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場合分け

年単位で鬱病をやっているということで、とにかくとりあえず、嫌なことがあれば希死念慮を持つことで解決していた。

すぐに死にたくなることは、健全な思考ではないはずだ。
だけど悪いことばかりではなかった。
希死念慮を抱えると自分の命を嫌いになるけれど、その他の負の感情を持つことはなかった。
だから自分以外を責めたり、嫌いになったり、人間関係を壊すといった他害は少なかった。

躁鬱の周期的にマシになったタイミングで、なんとなく死にたくなるのを辞めてみた。
それでも死しかないときは死でも良いことにしたけど、それ以外の場合はなるべく死にたくならないようにした。

苦痛を対処するための選択肢として死を願うことを辞めたら、案外生活で死にたくなるような事柄は少ないことに気づいた。
というか、これまで死にたくなっていたような場面でコレは苦しいけど死ではないね、みたいな場合分けができるようになってきた。
多分当たり前のことなんだけど、そういうことを改めて自分で閃いたり発見したりするのって大事なんだと思う(友人曰く、車輪の再発明という言葉があるらしい)

問題点としては、やはり単純に死を望むよりは根本的な解決を考えてしまうため、感情の矛先が自分以外に向きやすいことかな……。
メンヘラの中では温厚なことだけが取り柄だったのに、人間関係クラッシャーにでもなったら本末転倒だ。

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