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【京都滞在録】花と対話する

人生初の華道をやってみた。

初めに

授業の流れとしては、最初に先生のお話を聞いて、その後に実際に取り組む。

お話では、「ご縁」について語っていただいた。コロナによって多くの死者や災い、ネガティブな感情を抱く方も多くいるだろう。しかし、それによって、今までは見えてこなかったものが露見してきている。つまり、「人の心を洗う」ということ。

華道では、さまざまな決まりがある。実際、名称も並べ方によって異なる。この決まりもしっかりとした理由がある。その理を知っておけば、なんで?となるのではなく、ああ、そうなんだと「道」の真髄に触れながら取り組むことができる。

先生がお坊さんだったため、仏教のお話と関連させて「道」の本質のお話をしていただいた。

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こちらの白と黒の勾玉が組み合わさったマーク、おそらく多くの方は一度目にしたことがあるだろう。正式には「太陰太極図(たいいんたいきょくず)」や、「陰陽太極図(いんようたいきょくず)」と呼ばれる。

太極図は「陰と陽のバランス」を表している。古代中国において流行して道教のシンボルとなった。

お次は、太極図説である。この太極図説は『易経』繋辞上伝にある

「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず(易有太極、是生兩儀、兩儀生四象、四象生八卦)」

の概念、陰陽思想、五行思想に儒教思想を関連づけて説いたものである。

太極図説

意味としては、万物化生にいたる宇宙生成モデルを表している。

花と対話する

今回は体験のため、自由に表現してほしいとのこと。そこで、まずは花を観察してみた。

最初に目に入ったのは、珊瑚水木(サンゴミズキ)だった。私の目には雄鹿の角に見えた。鮮やかに色づいたサンゴミズキの枝物は、冬と春の遷移を表しているようだった。

サンゴミズキの枝分かれしている姿から樹形図も連想させられた。そこから生命の神秘、冬から春にかけて変化するその一瞬を表現しようと考えた。

触ってみると、水分が多く含まれていることがわかる。一見、真っ直ぐで硬そうだが、しなやかさも兼ね備える。そのしなやかさのおかげで曲線を作るのも容易だった。多様なお顔を見せるサンゴミズキさん。堪能させていただきました。

さてお次は何にしましょうか。すると、大きな葉っぱが目に入ってきた。名は「バラン(ハラン)」といい、いわゆる「寿司についてくる葉っぱ」である。(高級料亭、寿司店で使われる。自分のような庶民はあまりお目にかかることは少ないだろう)。しかし、こんなに大きいとは思わなかった。

バランさんも優しい方だった。カットしてあげたり、クルクルと巻いてみたり、大層表現豊かである。だが、私は、その壮大な大きな葉を活かしてあげようと考えた。

他には、チューリップ、薔薇、スプレーストックと可愛らしいお花たち。

スプレーストック。調べてみると、いろんな種類があるようだ。白、ピンク、黄、ラベンダー、アプリコット...と小さなお花たちが顔を覗かせている。今回手元にあるのは、ラベンダー色であった。小顔なスプレーストックたちにはセンターでバックダンサーとして登場させた。

チューリップは逆に悩みどころだった。チューリップと聞くと、色鮮やかで元気なイメージだ。チューリップ畑のようにたくさんのチューリップがあたり一面を占めている感じだ。そんな集団でいるチューリップをあえて個体で魅せようと考えた。

チューリップはとても脆い。茎はサンゴミズキと比べて、折れやすく、柔軟性は皆無だった。一本だけだとすぐに折れてしまうチューリップ。3本の矢のように自分の弱点をカバーしたいがため集団でいるのだろうか。だが、私はその弱さや儚さを「主」として作品に取り入れようと思った。

バラさんはツンデレだ。トゲで自分を強そうに見せている。そんなツンツンしている一面の裏側には甘えたい一面があるのだろうか。と言うわけでバラさんのツンツンしている服を脱がせた。そして、薔薇の美しさを全面に引き立たせようと試みた。

そして、完成したのが、こちら。

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ちなみに、左側のサンゴミズキは先生にアドバイスして追加したものだ。確かに、ないよりあったほうが左から右に「流れ」がある。

その後、作品の意図を説明し、雄鹿の角も取り入れたいことを言うと、先生からすっとバランを1本手渡された。これで表現してみろと。

さあ、どうする、私。

バランはやはり迫力がある。しかし、今回の作品にさらに「盛り上がり」を入れる必要はない。だから私はバランの大きな葉をハサミで思いっきり切った。

そして、ズボッと挿した。以下が最終版だ。

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空間を形作る

フラワーアレンジメントは空間を花で埋める。しかし、生花は花で空間を作る。

華道には様々なルールがある。例えば、葉を切るのはありだが、花びらを切ってはいけない。葉は広い方が陰、狭い方が陽であり、片方がなかったら片方が成り立たない陰陽和合説を本質とし、それを遵守しながら空間を作り上げていく過程は趣深い。

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こちらは友人の作品である。多少先生に手直ししてもらったものだが、中心に軸、その周りに彼岸桜で取り囲み、その軸を装飾しているのがよくわかる。

終わりに

今回はルールに縛られることなく、自由に作品を創った。取り組んでいる時は、ずっと花と対話していた。逆に、情報が常に押し寄せてくる今の時代、何か一つに没頭する時間は少ないだろう。華道はある一種のコミュニケーションであり、自分を見つめ直すきっかけになる。私の作品は、「伸び伸びしている」出そうだ。作品は千差万別で、その作品からその人の精神面や性格がわかるだそうだ。だが、友人の作品や他の人の作品や、その作成している過程を眺めていると「確かに」と思った。

流派を調べてみると、華道には様々な流派が存在していた。メジャーなものに、池坊(いけのぼう)、草月流(そうげつりゅう)、小原流(おはらりゅう)が挙げられる。先生から、草月流を勧められたため、今度行ってみようと帰り際歩きながら思った。

花を生けることで、その美しさや命の尊さを表現する日本の伝統芸能・華道。今回はその片鱗に触れることができた。


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