「セカオワ」が示した「世界の終わり3.0」【後編】
昨日はSEKAI NO OWARIのボーカル深瀬さんの誕生日だったそうで、意図せず昨日の記事をアップしていたので、なにか引き寄せ的なものを感じました。
前回は、『世界全体の終わり』から「自己世界の終わり」に移り変わっていった、日本のサブカルチャーと「世界の終わり」についてお話しました。
そして今回は、「世界の終わり」の今について、「自己世界の終わり」の先に何が待っていたのかを書いていこうかと思います。
「サイバー空間に一体何が待っているの~!」
時は1995年、Windows95の誕生によってインターネットに対する期待感が日本でも高まり、70年代以降落ち込んでいたフューチャリズムが再び高まります。
インターネットの技術で、サイバー空間で、なんか素敵なことがおこるかもしれない!という期待感の高まりです。
それを受けて、AIや、サイバー技術などを取り入れた、「ハイテク未来像」がサブカルチャーの中でどんどんと発展していくこととなります。アンドロイド的な存在もより現実味を帯びていきます。
そしてそれと対象的に、世界がまるっと終わる形では死を感じなくなった日本人は、今までよりももっと虚構の中でしか「死」を感じられなくなっていきました。
「泣ける映画」が量産された2,000年代初頭、常にフィクションの中につきまとっていたのは普段の生活からは少し遠い不治の病や逃れられない業による「死」でした。
この、「ファンタジー」と「フューチャリズム」の中で発展していった「世界の終わり2.0」は、SEKAI NO OWARIによって
「世界の終わり3.0」
へと変化します。
「世界の終わり」の申し子、その誕生から
まずはSEKAI NO OWARIというグループ名の由来から紹介していこうと思います。
この名前をつけたのはご存知ボーカルの深瀬さんです。深瀬さんは、高校を中退した後に、アメリカンスクールに入学するのですが、入学後2週間でパニック障害となり帰国します。
その後精神病院で療養生活を送りながら、大学受験に向けた勉強を進める日々を送りました。ですが、1年たったとき、パニック障害の発作によりそれまで勉強していた内容をすべて忘れてしまい、絶望してしまったんだそうです。
このタイミングで深瀬さんは、まさしく「世界の終わりだ」と思ったんだそうです。
ここで言う「世界の終わり」は、なにか大きな戦争や災害が起こったわけではありませんから、
を指しています。昨日話した、世界の終わり2.0な訳です。
その後、退院した深瀬さんは、自分に残された数少ない友達と音楽にこの先の人生の希望を見いだします。何も残されていない自分にも、この仲間となら、音楽でなにかできるかもしれない。
そのような、「世界の終わりからすべてを始めよう」という意思を込めて「世界の終わり」(当時は漢字表記)と名付けたのだそうです。
深瀬さんが希望を託したのが他者であるという点も含めて、非常に世界の終わり2.0的ですよね。自己世界が終焉を迎えても、なお続く「他者世界の永続性」「自分の外の世界の持続性」への信頼ともとれる結成経緯です。
ここからは、歌詞を読み解きながら、更にセカオワの描く「世界の終わり」に迫ります、(ややこしいな)
「不死鳥」の何が凄いか
「生きていくことがあまりにも便利になったから 生きているという実感がなくなっている」(「illusion」より)
「世界が平和になってから 僕らは生きていく理由が必要になっちゃって」(「Love the wars」より)
前編で書いたような、現実ではもはや「終わらない日常と世界の存続」への疑いはなくなってしまった現在の若者の世界認識が、この2曲ではまさに描かれていると思います。
「生きているという実感」を感じる手段は、自らの命ではなく、他者や虚構の中に存在する死や「終わり」から感じるしかないことが、その理由として挙げられると思います。
世界は終わんない、だから僕らは
世代を象徴するこのような主張が読み取れる2曲です。
そして、これらを踏まえた上で新たな「世界の終わり」像「世界の終わり3.0」を提示するのが、「不死鳥」という楽曲です。
この曲では、ロボットが自我を持つようになった近未来を舞台に、ロボットに恋をした少年のラブストーリーが描かれています。
永遠の存在である機械と、有限の存在である人類の対比の中で生まれた歌詞から多くのことを考察できます。
「終わりのないものなんて最初から始まりなんてないの」
この一行は非常にさらっとしていますが、今まで書いてきたことの中で分析すると、とても重大な一行です。
これは、前述のフューチャリズムの高まりによって現実味を帯びた、自我を持ったロボット、の登場による
を指しています。
もはやロボットの彼には、絶望によって命を断つこともできないわけですから、「世界の終わり2.0すら起こらないわけです。
「死がくれる世にも美しい魔法 今を大切にすることができる魔法 神様 私にも死の魔法をかけて 永遠なんていらないから終わりがくれる今を愛したいの」
歌詞中に登場する「今を大切にすることができる魔法」は80年代のラブコメっぽい「終わらない日常(=今)を楽しもう」というモチーフに深く通ずるところがあります。
そして、死を「魔法」と捉えていることにも着目してみます。「魔法」というのはわれわれが唱えることによって起こる現象や効能、そしてその仕組みについて、唱える以前も以後も知り得えないものです。
もはや、「不死鳥」という楽曲に登場するロボットにとって、「死=自己世界の終わり」はオカルトであり、ありえないものなのです。
「永遠なんていらないから終わりがくれる今を愛したいの」、これはもはや
と解釈できます。
つまり、ここではっきりと描かれるのは、
「自分の中の世界も外の世界も終わらなくなった存在」が
いままで『避けるべきもの』として書かれてきた世界の終わりを初めて心から望む、という全く新しい「世界の終わり」像なのです。
これこそが、
「世界の終わり3.0」
です。
核が飛び交い、地球が脅かされるかもしれない「世界全体」の終わりが、冷戦の集結とオウムの破綻によってなくなって「自己世界の終わり」と「外の世界の永続性」が生まれた。
そして、技術の発展によって現実味を帯びた「終わらない自己世界」が「死」を唯一感じさせてくれるファンタジー、つまり魔法と結びついて、ついに「せかいのおわり」が望まれるようになった。
この流れってとってもロマンチックだと思います。そして新たな価値観を提示したバンドの名前がまさしく「sekai no owari」なことも含めて最高にドラマチックです。
そして、今後サブカルチャーと「世界の終わり」はどんな発展を遂げていくのか、まだまだ生きられることを幸せに思いながら見守っていこうと思います。
あ、やっぱり僕も「まだまだ生きられる」って思ってるみたいですね。
ではまた。
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