居心地のいい場所を築くための「心の姿勢」
続けようと思えば続けられたはず。
会社勤めを続けてきた実績があるのだから。
それが今回の労務違反に伴い、
フレックスタイムの解除→通常勤務に変更
在宅勤務→会社出勤に変更
という処罰が下された時点で、
「辞めます」
と即答している自分が、未だに不思議だった。
「え?たったこれだけの理由で退職しちゃうの?辞めちゃうの?」
自分が自分で下した結論が、本当に他人事のようだった。
◾︎それまで積み上げてきたキャリアは?
◾︎ワーママとして次世代を担う娘達に誇れる母親を示したかったんじゃないの?
◾︎これから転職しても、今の収入は維持できないよ?
◾︎続けるリスクと辞めるリスクを考えたら、明らかに辞めるリスクのほうが損失大きいよ。
今は苦しくても勤務形態はいずれ戻るから、とにかく今だけ辛抱して乗り越えたほうが得だよ。
いずれ戻る?
いつ戻れるの?
耐えた先に必ず戻れる約束はあるの?
戻るという誓約書はもらえるの?
得なの?
辛抱を乗り越えたら、その後、必ず人生に自信をもって明るく生き抜いていくことができる、という保証があるの?
更年期障害だよ、それ。
病院で診察してもらって、会社に診断書を提出すればいい。
休職扱いにして、しばらく療養に入ればいい。
ゆっくり考えてから再び復帰するのか、退職するのかを改めて選択すればいい。
ううん、休職扱いじゃなくていいよ。
潔く退職を選択するよ、私。
「立つ鳥跡を濁さず」で。
自分の愚かさも罪も全部ひっくるめて。
あの瞬間に私は全てを覚悟したんだ。
これ以上、醜い自分を曝け出し続け、会社にしがみつく人生じゃなく、収入は途絶えても自分が納得できる生き方をしたい、と。
自分の人生を生きたい、と。
退職を決めた、あの瞬間だけ「別の人格」が現れていたのでは?と思うくらいである。
しかも、あれよあれよと手続きは進み、もう退職の手筈は全て整った。
誰かの策略なのか?と思うくらい完璧なシナリオで。
退職理由は「介護」(選択定年ではなく自己都合による)。
義父母の高齢化に伴い、家のこと、田畑の管理、地域の公民館活動の対応、家族のフォロー、諸々ひっくるめて退職を決めた。
という流れである。
もはや自分でも、これは本当に自分が決めたことなのか?という疑問がわいてくるほどだ。
当初は「辞めます」といった言葉の自己責任が強かったので、自分を責める気持ちでいっぱいだったのだが、時間が経つにつれ、冷静に振り返られるようになると、
「これは家族一人ひとりの思いも含め、総合的判断のうえで決定されたことだったんじゃないか?」という思いが募ってきた。
ただ、今までは自分が退職を決めたことを自分で納得しなかった(できなかった)だけで、やはり見えない何かが働いていた、と言わざるを得ない。
それがただの感覚の話だったとしても。
現に、義母は再入院し、義父は踵を骨折、しばらく車椅子生活になった。
息子の嫁である私がフォローに回ることで、主人と娘達は、社会人としての役割を滞りなく果たすことができる。
社会の一線で活躍することも大事だが、一線で活躍できるようにサポートする側に入ることも立派な社会貢献なのだ。
と、今更実感する。
今の自分があるのは、義父母が孫の面倒を見てくれていたおかげである。
これは決して忘れない。
更に‥
次女が私に、
「家のこと、お母さんに任せてもいい?」と、打ち明けてきた。
あぁ、そうだったのか。
本来、私が担う部分を、彼女が一人で抱えていたことに、言われるまで気づいていなかったのである。
愚かな母親だったな、私。
なんか泣けてきた。
義父母と仲良く出来なかった私。
この折り合いのつかない関係性と家族をつないでいたのは、次女だった。
学校の送り迎えや、体調不良による医者の判断、働く母親が子育てすることへの否定的な言葉に土下座した日々、等、変えられない過酷な過去。
子供達は働き続ける母の姿を見て育った。
私は会社のために自分を犠牲にしてきた、と思っていたが、むしろ犠牲にしてきたのは家族の気持ちだったのかもしれない。
だとしたら、今ここで、私が辞めて家族のフォローに入るのは当然の成り行きだったんだなぁ、とようやく心から納得。
自分に与えられた役割を真っ当すること。
それは、
◾︎家族のサポートであり、
◾︎自分の作品づくりであり、
◾︎家族と共に暮らしながら、自分の人生を生きること
親や世間の目を基準にした人生から卒業し、自分が自分を生きることを自分に赦すこと。
今までの否定的な出来事を全て「肯定」に変える。
本当の強さとは、勝ち負けではなく、一生をかけて乗り越えられる「心の姿勢」を身に付けること。
誰の人生も大いなる何かに導かれている。
今日もありがとうございます🙏
世界平和は、ひとりひとりの心の内にあります。 共に明るい世界を築けていけたら幸せです。 今日もありがとうございます🌸