見出し画像

自己開示のメリットと方針のとりかた

私は多分、人と関わることで、馬鹿にされることが怖かったんだと思う。無視されることが怖かったんだと思う。目立つのも怖かったんだと思う。

でも最近、そういう風な生き方をしている私は、そういう風な小説しか書いてないことに気がついた。人と関わって人と関わることで見えてくる世界があると、小説の中では書きたいのに、実際に自分が経験しないので書けない。じゃあ、体験してみるしかない。してみたい。でも、人間関係は怖い。そもそも人間が怖いから小説書いてるのに、人間に会いたくなってしまうのは笑える。

そう模索しているうちに、私は人間関係において、自己開示が一番大切なんじゃないか、と思うようになった。お互いのことが分からない状態で、何かをしようとしても、それはとても難しい。
相手の情報を知り、自分の情報も知ってもらえれば、お互いにロスが少なくて済む。必要以上に気を使ったり、察することができないことに罪悪感を感じる必要もない。

自己開示において、 SNS は素晴らしいツールとなると思う。 この人に会いたい、と思うきっかけになるし、自分はこういう人ですよと、最初に理解してもらうきっかけとなる。

ただ、なんでもかんでも自己開示をすればいいというわけでもないということにも、最近気がついた。
例えば、相手を必要以上に不快にさせるような文章を書くメリットはあまりない。愚痴や不安は、共感の材料にはなるけれども、魅力にはならない。すると、自分の好きな人に、自分に会うメリットはないと判断される可能性がある。
もちろん、愚痴や不安は、意見や学びに昇華して記事にできたら、それは誰かのメリットになり、ひいては自分のメリットになるだろうと思う。

なので、自分の中で、この二つは守ろうという方針をとりあえず決めた。
・相手を必要以上に不快にさせない
・自分と相手が楽になる、メリットを得る方向を目指す

とりあえずこの二つを守っておけばいいかなと今のところ思っている。たぶん、それはそんなに難しくないだろう。
人間性というのは、多面体みたいなもので、光の当て方を変えれば、いかようにも捉えることができる。

例えば自分はオタクなのに、キラキラ女子を目指している、という人は、インスタではネイルや買い物の写真をアップするかもしれないし、 Twitter では、 では漫画の話ばかりをするかもしれない。
優柔不断の人は、私は柔軟性にあふれてていて素晴らしいという記事を書くかもしれないし、私はぐずぐずしている自分が嫌いだ、という記事を書くかもしれない。
何を書いても間違いということはないが、自己開示の意義は、コミュニケーションの齟齬をなるべく無くす、という点にある。なので、そこに気を付けて、描くネタを選んでいけばいいと思う。

また、自己開示をしていくうちに、自分の一番嫌いな部分も、一番良いと思っている部分も、見方が変わったり、受け入れられたりするかもしれない。それはそれで自己開示のメリットだ。

ということで、この記事が、いろんな人とつながれるきっかけになることを祈って。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?