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さよならプリンセス~フィロソフィーのダンスの話~

フィロソフィーのダンスを初めて見たのは2018年だったろうか。
とあるアーティストの方が「フィロソフィーのダンスは良い!!」と熱心に話していたので
どんなんだろ~と軽い気持ちで動画を見たのがきっかけだった。

4人組の女性アイドルグループ。
アイドルと名乗ってはいるが、ひとたびパフォーマンスをすれば
ソウルフルな歌声を持つメンバー、しっとりミルキーボイスで歌うセクシーダイナマイト、ストイックなTHE正統派アイドル、アニメ声オタク系美少女…と
あまりに不思議な組み合わせの4人がアシッドジャズやらファンクやらソウルやらR&Bやら、他のアイドルとは一味も二味も違う世界を見せてくれた。


初めて、この「ヒューリスティックシティ」のMVを見た時、
全身がしびれるような、な、な、な、なんじゃこりゃ~~!!!と松田優作バリの声で叫んでしまったような叫ばなかったような。
とにかくとんでもない出会いをしてしまったと衝撃を受けたのだった。

これまでの記事にも書いた通り、私は男性アイドルのオタクは長かったので
男性アイドルならば気になったら即現場!!という勢いだったが
女性アイドルに対しては現場に行くほどではないかなあ…と躊躇していた。

しかしある日、酒を飲みながら見た『ライブライフ』のステージ映像を見て
その明るさ、その溌剌さ、そのヘルシーさ、彼女たちからあふれ出る音楽への「スキ」が響きまくってしまい
ボロボロ涙を流してしまった。

日向ハルちゃん(ひときわ歌の上手い小柄だけどソウルフルな女の子)の歌い上げる

愛を歌わせて
生きるってそのことだ

という部分に、
この歌詞を歌うべくして生まれてきた人なのではないかと震えあがってしまった。
この人は歌うために生きているような
歌うことが生きることのような
そんな感覚がうわべだけでなく、彼女自身から伝わってきた。

ライブチケットをとるまでに時間はかからなかった。

フィロのスのライブ

私が彼女たちにハマった時はまだインディーズだったためか、
当時私が住んでいた東海地方にも定期公演という形で2カ月に一度程度のペースで
コンスタントに来てくれていた。
ハマってからはその全ての名古屋公演に通った。
女の子のアイドルの現場に通うことは初めてで、当初は緊張もあったが
ファン層はかなりざっくばらんだったのでぼっちでもすぐにその空気に馴染めた。
いかにもアイドルオタクです!という男性ファンもいたが
女性ファンもそれなりにはいたし
バンドのファン系(見た目からの勝手な印象だが)の男性や
もはや何のファンにもならなそうな(めちゃくちゃ偏見)先の尖がった靴を履いたキラキラ営業マン系の男性もいた。
コロナ前だったので、そういうキラキラ系男子が♪お~れ~の~!あんぬ~!♪などとアイドルのコールをやっているのを見ることができたり
みんなが公演前のドリンク交換で缶ビールをチョイスして、ほろ酔いでライブを楽しんでいる姿も面白かった。
(おそらくファン層が穏やかだからこそできた飲酒OKだったのだろうけれど)
(暴れたり余計な行動をとるファンはいなかった)

彼女たちのライブはTHEアイドルのライブとも、バンドのライブとも、ダンスボーカルグループ系のライブとも違う
何か、唯一無二の時間が流れていた。


好きになった当初、日向ハルちゃんやとろけるボイスの奥津マリリちゃんの実力に魅力を感じていたが
それだけじゃないのがフィロソフィーのダンスの素晴らしさだった。
フィロソフィーのダンスの話題になると、アイドルと呼ぶには「もったいない」という声をたまに見かけるが
私は彼女たちがアイドルであることに価値を感じている方だった。
ハルちゃんとマリリともう二人がもしも同じように歌唱力全開メンバーだったらそれはそれで素敵なグループだったかもしれないが
ストイックスーパーアイドルあんぬちゃん(佐藤まりあ)と
オタク系美少女おとはす(十束おとは)だったからこそ、不思議な化学反応が生まれたのだと思う。

あんぬちゃんは素直でまっすぐな歌声で、ユニゾンにあんぬちゃんの声が入るととにかくかわいい。
かわいいのである。
フィロソフィーのダンスのおしゃれで音楽性の高い楽曲に、彼女のような愛らしい声が入ることで
歌詞に描かれている人物像の雰囲気に広がりを感じるのだ。
人間の中にある不器用さやぎこちなさ、涼やかさ。
あんぬちゃんの声は特に『シャル・ウィ・スタート』がめちゃめちゃ好き…!


