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子供時代を彩る憧れの大人の存在と私のピアノの先生の話

私は子供の頃、ピアノを習っていました。

小学1年生から高校2年生まで、結構な長い間です。

子供から大人に成長していく多感な時期の11年間、毎週火曜日のピアノのレッスンは、私の体にしみついた習慣でした。

私はピアノが好きでした。

でもこれだけ長く続けていたのは、ピアノが好きだったからだけではありません。
ピアノの先生が好きだったのです。

私がそもそもピアノを習い始めたのは、小学校1年生の時、音楽の時間にどうしてもピアニカで「どんぐりさんのおうち」という曲が弾けなくて、隣の席の男の子も上手に弾いているのに自分だけ弾けないことが悔しくて悲しかったからです。

母に「ピアノを習いたい」と言って、友達が習っていた、個人レッスンのピアノの先生の所に見学に行きました。

私にとって最初の先生の印象は、「かっこいいお姉さん」という感じでした。

私が小学1年生の時、おそらく先生はまだ30代だったのではないかと思います。

ピアノの教室も、先生の自宅の1部屋を使っていて、アップライトピアノとエレクトーンがあるだけだったように思います。

子供の頃の私はとても引っ込み思案で内気で、あまり人と話すのが得意ではありませんでした。

でも先生とのピアノの時間は楽しくて、本来30分程度のレッスン時間だったはずが、いつも1時間くらい滞在していたように思います。

ある時先生に「そういえばピアノのレッスンって1時間なの?」みたいなことを聞いて、「30分だよ」と言われて驚愕したのを覚えています。

なんでそんなに時間がかかっていたかと言うと、ピアノのレッスンの時間に私は、ピアノのレッスンだけをやっていたわけではなかったからです。

ピアノの椅子に座って、もしくはソファーに座って、先生にそれまでの一週間にあったことをあれこれ話し、あっという間に時間が過ぎていました。


私は小学生の時、クラスのほとんどの女子に無視されるという陰湿ないじめを受けました。

その時も、泣きながら先生にそのことを話した覚えがあります。

今思えばピアノのレッスンに来たのにカウンセリングか!という感じですね‥‥‥。

でも実際、先生はピアノの先生だけではなく、カウンセラーの才能もあったのではないかと思うのです。

ただただ私の話を聞いてくれて、そのいじめの時も、学校の先生よりピアノの先生の方が私を大きく安心させてくれました。


先生は、今思えば自分の事はそんなに多く語らない人だったように思います。

でも幼い私は大好きな先生のことをいろいろ知りたくて、結構根掘り葉掘り聞いていました。

そうして見えてきた先生の生き方も、私にとってはとても新鮮で興味深いものでした。

先生はピアノの先生をやっているけれど、音大は出ていないということ。
社会に出て最初は OL をやっていたけれど、某ピアノメーカーの ピアノ講師育成コースのようなものを受講して先生になったということ。

漠然と、ピアノの先生は最初からピアノの先生になるための道をたどってなるものだと思っていた子供の私は、「そんな生き方もあるのか!」とビックリしたのです。

だって子供の頃って、「将来の夢」って何か一つで、そこに向かって学校など選んで努力して、その職業に着いたらそのまま一生を突き進む、みたいな単純な人生設計しか浮かばなくないですか?

そういうバックグラウンドだからか、先生は特に音大を目指すみたいなレッスンはしておらず、気軽にピアノを楽しむというスタイルでした。


でも生徒数は結構多かったように思います。

先生はピアノの先生同士の仲間も何人もいて、発表会はその何人かのピアノの先生の生徒達合同で 、2部構成の発表の場でした。

1部は通常のピアノ発表会という感じでソロ演奏なのですが、2部は、その何人かのピアノの先生の生徒たちの中でバランスが良さそうなメンバー構成を先生たちで考えてくれ、ドラム+鍵盤楽器のバンド演奏をしました。

