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鴨東物怪録2「節分」

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節分の宵の小門をくぐりけり   杉田久女

 諷詠館に越してから一月も経たないのに、その間に不思議なことが立て続けに起こっている。そこで、大家の老婆に相談したところ、馴染みの霊媒師を紹介してくれるという話になった。
 果たして信用してよいものか疑問ではあったが、霊媒師というのがどんなものか興味もあったので、一度お祓いをお願いしてみることにした。

 霊媒師が来ることになっていた日のことである。
 約束の時間を過ぎても一向に現れないので、しびれを切らして夕食の具材を買いに出かけた。どうやら節分らしくレジ前に炒り豆が売り出されている。なんとなく目に着いたので、特に食べたいとも思わないが一袋買って帰ることにした。

 エコバッグを下げて鴨川沿いの道を歩いていると、奇妙な老人に話しかけられた。
 とっくに還暦は迎えていそうな男性なのだが、母親の道具を勝手に拝借して初めてメイクをした小学生のような、下手な厚化粧を施している。何か言いたげな顔をしていたが、ついに諷詠館の外でも出くわすようになったかと思い、反射的に走って逃げた。

 息を切らしながら走っていると、途中、民家と民家の隙間の路地から何者かに手招きをされた。
 覗くと、この時季にしては薄着であるが、スーツ姿の身なりのしっかりした男がいる。こちらへ、と言うので思わず路地に駆け込んだところ、例の老人をやり過ごすことができた。
 助けて貰ったお礼を言うと、諷詠館を探していると言う。どうやら大家の頼んだ霊媒師らしい。
 さきほどの老人の姿がすっかり見えなくなったのを確認して、連れて帰ることにした。

 諷詠館に戻ってきたところ、行き掛けには気付かなかったが、門に張り紙がしてあった。「節分につき、大門使うべからず」とある。大門というのは普段使っている門のことだろうか。よくよく見るとたしかに脇にもう一つ小さい門がある。
 理由は分からないが、わざわざそう指示されているので、小さい門から入ることにした。スーツ姿の男はしばらく考えた後、大きな門から中に入った。

 気になって外を見ると、遠くからあの女装した老人が走って来るのが見えた。しつこい。どうせ他に住む者もいないので、二つの門にそれぞれ閂をかけることにした。

 とりあえず自分の部屋に通して、こたつを囲んで座りながら、スーツ姿の男にここ最近自分の身に起こっていることを話した。
「隙間を警戒なさることですな。ここは人の住まう現世なのですから、人ならざるものがのさばる道理はありません。しかし、人目の届かぬところには物怪が棲みつくことがあります。たとえば、キッチンと戸棚の間、浴槽と床の間、そうした隙間にです。――それはそうと、今日は節分ですな。今日で冬が終わり、明日には春が始まります」
「春になれば不思議なことも無くなるでしょうか」
「それはそうでしょう。むしろ、冬が終わり春が始まるとき、二つの年の間に大きな隙間が出来ます。現世に出来得る最も大きな隙間です。鬼は一年を掛けてその隙間を狙っています。――あ、そこにも隙間がありますな」
 振り返ると、たしかに本棚と戸棚の間に隙間が空いているが、どこか様子がおかしい。ただの暗闇にしか見えないが、何となく不吉なものを感じる。
「そちらはこの家から東北、つまり鬼門にあたります。そんなところに隙間を作っちゃ、我々の思う壺ですよ」
 先ほどまで無表情だったスーツの男が、ニヤニヤと笑っている。それに、さっきまで無かったはずの小さな角が頭に二つ生えている。
「ひいっ」
「鬼は外、福は内。鬼を内に入れたらおしまいですよ」

「ふあああ」
 そのとき、部屋の隅から黒猫が欠伸をしながらのそのそ這い出してきた。
「えらい寝てもうた。もう外は真っ暗やないか」
「き、貴様は!」
 そう叫ぶと、次の瞬間に鬼の姿は消えていた。本棚と戸棚の間にあった隙間を見ると、禍々しい気配は無くなっており、ただの隙間に戻っていた。
 鬼の存在に気付いていないはずはないが、黒猫はそんなこと気にもとめず、寝惚け眼をこすっている。
「いったいあいつは何だったんだ」
「そこらへんにおる小鬼やないか。なんや、あんなんに絡まれてたんか。そんなことより外の門開けたりぃな。おのれの客人、寒い中ずっと外で待っとるで」

 表を見るとあの女装した老人がいた。大家の手配した霊媒師はこちらだったらしい。部屋に通すと、この老人は小さな門から入ってきた。
 節分には鬼の目をそらすために異性の姿をする風習があるらしく、この霊媒師の老人は鬼除けのためにこのような格好をしてきたらしい。それならそうと初めに言ってくれればよかったのに。
 せっかく来てもらったところ申し訳ないが、時間も遅いし鬼も消えたので、今日のところはお帰りいただくことにした。
「くれぐれも節分に大門から通ろうとする人を中に入れませんよう」
 帰り際、老人はそう言い置いて出て行った。

 その後、遅まきながら部屋の戸を開けて、鬼は外、福は内とやっていると、隣室から例の色白の女性が顔を出した。
 恵方巻きを作り過ぎたので、お裾分けしたいと言う。結局夕食を作り損ねたままだったので、ありがたく頂戴することにした。そのとき、ついでに名前も聞いてみた。弥生さんというらしい。
 名前があったことに驚くと同時に、彼女から縁起物を貰うことについて、若干の矛盾を感じながらも、一人部屋に戻って恵方巻きにかぶりついた。
 それから、変わらず俯きがちではあったが、恵方巻きを受け取ったときの顔付きが少し嬉しそうだったのを思い出して、霊媒師の件は断ることに決めた。

節分お化け
節分の夜に、男性が女性の恰好をしたり、老婆が少女の髪型をしたりする伝統行事。普段と違う姿をすることで、節分の夜に現れる鬼をやり過ごすためと言われている。戦前に一度廃れた行事ではあるが、町おこしの一環として近年復興されている。

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