そして拝啓、十束おとは様

そして私が特に声を大にして語りたいのが前述、オタク系美少女おとはすちゃんについてだ。
目は大きくクリクリっとしていて、口元には八重歯が覗くキュートなルックス(なんか書いてて変態っぽくなってきたかもしれない…)
声はなかなかのアニメ声なのだが、それがこのグループの歌声に良いスパイスというか…隠し味というか…表現が難しいのだが
「おとはすの声が入って完成!」と叫びたいくらいなくてはならない存在感のある声なのだ。

それでも活動初期の頃の楽曲では歌うことに苦労していたのかな?と思えるシーンもいくつか見た。
特にアニメ声は地声なので、裏声でないと発声しづらいであろうキーのパートを歌うのは相当大変だったのだろうと
いちファンとして勝手に見ていた。
しかし曲がリリースされるごとに彼女の歌声はどんどん変化していった。
それを顕著に感じたのは「シスター」だった。


私はこの曲が大好きで、というか彼女たちのファンならこの曲に特別な想いを持っている人も多いと思う。
この曲のおとはすの声は本当に最上だった。

昨日のかわいい子は誰?
ああそうなの
契約なんかないしもう
仕方ないことね


このおとはすの歌い方は切なくて、どこか諦めているようにも聞こえて、けれど自分から滲み出る想いを抑えられないような
胸を掴んだ手のひらからじわじわとあついものが流れてくるような、そんな、もうなんか言葉にしてもしきれないような
独特の魅力を孕んでいて、私は本当にこの曲のこのパートが好きなのである。
歌うことに苦労していた(ように見えた)おとはすの声がこんなにも進化していて


おとはすがこの声を出せるまでどれほど努力をしたか
考えれば考えるほどまた涙が出てきそうで、
ライブでこれを歌い踊る姿を見ていてボロボロと涙を流す限界オタクになっていた。

すごいなあすごいなあおとはす
これからどんどん進化していくんだろうなあ
ハルちゃんとマリリとあんぬちゃんとおとはすでもっともっとすごいグループになっていくんだろうなあと
思っていた。
楽曲の雰囲気や活動の仕方を見ていると
彼女たちなら30歳になっても40歳になっても結婚したりしたとしても
ずっと続けていくんじゃないかと思い始めていた。


しかし今年、それは本当に突然やってきた。
『十束おとは卒業のお知らせ』

私が勝手に描いた“理想”のフィロのス

2020年9月に彼女たちは待望のメジャーデビューをした。
メジャーデビューが決まった時、私は心躍り、彼女たちにそれはそれは熱い文章を送った。
日本の、いや世界の音楽シーンを揺るがす存在になってください!とか
どんどん大きくなって、距離が離れて寂しいって思えるほど大きくなって構わないし
きっと4人ならそうなると思う!!みたいな、何かもう今思い出すと顔から火が出るくらい熱くてちょっと鬱陶しいことを
書いてしまったように思えるのだが……。
こんなに素晴らしいグループがあることをアイドルファンのみならず、音楽好きにも知ってもらいたかったし
だからこそメジャーデビューは最高に嬉しかった。

そしてそれと同時に私…いや、多分私だけではないそれまでのファンが愕然とする事実を耳にした。

インディーズ時代に楽曲制作にメインで携わっていた方々が、制作から離れるというのだ。
正直初めは楽曲の良さから入ったタイプだったため、その素晴らしい曲たちを書かれていた制作陣が変わるということは
大大大ショック以外の何者でもなかった。
それでもメジャーデビューは嬉しかったし、デビュー曲も嬉々と聴いた。
初めてラジオで流れる時には何時間も前からワクワクして、ラジコの前で正座待機だった。

すごく正直なことを言ってしまうと、慣れ親しんだ歌詞の世界観、曲調から変わっていくフィロのスからすこし遠ざかりかけた時期があった。

けれど振り返ってみると私は過去の(細かいことを言うとコロナ前のライブの楽しさもひっくるめて)フィロのスの幻影を
袋に詰めてそれを引きずりながら歩いていた。

それをいつの間にか自分の理想像にしてしまっていたような気がする。

けれど、そんな間も彼女たちは止まることなく進化していたし
制作陣が変わったからこそ新たに生まれる魅力たち、
本人たちが積極的に制作に顔を出しているからこそ出てくる魅力たちが
たくさんあったのだと私はのちに思い知った。

