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「あなたが想像したことは、全て現実にしていい」 ー後押しが足りない女性に届けたい(結構熱いラブレターです)

「万年ポジティブな私でも、さすがに疲れたな〜…はぁ」……がむしゃらに頑張っているけれど、仕事も恋愛も女性的な体調面も、全くというほど上手くいかなくて、肩を落としながらスクランブル交差点を歩いていた時に、スクリーンに写ったラッパーのAwichが、NIKEの動画の中で堂々と言い切った。

「諦めんなよ、何があっても」

恥ずかしさとか気にする暇もなく、渋谷の真ん中で大粒の涙が溢れてきて、グーっと腕で押し込んで泣いた。勘弁してくれよ〜と思いながらも、気持ち良く浄化されるように、Awich先輩に泣かせてもらった。

そうやん、諦めんなよ。本当にありがとう。

(↑該当動画はなかったけれど、同じシリーズのNIKE動画があった)


今回この記事を読んでほしいのは、冒頭に書いた私のように、日々は楽しく頑張っていても、上手くいかないことが重なったり、これまでの疲れが積もっている人や、他人からは「仕事も恋愛も、順風満帆だね」と言われるけれど、実は胸に不安や助けてもらいたい気持ちを抱えて、毎日気丈に奮闘している女性です。私だけの話っぽいけれど、結構みんなそうなのよ!

周囲だけでもそうだし、仕事や街なかで見かける人みんな、大変なこともひそかに抱えながら、本当にいつも明るく、ひたむきに生きていて素晴らしい。偉いし、尊い。

海外や遠く離れた国内に住む友達。独身でバリキャリだったり、子育てをしながら復職して頑張っていたり。いつ誰と集まっても本当に状況がさまざま。

どんなジェンダーの人だって、もちろん大変なことはあるのは重々承知だけれど、私は女性だから、女性のことは理解を超えて共感ができる。だから。という理由で、今日は実体験をもとに、「頑張っている女性」に向けて伝えたいことを書いていきます。(話しながら、ちゃんと自己紹介もします。)

だって、女性のみなさんに大変なことが多いんだもん、明らかに。立ちはだかる課題も役割(レイヤー)も多すぎ、ハードすぎ。

【生理】【ホルモンバランス】【結婚】【出産】【年齢と身体のこと】【就職/転職】【キャリア形成】【会社など組織でのポジション】【社会全体でのポジション】【性的な対象として】【彼女や妻として】【嫁ぎ先で】【母として】【そのほか、「女性だから」気をつけないといけなかったこと】……もうええかな。


アラサーになってから、周囲の女性が急にみんな、なんだか窮屈そうにしはじめた(本当に)

私はいつも何歳になっても、「ワクワクした子供のような人」だと周囲の女性から言われてきた。もう32歳になるからということで、半ばあきれ気味だったり、「もういいでしょ、諦めなよ」と諭されていたのかもしれないけれど。

そんなアンタだからでしょ、ということは、差し置いて聞いてほしい。30歳に近づくにつれて、周囲でいろんなタイプの女性から同様に、こんな吐露が増え始めてきた。しかも、「今の状況を変えたい」という前提で。

「ありーの生き方が本当に羨ましいわ。自由に好きなところへ気ままに旅したり、好きな仕事で自己実現できて」
「私なんか、今から誰かとどう恋愛できるのか分からない。怖い。」
「転職しても、これまで手に職ついたこともやってきていないし、どうせ理想の仕事を叶えたり、リモートワークや報酬条件なんて叶わない」

そんな声もあれば、以下のような声も増えてきた。

「やりたかった事業を立ち上げて、わりと順調だけれど、結婚や出産ができるのか自信がなくなってきた」
「私は裏方仕事はうまくいっているけれど、ありーみたいに前に出て話したりするの、やってみたいけれど、できるのか分からない」

たぶん一人一人に大変な事情があるんやろう。きっと、過去に失敗をしたことや、傷ついた痛い経験がチラついたり、守るべき人や組織が増えたり。金銭や家庭の事情なんかも絡んでいるんやろう。

いろんなことがある。わかる。それぞれをギュッと抱きしめてあげたいくらいや。一緒に泣いたり、一人一人とZOOMを繋いで話も聞いてあげたい。だけれど、さすがに私も時間が足りなくて難しい。だからこそ、このnoteで伝えたいと思った。

もう思い込んだり、勝手に決めつけたりするのはやめよう。良いなと思って、自分の頭の中で想像したことは、当たり前にやっていいし、本当に諦めなければ、いつか意外な形で叶うって!!!

