10代の不安感。 なんだかモヤッとするんだよね~。
統計データによると、夏休みの終わり、8月下旬は10代の自殺が1年で一番多くなる時期と言われているそうです。
10代の頃の不安でもやもやした思い出・エピソードを書いてみよう。
10代の頃、私はただただ、「受験勉強」というものが嫌いだった。親は大学に行けと言ってくれていたが、どうして大学とやらに行かなきゃいけないのか全く意味が解らなかった。また、明確に大学でこれを学びたい!!なんてものがあれば別だが、当然そんなものは10代の私にはなかった。
やみくもに親や教師たちが大学、大学。と呪文のように唱えていただけである。
悩みと言うほどではなかったが、「大学に行け」「猫も杓子も大学行く時代なのだ。だからお前も当然行くものなのだ~」という圧力が鬱陶しかったのを今でも覚えている。
何故、大学に行くのか?何故受験勉強しなきゃいけないのか?何故、何故、何故whywhywhy?
親も学校の先生もたかだか高校生の私を説得できるだけのリベートができなかったのだ。なぜを答えることのできない「大人たち」それが、10代の頃の私をもっともモヤッとさせていた。
例えるならば、陶芸に全く興味がないのにもかかわらず、強制的に「土をこねくり回すのだ~ほーれ。ほれ。」と両肩を押さえつけられてろくろを回させられるようなものである。
意味が分からない。
なので、私はどうしたかと言うと、なんだかそこはかとなく、モヤッとする日本を離れることにした。
高校を卒業して、とりあえずバイトをしまくった。当時はバブル全盛期。土建屋さんのバイトはもの凄く儲かった。朝5時から夕方8時、9時まで働いて集めた資金で、すぐさまあてもなくノープランで渡米した。
「アメリカに行ってビックになるぞ~」
的な何も考えてない感じで飛行機に乗ってやった。
のんべんだらりとアメリカで過ごしていたら、あっという間に資金が尽きて、日本に帰る羽目になった。
何も得るものはなかった、アメリカに行って学んできたとこと言えば、アメリカの大学の学食は量り売りでびっくりした。ということと、日本のマクドナルドのようにアメリカでハンバーガーとポテトフライと飲み物のセットをハンバーガーショップで頼んではいけない。量が多すぎて何日も食べなくてはいけないからだ。それと、なぜかアメリカのホットドックはおいしい。まぁ、せいぜいそんなもんか。うん。今思い返しても、何しにアメリカに行ったのかまったくもって意味不明である(笑)
さーて、そそくさと日本に帰ってきた10代の私はビックになるべく。芸能界を目指した。(バカですね~)
当然すぐに売れるわけもなく、ちょろちょろメディアに出るくらいで、それで食えるようなものではなかった。
役者では食えないので、パチンコで生活していた。(バカの上塗りですね~)
そうこうしていると、心臓が悲鳴を上げてパンクした。三尖弁が壊れたのだ。弁膜症と言う病気だった。手術して半年入院して、何とか生還したものの、体は当然以前のようには動かない。すぐに疲れるし、回復したという実感が全くないままの退院だったので、この先どうするのかなんて当然ノープランだった。
しかし、「なるようにしかならない。」というオカンの教えのおかげかせいなのかで、全く人生の焦りもなく、毎日毎日、「信長の野望」と「ドラクエ」と「FF]を掛け持ちでやりまくる日々を過ごしていた。
後は、気が向けば旅に出かけまくっていた。親から「病み上りなんだから海外は禁止」と言う御触れが出ていたので、国内を北海道から沖縄まで行きまくってやった。
絵にかいたようなダメダメ生活である。
そっから、25才まで役者やったり、ちょっと仕事したりでぷらっぷらしながら生活していた。
まともに人生を歩み始めたのは結局26才。
それから、20年たった今、完全無欠の中年失業家となり、毎日プラップらして生きている。(かっこよく言うとフリーランス)
「大人になったら、何になろうかな~。」
と、ワクワクしながら大学のパンフレットをかき集めている。
10代の頃アメリカに行ったとき同様にノープランで人生のビッグウエーブを楽しく謳歌している。
サーフィンでいうと、ボトムターンからのリップです。力を貯めて~か~ら~の~切り返し!!!
人生なんてそんなに悩まなくてもノープランでも結構なんとかなるもんです。
人生なるようになる。思い通りにはならないかもしれないけれど。(笑)
未来なんていくらでも作れる。中年失業家の私が言うのだから、間違いない!(笑)
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