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QOD(クオリティ オブ デス)死の質

QOL(クオリティー・オブ・ライフ)生活の質。というのは聞いたことがある人も多いだろう。医療・福祉系の人は必ず習う単語です。

今日は、QOD(クオリティ オブ デス)死の質についてお話してみよう。

100歳以上の高齢者の寝たきり率がアメリカでは30%程度。日本ではその倍60%以上が寝たきりなのである。

これが何を意味するのか?
それは、医者任せ、介護支援専門員(ケアマネ)任せ、市役所任せ・・・。

つまり他人任せで長生きした結果と言わなければならない。

自分の人生や生きる道、逆に言えば死にざまを他人任せにした結果。が「寝たきり」という形で表れてくる。

日本は世界一の医療制度を保持している。つまり、世界で一番安価で質のいい医療を受けることができるということである。

死ぬ準備を最近は「終活」としてお葬式やお墓、断捨離等の切り口で本やメディアで取り上げられているが、元気で長生きしてぽっくり死ぬための「終活」はほとんど取り上げられない。

「元気で長生き」つまり、「寝たきり老人」にならない方法は紹介されない。

「元気で歩きましょう」「コミュニケーションが取れる仲間を作りましょう」「囲碁や将棋をやりましょう」なんてものが世の中に健康法として溢れているが、そんなのは「元気で長生き」するための入り口でしかない。多くの健康法的なものは入門編程度のもので、本質には全然入っていない。

なぜだろう?

「元気で長生き」「ぽっくり死にたい」は、みんな望んでいるのに、そのための方法を知らないのか、見ないようにしているのか、なぜだろうと思う。また、誰も教えないのはなぜだろうか?

「そんな方法があったらみんなやってるよ」

と思われた方、アメリカの寝たきり率と日本の寝たきり率の違いは何を思いますか?なぜ世界一の医療制度を誇る日本がアメリカの倍もの人間が寝たきりになっているのか考えてみてください。アメリカは日本よりいい医療があるから?アメリカには何等かしかの素晴らしい発明があるから?答えは否です。

とにかくこの国でいい死に方。QOD(クオリティ オブ デス)を高めるためには、もっともっと他人任せではなく自身で介護・福祉制度や医療の在り方を知らなければ、誰も教えてくれないということである。裏を返せば、自分で死にざまをプログラムしなければ「寝たきり」にされてしまう。他人任せは本当に危ない。医療や介護の本質を知ろうとしない人に「ぽっくり寺」の神様は絶対に微笑んでくれない。

私は例え脳梗塞なって片麻痺になっても、彼女とデートに行って行きつけのお洒落な飲み屋で酒を飲んだくれて、「わが人生に一片の悔いなし!」と言って死ぬための方法を知っているので、頑張ってみようと思う今日この頃です。(でも、にっくき「年寄狩り」に会って収容されたら終了だが、何とか狩られないように頑張りたいと思います)

QODを高めるために、「で、どうしたらいいの?」 と思われる方もござりましょう。

詳しく書くと物凄い長文になりますので、簡単にダイジェスト版で書いてみましょう。

まず、「生かす」を前提に医療があるのと同様に患者さんたちも「生きること」を前提に病院に来ます。「生きること」を考える人は多いのですが、「死ぬこと」に対しての意識が日本人は少ない。

「延命治療はいりません」とお医者さんに言っても、お医者さんに「延命治療ではありません」と言ってしまわれたら、有無も言わさず延命治療されてしまう訳です。

つまり、延命治療とはどんな治療のことを指すのか?を患者さん自身が知っておく必要があります。

漠然と「延命治療」なんて代名詞を口にしてもお医者さんには通用しません。「気管切開は要りません」「胃婁は空けません」「人工呼吸器なんてもってのほかです!」という具合に、具体的に何(どんな治療)が要らないのかを伝えなければ、「生かす」=(心臓を動かす)ことを生業にしているお医者さんには伝わりません。

元気なうちから終活ノートに「この治療は要らない」とはっきり書いておいて、家族に手渡しておく必要があります。

不運にもお医者さんのところで生かされちゃった場合。介護保険の申請ということになったとする。その場合、もう一度病気になる前の生活に戻したいと思うのであれば、自分自身でケアプランを立てられるぐらいの知識と将来設計を持っておかなければなりません。

また、介護保険には大きな問題点があります。自己決定権の剥奪。です。医療保険は自分の意志でどうにかなります。つまり、自己決定できるわけですが介護保険は自分以外の誰かの意志が大きく働く性質があります。わかりやすく言うと、

「もう一度歩けるようになりたい」

と自分では思っていても、家族や自分以外の誰かが

「寝たきりになってもらった方が介護がしやすいから歩かせないでください」

と頼めば、家族や自分以外の誰かの意見の方が優先される場合が多い。

自己決定権を奪われるということは、自分の意志ではどうにもできなくなるということなのです。

「自分で選べる介護」と銘打って作られた介護保険の実態は、高齢者から自己決定権を奪い、寝たきりを作って一所に集める政策に他なりません。

また、逆に「自宅で暮らすこと」を主目的にいろんな介護サービスを受け続けるとどうなるか?家という、ていのいい箱の中に閉じ込めらることになります。(通所系サービスやショートステイ等のフォーマルサービス以外外出できない管理された生活)

便利な介護サービスはうまく使えば薬にもなりますが、やみくもに使えば毒にしかなりません。
(介護サービスを受け続けると、人はサービスが便利すぎて手放しなくなくなります。どんどん自分でやるという意欲や生活欲求が減退していき、結果的に寝たきりなってしまいます。介護サービスには、いわば覚せい剤のような中毒性があるということです。今の介護保険利用者の多くが、国主導でアヘン戦争でイギリスが行ったように骨抜きにされているということですね。介護サービスはうまく使えば、人生を楽しく謳歌するための凄い特効薬になるんですけどね~)

各介護系サービスのメリットとデメリットを自分自身で精査しなければ寝たきりとなってしまいます。サービスのデメリットは誰も教えてくれませんので、自分で学ぶしかありません。

他にも自立支援法の活用、npo法人等のボランティア活動の活用等様々な地域資源を駆使しなければなりません。当然誰もそれらの使い方や資源の紹介はしてくれませんので、自分自身で探すしか方法がありません。

簡単ですが、こんなところです。障害に適した生活構築の方法・立て方・生き方。上手な介護サービスの使い方は詳しく説明しだしたら本が何冊も書けてしまいますので、これぐらいにしておきます。

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