泣きながら前職の出版社を辞めたけれど、がむしゃらに独立後26歳で掴んだ、写真集のディレクション仕事。自慢とかじゃなくて、必死だった。でも、絶対「なにかを形にするぞ〜!」と思って動いていた。

優しさで流されて、人の意見に傾聴しすぎ。もしくは、同じ思考のループにはまっているのかも?

「絶対」とか「こうあるべき」とか「こういう風な言動を取ったら、こうなるに決まっている」なんてものは、何歳になってもどんな性別でも、どんな環境でも決まっていない。それっぽいことをそれっぽい声の大きな人や団体が言っているだけなのよ。

それら「悩みに向き合っているから上手くいかない」というエネルギー放出期をも超えて、「しんどいことが多いから、傷つきたくないし、もうどうでもいいわ」とか「だいたいでいいわ」という悟りを開いている人さえ、居るんだとは思っている。でも、心のどこかに望みがあるから、私に話しかけてくるのだと、知っている。

ALLY自身はどうしてきたの?

そういうアンタは誰で、どういうことを乗り越えてきたんやと疑問の声が入る前に、自己紹介をしながら、少しだけどんな人生だったか、何を考えていたか、ハイライトをまとめてみたいと思います。

先に、プロフィールです。ご挨拶が遅れました!

ー基盤となる幼少期の設定

小さい頃の思い出は、だいたい楽しい感じ。ある程度泣いたり笑ったりして、特段なにかということもない普通の子供時代。むしろ、家族には面白い経験も多くさせてもらった。

だけれど、一つ何かあるとすると、身内(の特に男性)がバタバタと亡くなったこと。父親は私が生まれて3ヶ月後に自宅側で交通事故にあってこの世から去った。それから祖父、叔父をはじめ、親友の父親(当時20代)など、いろんな人がマジで亡くなっていった。親戚の集まりはというと、嬉しいテーマよりも葬式が多かった。

幼ながらに、故人を忍んで泣いたり微笑んだりする大人を数多く見てきて、「"死ぬ"って本当に当たり前で、すぐ側にあることなんだ」と悟った。同時に、「あの時に〜があったら」「〜しておければ」と振り返るタラレバな考え方も学んでいった。

本気でやりたいことがあるなら、はよせな、死んだらもうできなくなるんや

私は子供の頃に、そういった思考回路コードを脳に刻み込んだ。「やれるかできそうか」ではなく「やりたいなら、自分で決めてやる」。それが難しいのかもしれないけれど、実はシンプルなことだと思っている。

ー念願叶った女性ファッション誌の編集者。でも、鬱になる

さっきの話で書いたような思考回路なので、就活に至るまでの学生時代どれも、結構なやる気があった。ストイックな努力スタイル、必要なタイミングに能動的なアプローチをして、的確な助言をくれる強力な味方も探しながら過ごしてきた。

決して裕福な家庭ではなかったけれど、自由にさせてくれた母の許容度にも感謝している。「なりたいものになれるか」ではなくて「叶えている人がいるんだから、私にも平等に可能性があるだろう」と信じて、本当に真っ向から動いて挑んでいった。

そうして、最初の就職先は念願だった「出版社の女性ファッション誌編集部」に受け入れてもらうことに。めちゃくちゃ刺激的な日々を過ごした。

いつ見ても最高に可愛い前職の雑誌。もちろん素敵な経験がいっぱいで感謝しかない。

ただ、全てのエネルギーを使い果たした私はあるとき、プツンと電源OFFしてしまった故障中の機械みたいに、頭も身体も動かなくなってしまう日を迎える。そして、これまで全く辛くないと感じていたのに、人生で感じたこともなかったようなネガティブな気持ちが一気に全身を支配した。ふぅ。

要は、私は20代半ばでうつ病になった。半年休職させてもらっても、完全に癒えないほどの結構ハードなやつを抱える。ここまでペース配分を間違えた狂ったマラソン人形のように、全力疾走してきたのに、バツン!と勢いを止めることとなる。

ー婚約破棄もしてしまった30歳目前

他になにかハードシングスと一般的には捉えられそうなことがあるとすると、7年間くらい同棲していたパートナーと、半ば"離婚"のような形でお別れするという出来事もあった。

デジタルタトゥーは怖いし、野暮なことはしたくないので詳細は省略する。でも、仕事と同様に恋愛もいつも真正面から考えて、本気で向き合ってきた(だから、トライ&エラーが一番多い分野だったと感じている笑)。

仕事も一般的には大変なことばかりを選択してきたし、恋愛も世間からいうと「失敗した」ということになるのかもしれない。

結局は、「自分がどうしたいのか」を諦めずに自問自答すると、幸福度と納得度が増していく(本当に)

