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寝る時間が足りなすぎて意識を失ったのであった

ありんごです

まさにタイトル通りの話です。さりげなくnote連続投稿記録を日々伸ばしていたはずの私だが、ついに途切れた。64日間、楽しかった。

続けられたのは、やる気があったからではないと思う。「続けるのが自然だからどんなに疲れていても、日々書く」という状態に入っていたからだ。モチベーションが上がらない日なんてたくさんあった。でも、書かないと気持ち悪くなるから、書く。こう書くとネガティブに聞こえるかもしれないけれど、自分の暮らしに溶け込むってこういうことなんだと思う。毎朝コーヒーを淹れる人がいると思う。毎晩ネットサーフィンする人がいると思う。私にとってのnoteもそうなっていた。

が、そんな私にも65日めに抗い難き波が来た。眠気である。結局モチベーションが上がらなかったんじゃないかと言われてしまうかもしれないが、そうではない。たしかに疲れてモチベーションが上がらない日ではあったけれど、そんな日はたくさんあったし、それでも書いてきた。眠気がやってきてぷつりと私の意識を切ったのだ。その日のnoteを書き始めるより前に。

起きて驚いた。いや、起きて顔を洗ってしばらくして、はて?となった。それから驚いた。65日目、ノートを書かなかったことに。私は毎晩noteを書くとか、時間帯を決めていたわけではない。とにかく0:00-23:59のどこかで必ずやる、そういう習慣づけだった。65日目のあの日、私の意識は普段寝る時間の3時間ほど前に持っていかれた。予想外だった。


↑が64日目の記事である。今思えば疲労困憊だったのだろう。

noteを始めてから何度か、「眠りたい話」や「眠れない話」を書いたと思う。人に話すと怖すぎる!と言われるような夢を見て、どこか悟ったような気持ちで目が覚める自分もいた。


そんなこんなで、自然に気持ちよく眠れてたことが久しくなかったから、意識を持って行かれたことに驚いた。

起きて、連続投稿途切れてしまったな、と思った。同時に、すとんと腑に落ちる感覚もあった。やれるだけやりたいことをやっていても、突然スイッチオフになることがある。65日目はそのタイミングだったのだ。しっかり動いてしっかり休んだはずだったけれど、休み切れていなかったと、気づいた。体が久しぶりに少しだけ楽で、自分にどれだけ負担をかけていたか、よく分かった。自分と向き合い自分と生きていくのに必要なステップだった。

↑のように徹底的に考えようとしたり、自分に正直でいようとすることはわくわくさせてくれたり、長期的に自分を良い方向に導いてくれるけれど、肉体的にはかなり疲れるのも事実である。だから今回の出来事は起きるべくして起きたんだろう。それに後悔はないけれど、自分の肉体をメンテナンスしながら精神的にも充足する生き方を模索したいな。

もっと自分に正直に。まずは、生きねば。


ありんご

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