中学生、高校生になるとなんとなくバンドへの憧れもあり、そこで仲良くなった子達もいて、バンドはとても楽しい思い出です。

それで「バンドって楽しいな」って思ったのもあり、私は大学に入ってからもキーボードとしてバンド活動をしました。

そして大学時代一緒にバンドを組んだりしていたドラムの人が今の夫なので、私は先生の下でピアノを習っていなかったら今の夫とも出会っておらず、娘も息子もいなかったかもしれません。


私がピアノをやめたのは、大学受験のためです。

でも高2でピアノをやめてからも、先生とのつながりは続きました。

先に書いた、発表会で一緒にバンドを組んでいたメンバーがとても仲が良くて、その後もちょくちょく会っていたのでそこで先生も交えて会ったこともありましたし、メンバーの一人が結婚した時に、結婚式の余興を先生も一緒にやったりしました。

そのうち先生にお子さんが生まれて会いに行ったり、なんだか細かいことはうろ覚えですが、私が20代半ばくらいまで交流があったような気がします。

今は物理的な距離もあり、私も結婚して子育てに追われ、いつしか連絡を取らなくなってしまいました。
でも先生との思い出は、私の少女時代を語るには欠かせないものです。


学校の先生は、1年経つと別の先生に変わってしまいます。
子供時代の私の周りを取り巻く大人は、出会いと別れを繰り返し、コロコロと変わっていたような気がします。

でもそのピアノの先生だけは、一貫して10年以上にわたり、私に寄り添い続けてくれました。

先生と一緒にいた時間で私自身も大きく成長しましたが、先生も、ピアノ教師として大きく事業拡大していたような気がします。

というのは、最初はアップライトピアノだった先生のピアノが、私がやめる頃にはグランドピアノになっていたからです。

それに合わせて部屋も大きくなり、ピアノ以外にもシンセサイザーや電子ピアノなど、次々と楽器が増えていたように思います。

プライベートでも、独身だった先生は結婚し、子供を産んで引っ越しました。

私も変化したけれど、先生も変化している‥‥‥。

当たり前のことですが、「今」が全てではなくて、人生とはどんどん変化していくものだということ、自分も人も変わっていく、そんなことにも気づきました。

しかも同級生ではなく、自分よりも何歩も先を行く大人の女性の人生のステップアップを見つめることってなかなかないように思います。

先生は、ピアノを習い始めた小学1年生のあの時から今までずっと、私の憧れの女性であり、かっこいい女性の代名詞です。
そういう人が「先生」として近くにいてくれたこと、とても幸せだったなと思います。

先生のすべてが、私の人生の糧になっています。


ここで、私の「今」に話が移ります。

私には息子と娘、子供が二人いますが、子供達にも、私にとってのピアノの先生のような先生との出会いがあったらいいなと、強く思います。

ただ、私の息子は知的障害を伴う自閉症です。

息子は話せないしなかなか扱いが難しいので、どうしても任せられる人は限られてしまいます。

習い事というのもちょっと難しい気がしています。

それでも、先生ではなくてもヘルパーさんでも、息子を何年もの間、ずっと一貫して見続けてくれるような大人が親以外にいてくれたらいいな、と思うことがあります。

なかなか理解されづらく、自分の気持ちを表現するのが下手すぎる息子だからなおのこと、そう思います。

最近ちょうど卒園し、これまでお世話になった先生方とのお別れを経験したところだったので余計に、「幼稚園とか学校とかは期限がある関わりなのだ」 と意識してしまったのかもしれません。

それはそれで、期限があるからこその良さもあると思うのです。

でも、ぴったり毎日一緒にいるけど期間が限られた関係性だけでなく、ゆらりと時々、でも定期的に長くつながっていける関係性もあると、人はバランスが取れるのかなと思います。

だからやっぱり私は、自分の少女時代を振り返って、あのピアノの先生のような存在が子供達にもいてくれたらいいなと、時々振り返るのです。

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