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【日記】卒論に試されるライティングスキル。その難しさに圧倒される経験。

こんにちは、長月です。

ついに、先日、卒論発表会を終えました!

2年生のときに初めて卒論発表会を聞きに行き、

「自分が4年生になったときには、あの先輩方のように堂々と壇上に立てるように頑張ろう!」

という決意をしてから、本当に壇上に立って発表を終えるまでに感じたことはさまざま。

今日はその中でも、1番自分にとって学びになったことについて。

「正しく伝える」ということを私がいかにできないか、をとにかく思い知らされる。


実際に研究室での活動が始まるまで、私が漠然と「研究」という行為に関して想像していたことは、

「難しい論文をたくさん読まなくてはいけなくて、大変そう。」

とか、

「実験で結果が出なかったら、どうしたらいいんだろう。」

などといった、まさに“アカデミックっぽい”困難が待ち受けているのだろう、ということでした。

実際に取り組んでみると、このような部分は確かに困難ではありましたが、今思えば「所詮、想定の範疇」でありました。

では、私にとって青天の霹靂!な困難だったのは何かと言いますと、これらの文献の内容や実験結果を踏まえて、それを一切誤解のないように正確に表現しきることでした。

例えば、

・この問題が生じている背景に、どのような経緯があったのか?

を、問題に取り組むことの合理性がわかるように、しかし、主観が入らないように、説明することであるとか、

・結果の解釈(考察)は、明確な根拠によって支持されているか?主観や想像に委ねている部分がないか(分野ごとに程度は異なりそうですが、私の分野では“推察”もほぼ通用しません)

を、主張に必要な全ての要素と根拠をきちんと説明しきったうえで、誰が読んでも一義に伝わるように書く(プレゼンだと、描く、ということもある)ということであるとか……。

本当に難しいんですよ。ちょっとした言葉の選び間違いで誤解されやすい文章になってしまったり、根拠を書き漏らしてしまって客観性が失われたりということが、油断するとすぐに起こります。

自分の語彙・表現が熟達していることと、客観的な視点で自分の文章を読めるかということの、非常に高度な能力の両立が試されているわけです。

特に苦戦したのが、自分の研究タイトルを決めるときだったかな。

自分の表現の癖として、強い言語で断言してしまいやすい部分があり、それが一番ひどく出てしまったときのタイトル案に対しての先生の指摘は、

「これは、教科書に載ってるような常識をひっくり返すような、世紀の大発見をしたときの研究タイトルだよ~~博論でもこれはないね~~」

でした笑。

そういうわけで、この1年では、この正しく伝えるという能力の基礎を学べたことが一番の学びでした。

ちなみに、卒業研究の本論を書き上げるのはこれからなので、まだまだ苦戦しながら頑張ります笑。

では、また時間が作れたらnote書きにきます。
お読みくださりありがとうございました~~~~

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