『テンシンシエン!』第3話
◆「タイショクノギ?」
2021年1月14日、木曜日
2回目の面談。私の気持ちはもう決まっている。
年末年始の休暇中、私が辞めた後の様々な事柄について、その予測と考察を行った。現在進行中のプロジェクトに関しては、その行方と起こりうるケースに対する複数の対応策と、それぞれの対応策にあわせた投資計画を作った。また、部下たちの力量を客観的に評価し、人員計画の見直しと後任者の選定を行った。そして、これらに関するレポートを比較的品の良いページ数と言われる30ページ程度にまとめた。
幸いプロジェクトに対し、とても好意的な人間が次期経営陣に抜擢されると聞いている。おそらく部下たちは、彼らからの経営的サポートを受けることになるので、私のように裏で根回しや調整をするようなセコイことはしなくて良いだろう。
突貫工事でいくつかの資料や投資計画の見直し案を準備したが、とりあえず、現時点での結論は『私が辞めても会社には何の影響もなし』だ。
”プープー、プープー・・・プープー、プープー”
時間だ・・・
結局、谷村執行役が言うには、社長らと相談した結果、転進支援制度への応募を了承するということだった。意外にあっけなかった。正直なところ、そんなものかと少し拍子抜けだ。とりあえず作成したレポートは送っておいた。谷村執行役が読むのかどうかは別にして、とりあえず自分としての誠意ということで。
私はこの会社に来て10年。なので普通に考えると退職金はたいした金額では無い。しかし、今回の制度における退職特別加算金は、基本給の40か月分という破格の金額だ。私は仕事でのポジションもあって、給料はかなり良い。そういうこともあり、退職時に受け取る金額は、かなり高額になるだろうと、事前にある程度は想像はしていたが・・・概算ではあるが、額面で4000万を優に超えるということが今回の面談でわかった。これなら半年から一年ぐらいは適当に遊んで、また同じ年収ぐらいの仕事に就けば・・・よし、この計画なら老後も含めて余裕だ。
制度への応募に関する事務的な説明などもあったが、面談は15分位程度で終わった。
「谷村執行役、この10年間、色々とお世話になりました。」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
これで4月から私は自由だ。
この日の夕方、私は親しいものだけに会社を辞めることを告げることにした。
まずは直属の部下たち。もっとも信用している5人の部長たちへの報告だ。転進支援制度に応募して、本日受理されたことを、時々開催されている部長とのweb飲み会で話した。ただ、5人が全員がそう予想していたようで、あまり驚かなかった。
聞くと「この半年は、なにか自分が居なくなってもいいように仕事をしているようだった。」と、皆が口をそろえて言った。そんなふうに見えていたのかと少し反省した。思えば、どこかそんな気持ちがあった気がする。そんな上司の態度を見ても、よく付いてきてくれたと少し申し訳なく思った。
特にこの半年間は、新しいプロジェクトの立ち上げで、そうとう厳しかったはずだ。この会社としては、全く新しい分野へ進出するプロジェクトで、全てが手探りだった。そんな状況の中、しかも初めての在宅勤務で、色々と慣れない環境の中、彼らは本当によくやってくれていた。このメンバーだからやってこれたのかもしれない。そう思うと早く彼らにバトンを渡して、彼らの思うやり方で思い切りやってもらいたいと思った。
最後に少し小さな声で「ありがとう。」と言ったが、彼らには聞こえただろうか。少し照れ臭いから別に聞こえてなくてもいいが。
あとは誰に言っておくべきか・・・少し考えてみたが、誰も思いつかない。改めて考えてみると、そんな親しい人間なんて会社にはいなかった。中途入社なので同期がいるわけでもないし、プライベートで付き合いのある奴もいない。よく退職時にご丁寧にメールで連絡してくる人がいるが、あの習慣自体、私は好きでないし、もちろん今まで行ったこともない。退職後の連絡先が書いてあるメールは特に好きではない。そもそもメールをもらった人のどれだけが、あの連絡先を保存しているのか?と疑問に思ってしまう。それに、私自身、今までメールしなかったことで、困ったことはなかった。
まぁいずれ私の退職の話が広がれば、話をしたいと思う者から連絡があるだろう。無いなら無いで楽で良い。
そんな感じで「退職の儀」は恙無く終わり。あとは退職までにやるべきことを、粛々行うだけとなった。
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