ども本人に問題がなくても、親の方が病気で育てられないとか、児童相談所の一時保護委託で施設からやってくる子もいた。
憶測だけどAくんはAくん自身に問題があるというよりも、帰ることのできない家庭に問題があって、そのために病棟で日々をやり過ごしているようにも見えた。

2回目の入院ではわたし自身も長い入院生活を送る中で、そんな大人の事情も何となくわかるようになって、後に入院してきた子が先に退院する時に素直に喜べなくなって、普通じゃない生活が"日常"に染まっていく感覚があった。
その時小学4年生だったAくんが中学3年生だったわたし以上に長い入院生活中に何を思っていたのかはわからないまま、2回目の入院もわたしが先に退院した。


退院して数ヶ月経った頃、病院の外来待合室でAくんの姿を見た。
Aくんは待合室の椅子に座ってタブレットで動画を見ていて、隣に座る母親らしき人が若くてやけに美人だったのが印象に残った。
年単位の入院生活から退院したAくんが本当の"日常"の生活に戻れたのか、そもそもなぜそれまで入院し続けていたのかは最後までわからなかったけど、帰る場所がある外来の待合室にAくんがいたことが嬉しかった。


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