読書感想文(373)菅野博史『法華経入門』(岩波新書)
はじめに
こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
今回は仏教の本です。
私は岡潔のエッセイから仏教に興味を持ち、佐々木閑氏の100分de名著でより一層仏教を学びたいと思うようになりました。
その中でも、法華経は最強の御経であること、一方で法華経で頻繁に出てくる「方便」が世の悪の根源になっているのではないかという疑問から、法華経についてもっと詳しく知りたいと思い、この本を手に取りました。
法華経の一切衆生救済という思想自体は素晴らしいと思うのですが、その為に方便を使わない方法はないだろうか、というのが最近の悩みです。
なぜなら、世の中には方便を使って、利他を装った利己が沢山あるように思えるからです。
感想
とてもわかりやすくて良かったです。
これまで読んだいくつかの仏教の本は、入門と銘打っていても難解であることがしばしばあったのですが、今回はちゃんと入門書でした。
今回最も印象に残ったのは、常不軽菩薩と宮沢賢治『雨ニモマケズ』が重なるというお話です。
久々に『雨ニモマケズ』を読み、どういうものに私はなりたいのだろうなどと考えました。
常不軽菩薩の実践は素晴らしく、自分もそのようになりたいと思います。
けれども、何の為にそのようになりたいのか、と問われると即答できません。
でも、どんな人に対しても常に相手を信じて、相手の為になるように行動したいとは思います。
これと合わせて、「仏は浄土にしか住めない(穢土には住めない)、ゆえに観音や文殊は娑婆世界の衆生を救うために菩薩として現れる必要があった」という話も印象的でした。これは有川浩『空飛ぶ広報室』の比嘉三曹に近いかもしれないと思いました。彼の場合は奥さんが資産を持っているから稼ぐ必要が無い、という前提もありますが、利己(自分の出世)よりも利他(仕事がよく回るようにする)を優先できるのは良いなと思いました。私は菩薩のようになりたいのかもしれませんが、覚悟がまだできていません。
さて、法華経全体の話として、改めて方便について考えてみたいと思います。
まず、様々な比喩や解説を読むうちに、一切衆生救済の為に様々な手法が必要であることは理解できました。
しかし、その中にやはり嘘や騙す行為が入ってはいけないのではないかと私は思います。色んな説明の仕方を試みるのは大事だけれど、騙すのはダメです。
なぜかというと、法華経は仏が絶対的な善であると仮定しているからです。
有神論無神論の辺りで、神は絶対正しい、みたいな論理があると聞いたことがある気がしますが、仏教において仏は概念からして正しい行いをする前提です。
しかし、例えば常不軽菩薩や日蓮のような人が実際にいるとして、その人が絶対的に正しいことは証明することができません。
もう少しわかりやすく言えば、常不軽菩薩と常不軽菩薩を名乗る悪人がいたとして、どちらも同じような振る舞いをしたとします。しかし、前者は当然常に相手の為に行動しますが、後者はどこかの段階で裏切って自分だけ得をしようと考えています。けれども、裏切られるまでその違いに気づくことはできません。
だから、真理を教える為に比喩を用いるとしても、それはあくまで比喩に留め、真理を分かるところから教えていくより他無いのではないかと私は思います。
まあ、結局何を信じるかはその人次第なのですが……。
最後に、気になった所や覚えておきたいことを簡単にメモして終わります。
おわりに
かなり情報量が多かったので、ノートにまとめようかなぁと思っています。
仏教に関するノート、哲学に関するノート、その他勉強に関するノート。
多分しばらくはやらないけれど、こうやって書いておけばいつかやるはずです。
ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。
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