生きるモチベーションってなに?

リッツのチーズサンド、マルちゃん正麺、天津飯etc…

好きなものを好きなだけ食べた次の日の朝はとても眠い。いつもよりちょっとだけゆっくり起きて、頂き物の美味しいコーヒを飲みながら目を覚ます。こんなことを言ったら笑われるかも知れないけど、この瞬間を幸せだと思う自分がいる。

そんな時間を過ごしていると、抱えてる日々の生きづらさとか、自分の存在意義のなさとか、安定しない精神状態の全ては苦しみを凌駕するくらい大きな「生きるモチベーション」があれば解決するのかもしれないと気づいた。もしかしたら今の私には、それがなんなのか見つけられていないだけなのかもしれない。美味しいコーヒーを飲んで幸せだと感じるように、「楽しい」とか「嬉しい」とか喜びを感じることに脳のリソースを割いたらいいんだろうか。案外、日々の暮らしの中に生きたくなるヒントが隠れているような気がする。

正直、「生きなければならないない」と考えれば考える程、しんどさは増す一方で「生きなきゃいけない必要なんてなくない?」って生きなくていい理由だけが積み上がっていく。「責任を取らなきゃいけない」「痩せてなきゃいけない」「いい子でいなきゃいけない」「言葉遣いが丁寧じゃなきゃいけない」「掃除しなきゃいけない」etc…。色んなしないといけないがあるけど、本当はしないといけない理由なんてないし、できないならできなくていい(流石に掃除はしろ)。なのに勝手に自分を追い込んで、追い込まれて、苦しくなって、他人の評価に振り回されて、孤独になって。自分の幸せよりも他人の価値観を優先し過ぎて、どんどん不幸になっていく。フルコンボだドン。ドンドン…。

きっと、そうやって生きるモチベーションを削ぎ落とすことだけに注力するのはもう辞めにしていいんだろうなあ。ずっと「自分は幸せになっちゃいけない」って思い続けてきたけど、いい加減、「私には早く幸せになってもらいたい」。好きなことして、好きなように幸せに生きてもらいたい。いろんなしがらみや強迫観念から解放してあげたい。

コーヒーを筆頭に好きなことはちょっとだけある。今すっと思い浮かぶのは、料理やポケモン、買い物、カフェ、メイク。「しなくてもいい」ものばかりで、「しないといけない」に圧迫されてできていなかったけど、無理のない程度に生活に取り入れていきたい。生存するのに精一杯で、心や脳が疲弊し過ぎていると娯楽ですら腰が重くなってしまうから、そんな時はちゃんと逃げ出したい。夢とか目標とか持たなきゃいけないなんてことないから、ゆっくり生きていこうと思う。もしよかったら、みんなが楽しいとか幸せって思うこと教えてください。ちなみに今ふと思ったのは、

「この世の美味しいコーヒー飲み尽くしたい」でした。

あ、今朝は幸せになるためにコーヒーおかわりしました。

おはよう〜(AM11:00)



「マジで人生って生きづらいよなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ」





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