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印象

 先日、とある人に「かわいそうに」と言われた。ことの発端は、私は嗅覚が全くないのでいい匂いも悪い匂いもわからないと話したからだ。この会話は日常茶飯事であるため理由は割とどうでも良いのだが、「かわいそうに」という言葉に引っかかった。反射的に「他人事ですね」と返さずにこにこしながら「いや〜まぁ、はは」と言った自分を褒めてやりたい。

【かわいそう】
[形動][文][ナリ]同情の気持ちが起こるさま。ふびんに思えるさま。「—な境遇」「彼ばかり責めては—だ」「お—に」
[補説]「可哀相」「可哀想」は当て字。
(デジタル大辞泉より引用)

 用法としては全く間違っていない。しかし私がこの言葉から受ける印象は「他人事っぽい」「自分が当事者になると微塵も思っていない」「言い方によっては上から目線」である。もちろん私がそこそこ卑屈で短気なことは認める。しかしこの言葉「かわいそう」は自分が同じ目にあっているときには使わないように思う。なので私はあまり「かわいそう」と言わないようにしている(あえて使うことは多々ある)のだが、案外皆気にしていないらしい。

 そういう、誰も気にしていないけど私だけ気にしている言葉が多々ある。なんとなくそれらを使わないようにしているが、人に言われた時に「あっそれ言うんだ」と思ってしまう。「匂いわかんないんだ。かわいそうに」と言われたら毎回「お前もなくなればいいのに」と思う。あれ、やっぱり私の心が狭いのでは…?とも思うが口に出していないだけマシだと思っている。(たまに我慢ができない時は遠回しに言ってしまうが)

 言葉というのは言い手の考えと、言われた側の受け取り方で齟齬が生まれることが多い。「かわいそう」だって、私が捉えるように「他人事」「上から目線」という感情は含まれていないかもしれない。文脈や言い方や、相手との関係性によっても印象は変わってくるから厄介だ。
 ここ数年「誰も傷つけないコメント」を意識していたが、はっきり言って不可能だと最近気がついた。意識しすぎてなんの感想も意見も言えなくなる。私が創作物の感想をあまりに言わないのはそのためだ。言わないせいで語彙力が下がっている気すらする。とりあえず、最近見た某妖怪映画、めちゃくちゃおもしろかったです。ぜひみて。といった曖昧な感想しか言えない。布教にすら影響が出ているのはほんとうにまずいので、積極的に感想も言ってしまおうかと思う。水木青年、あまりにもかわいそうなのに強くて最高だった。




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