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「意識高い系」という言葉は「頑張らない理由」になりつつあると思う話

意識高い系という言葉は、

頑張りたくない人たち」が作った

頑張らないための理由」だと思います。

一人歩きする意識高い系という言葉

意識高い系、という言葉はネットスラングから派生して生まれた言葉です。

SNSで自分を様々な肩書きやタグで飾っては、そうして得たマウントで人を見下したような態度を取る。的な学生を揶揄する言葉として元は誕生しました。


やたら人脈をアピールし、著名人やインフルエンサーとのセルフィーを上げる。そういう「虎の威を借る」いけ好かない発信活動のスタイルが嫌われ、揶揄される原因になったんだと思います。

でも、それもだんだんと変化していると思います。僕はまさに変化の過程の中で、「意識高い系」という言葉に触れてきました。

今意識高い系という言葉のターゲットになっているのは、本来の意味で「意識の高い」ただの頑張り屋さんだと思います。

これぞまさに、言葉の独り歩き。

少しでも真面目な発言をしたり、経歴をアピールしたり(または経歴となりうる活動を)すると「意識高い系」と呼ばれてしまうのが、僕らの世代のリアルです。

ちょっと活動的で、がんばりやさんな人を見ただけで

「意識高い系だね笑」

「意識高い系みたーい笑」

と言いやすい風潮も問題だし、

そこにあるのは結局「1人で歩ける」という

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なんですよね。

指針がないからやらない、という足の引っ張り合い

何を買うにも、どこに行くにも、グーグル先生に、iPhone先生に、アンドロイド先生に教えを乞うてきた僕たちは、何も指針のない状態で行動し始めるのが億劫で仕方ないんです。

だからこそ、あてもない行動への僻みが半端ない。行動的な人というのは、得てして「やりたいからやる」という損得をある程度無視したロジックで動くものです。

その人に対して「意識高い系」とレッテルをは貼る人たちは

「その先それで飯を食っていくのか?」

「それを得てなんになるのか?」と鬼の首を取ったかのように指針のなさを批判します。

指針なき行動で、損得勘定なしの行動で、お前が新たなタグを、プロフィールの一文を獲得するなんて許さないぞという構え。これこそ行動力への僻みが生んだ現代の(こと学生が使う意味での)「意識高い系」です。

「検索できないことをしようとする人」を見つけては「意識高い系」って揶揄して、自分たちのグループから抜け出すのを防ごうとするんです。

こうやって

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という、自分が行動しない理由にそういう人たちを使っていく構図が僕はあると思います。

この言葉の呪縛によって、結果一歩を踏み出しづらくなっているという事実に、同い年と話していて直面することが多々あります。

そういう彼らは、経歴で自分を飾ろうとしているわけでは別にありません。でも語彙の伝わり方は選べないから、見下しているように感じられることもあるのかもしれません。

でも、争いたいんじゃなくて、基本的には

あんたと俺は違うよね

ってだけの話だと思うんです。超基本的なのに、忘れちゃうんです。僕も。でも読んでくださってるあなたと僕は違う人間なんです。目に見えてるものが世界だと、思いすぎてるんですよね。大体の場合。

そして僕も、「意識高い系」として揶揄されるかも、という自意識のせいで行動が億劫になっていた側の人間です。

このnoteを始めようとするときにもなんとなく引け目がありました。

それは絶対に「意識高い系」みたいな言葉の持つ呪いのせいです。忌々しい。

今は「(自)意識高い系」

僕がその自意識と戦ってこのnoteを始めたように、現代の意識高い系(と呼ばれている人たちは)は、僕は「(自)意識高い系」だと思います。

人一倍思慮深い人が、同じように悩んでいるのを僕は見たことがあります。

投稿と発信は、無名から始めようとすると揶揄されがちな世の中なのです。いつまで断ってもクラスメイトの視線が気になる給食臭い世代なのです。

僕は大切なのは、「行動しない方向に引張る」のでも「みんな行動的になる方向に引っ張る」のでもなく、みんな違うから、みんな違うよね~~って風潮が広まることだと思っています。

わかりやすく対比して、どっちかを悪にするのは、教室だけで十分。

我々はもう教室から出ているわけです。

いろんな人がいて、だから面白い。ときに理解できない人がいて、そういう人とは、最低限のルールだけ守って、併存していくこと。

そういう当たり前がもっと広がれば建設的なのに、と思います。

特に仙台に出てきてからずごく実感したことがあります。それは、自分と同じような人をずっと仲間として、親友として探してきたのは間違っていたということ。

少なくとも今、僕の周りにいてくれる人は、僕とは全然違うけど、僕がとっても面白いと思ったり、素敵だと思ったりする他者です。

昨日も言いましたけど、親だってバンドメンバーだって結局は他人なんです。だから、俺と同じやつ、という視点で人を探すこと、「俺の側に来い」という姿勢の人付き合いをしていたら、疲弊しきってしまうんです。

どこまでいっても他人なら

だから、うざい~キモい~ムカつく~~って教室で大きな声で嘆くのをやめて、自分とはぜんぜん違うけどめっちゃおもろい他者を探さなきゃと思うのです。

これはやっぱり戒めでもあります。

違う人たちのことをうざい~キモい~って言ってたほうが圧倒的に楽なんです。でも、それじゃあいつまで断っても僕の活動は

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なんです。


つまり、狭―い世界での一位を目指してやっていくということ

そうじゃなくて、僕よりドラムの上手い人がいる、僕より文章が上手い人がいる。でも、自分と全然違うけど信頼できるたくさんの「他人」に喜んで欲しいから、その人たちがだいすきだから、頑張れる。

そういうほうが僕は少なくとも素敵だと、そう思う訳です。

少しでも足を引っ張り合う人がいなくなればいいなという、願いを込めて。

ではまた。

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