抽象的なことしか言ってくれない自己啓発本のようなセリフじゃん、と呆れないで聞いて欲しい。結局重要なのは、考えることと諦めないことだけだと私は本当に伝えたい。

私のエピソード以前に書いた悩みを抱える女性たちは、やっぱりどこか「諦めている」んだと思う。やりたくないことは、もちろんいい。だけれど、「本当はこうしたいのに」と思っていることについて。

私だって頻繁に悩んでいるし、良い涙も悪い涙もいつもすぐ流している(笑)

耳にタコかもしれないし、うるせえ熱いやつかもしれないけれど、でも、そうして私の視界に、知人だけではなく、名前も知らない街の人やSNS上の人の声が入ってくるということは、みんながなにか「自分の中で折り合いをつけきれていないだけ」だと思う。

そんな時もある。そりゃそうだ。ずっと言っているけれど、もちろんそれぞれに悩みや大変なこと、叶えたいことや理想の状態の粒度は全然違う。そんなすぐ解決していたら、そもそも悩んだりなんてしない。

だけれど、だからこそ熱い誰かが「自分の幸せのために、諦めない気持ちも大事だよ!応援しているよ!」と伝え続けられたらいいなと思っている。私は、これからもやめずにやっていく。

私のバイブル『天使なんかじゃない(集英社)』/ALL TIME BEST 矢沢あい展
どんな矢面に立たされていても、自分で幸せを作りにいく気持ちと明るいエネルギーを私は忘れたくない。冴島翠が人生のロールモデルな気がする/ALL TIME BEST 矢沢あい展

中盤のエピソードにあったように、うつ病も婚約破棄も、もしかしたらハードルの高い就職活動や、職業を続けること自体も、きっと一般的にはとても大変なことなのかもしれない。実際に超大変だった。

ちなみに、以前の自己紹介noteに書いているように、うつ病で休んだ後に「じゃあ会社で働く方法があっていないのかもしれないから、独立して自分のペースでやりたいことを頑張ろう」と、独立というハード選択もして、昨年には法人なりもしていたりする。

何度も言いたいけれど、「私すごいんですねん」と話を聞いてほしいわけではない(幸せのためには自分軸だけれど、どちらかというと基本的には他者ファーストで生きていると思っている)。

スクランブル交差点で放心状態だったとき、うつ病で死にたくなったとき、婚約破棄まで迎えて心の火が、さすがに途絶えそうだったとき…… あのときの私のような人を救いたい。私レベルでも今楽しくやっているんだぞって(絶対もっとハードシングスな方も多いと思いつつ)。

だから、Awichの言ってくれたことに帰結する。「諦めんなよ。何があっても」ー本当にそうだと心から思う。

環境や人のせいにばかりするのはやめよう。自分なんかダメだって卑下するのもやめよう。傷ついてきたことや失敗経験ばかりに気を取られるのもやめよう。「女性だけ大変よね」って集まってネガティブな話ばかりするのもやめよう。その時間とエネルギーがあるなら、良いことを想像して動いてほしい。

それぞれどんなステイタスの私たちだって、一緒に手を取り合って走っていける!

諦めなければ、意外な方法で、あなたが想像していた「良さげな未来」をきっと納得できる形で手に入れられると思う。意外な方法だから、全ては想像通りではないかもしれないけれど。

あなたが納得してハッピーなら、みんなも嬉しいから。周囲の友人、チームメイトもパートナーも親も子供も、きっと相乗効果で良い方向に向かっていけるから。だから、諦めないで一緒に頑張りましょう。

私個人の挑戦としては、今まで恥ずかしがってこういった文章を書いたり、話したりするのを全くしなかったのですが(身近な人たちから、「あっつ〜い」と言われたりしないか不安だったりして笑)、最近いろんなところで、結局、根が真面目で熱血な私がバレているし、それがたまには役に立つことを実感してきたから、怖がらずに書いてみました。


NEON GREEN株式会社のコンセプトは、「日本全国を、もっとネアカに」

最後に、なんでこんな話をー?というところを簡単に。出自やファーストキャリアの影響があり、特に女性を中心としたターゲットに向けて、エンパワメントしていくような企画をずっとやっていきたいと思っているからです。

NEON GREENってどんな会社?というところは、以前のnote記事をご参照ください。

国際女性デーの日に必ずやアップしようとしたためていたので、長文になりましたが、以上です。みなさんの心が少しでもポッと温かくなったなら何より。明日からも楽しくやっていきましょう!!!


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