それを一番感じさせてくれたのが『愛の哲学』だった。


これを聞いた時、初めてフィロのスに出会った頃のような全身がしびれる感じと
彼女たちの溢れる愛に包まれる感覚で、私はまた運転しながら涙を流す危険な限界オタクと化した。
私が過去の良さにすがりついていた間も変わらず彼女たちは
その明るさ、その溌剌さ、そのヘルシーさ、あふれ出る音楽への「スキ」を持って歌い続けていたのだ。

それに改めて気づいた時にはもう、おとはすの卒業のニュースが流れていて
それも相まって、ファーストメジャーアルバムを聞きながらひたすら泣いていた。

私が勝手に立ち止まっていただけで、そこには変わらず間違いなく哲学がちゃんとあったのだ。

『ウォータープルーフ・ナイト』

この曲もまた、おとはすの魅力大爆発の曲だった。
それこそ、これこそ、制作陣が一定でなくなったからこそ生まれた名曲だし
ハロプロ楽曲ではおなじみの児玉雨子先生が書かれた平成を生きた女の子の歌を
おとはすのアニメ声が歌うことでノスタルジック…今風な言い方で言うとエモいとでも表そうか…そんな雰囲気の曲で
ああ、これはきっと「今のフィロのス」だから歌える歌なんだと唸ってしまった。
メジャーデビュー後の楽曲にも間違いなく彼女たちらしさが溢れていたし、進化という意味では変わったけれど良い意味で何も変わっていなかった。
むしろそれまでに無かった彼女たちの"新しい自由”が溢れているようにも感じた。
だって「私、自由になるわ」って歌ってるしね笑。

そんなこんなで私は遅ればせながら、メジャーデビュー後の楽曲を後から堪能していった。


容赦なく愛してくれるアイドル


コロナが少し落ち着いていた時期に開催されたツアー。
おとはすのいる4人体制ラストのツアーに参戦した。

名古屋の小さいハコで見ていた4人は東京ドームシティの大きなホールで生き生きとそこに立っていた。
4人の身体からあふれ出るパワーと愛に、私は何度も見えない温かいものに包まれている感覚を覚えた。
楽曲が変わろうと、彼女たちの唯一無二の空気間は何も変わっておらず、多幸感、そうこれを多幸感と呼ぶのね、と何度も心の中で唱えた。
『愛の哲学』の歌詞のようにマリリが何度も私たちファンを
「容赦なく愛してあげるよー!!!!」と叫んでいた。
それはアイドルっぽいサービストークのそれではなく(勿論そういうのも好きだが)
マリリが心から叫んでいるように感じた。

私の耳がその言葉を捉えると、じんわりと胸が熱くなって
本当に本当に愛されている気持ちになった。
いや、間違いなく私たちをあの会場でとんでもなく大きな愛で愛してくれていたのだ。

彼女たちは『ベスト・フォー』という最高の曲を歌ってステージを後にした。
彼女たちは最高で最上の4人だった。

わかっていたけれど泣いた。
まあそれはそれは泣いた。
限界オタクと笑われても構わない。
この4人のステージを見れるのはあと何回かと数えることの切なさと
溢れる愛の大きさに圧倒されながら、私は泣いたのだった。


さよならバイバイ元気でいてね

あと一カ月と少しでおとはすが卒業する。

卒業のお知らせと同時に新メンバー中途採用のお知らせが来たことにもビックリした。
寂しかったけれど、前述の通り彼女たちはアイドル。
なんならもともとは5人だったのが4人になった経緯もあるわけだし
こういうことはあって当然……だけどやっぱり寂しいものである。

こういう少数精鋭のグループかつ実力派のグループに新たに加わるメンバーはそれはそれは大変だろうなあとは思うけれど頑張ってほしいなあ。
新しいフィロのスの素敵なところも、たくさん見つけていきたいなあと今は思う。

そしておとはす。
特典会で衣装と同じ色の服を着て行けばすぐに気づいてくれたおとはす。
ライブ後の多幸感でニコニコだった私を見て「すっごい笑顔ww」と笑ってくれたおとはす。
いつも丁寧にありがとうと伝えてくれたおとはす。

わー、思い出すだけで泣いてしまう。
引退するわけじゃないから完全なさよならじゃないけど、アイドルとしてはさよならになっちゃうのが
寂しい、悲しい、けど、幸せであってほしい。
インタビューを見る限りでも
私たちに夢を見せてくれていた間、きっとつらいこともたくさんあったと思う。
それでも続けてくれてありがとう。
ベスト・フォーでいてくれてありがとう。

君の好きなものに 君の前でなるよ

をずっと続けてくれてありがとう。

健康でいてね。
これからのおとはすの人生に笑顔でいられる日がたくさんあるといいな。
幸せでいてね。

“世界で一番眩しい今を、あなたは生きている。”


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