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論文まとめ314回目 Nature 高性能なポリマーゲル電解質を用いた繊維状バッテリーの開発!?など

科学・社会論文を雑多/大量に調査する為、定期的に、さっくり表面がわかる形で網羅的に配信します。今回もマニアックなNatureです。

さらっと眺めると、事業・研究のヒントにつながるかも。
世界の先端はこんな研究してるのかと認識するだけでも、
ついつい狭くなる視野を広げてくれます。


一口コメント

Dearomatization drives complexity generation in freshwater organic matter
淡水中の有機物の複雑性生成を促進する脱芳香族化反応
「アマゾン川とスウェーデンの湖から採取した溶存有機物(DOM)を最先端の13C NMR分析で調べたところ、DOMの構造の複雑さの源泉は、リグニンやタンニン由来のポリフェノールが酸化的脱芳香族化(ODA)反応を受けることだとわかりました。ODAは平面的な芳香族化合物を、複雑な立体構造を持つ酸素に富む脂肪族化合物へと急速に変換します。さらにカルボキシル基の化学反応もこの複雑性に拍車をかけていました。ODAはDOMを微生物が分解しにくい構造へと変化させ、炭素を長期間隔離する上で重要な役割を果たしていると考えられます。」

Methane emission from a cool brown dwarf
低温褐色矮星からのメタン輝線放射
「褐色矮星は星にはなれなかった天体で、ガス惑星に似ています。今回、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡で、約480Kという低温の褐色矮星W1935を観測したところ、3.326マイクロメートルでメタンの輝線放射を検出しました。この放射は、約300Kもの大気温度の逆転層が原因と考えられますが、母星からの加熱がないため驚きの発見です。木星型惑星で見られるオーロラ加熱の可能性があり、太陽系外天体の研究に新たな示唆を与えます。」

Structures of human γδ T cell receptor–CD3 complex
ヒトガンマデルタT細胞受容体-CD3複合体の構造
「ガンマデルタT細胞は通常のT細胞とは異なる働きをもち、がん治療などへの応用が期待されています。今回、2種類のガンマデルタT細胞受容体(TCR)とCD3タンパク質の複合体構造を電子顕微鏡で解明。Vγ9Vδ2型は1量体で、受容体とCD3をつなぐペプチドの長さが抗原との結合やT細胞の活性化を調節。一方、Vγ5Vδ1型は2量体構造をとり、2量体形成がT細胞活性化に重要。構造の違いが機能の多様性を生み出す仕組みが明らかに。」

High-performance fibre battery with polymer gel electrolyte
ポリマーゲル電解質を用いた高性能繊維状バッテリー
「ウェアラブルバッテリーの安全性と柔軟性を向上させるため、液体電解質をポリマーゲル電解質に置き換えることが有効です。しかし、ゲル電解質と電極の界面の接触が不十分だと、特にバッテリーの変形時に電気化学特性が大きく低下します。本研究では、電極に整列したチャネルと網目状のチャネルを設計することで、ゲル電解質を効果的に取り込み、電極と安定した密着界面を形成する戦略を報告しました。この戦略により、高エネルギー密度(約128Wh/kg)と高速製造(巻き取り速度3,600m/h)を実現した繊維状リチウムイオン電池を開発しました。この電池は極限環境下でも安全に動作し、消防や宇宙探査への応用が期待されます。」

Discovery of WRN inhibitor HRO761 with synthetic lethality in MSI cancers
マイクロサテライト不安定性を示すがんにおいて合成致死効果を示すWRN阻害薬HRO761の発見
「マイクロサテライト不安定性(MSI)を示すがんは、DNAミスマッチ修復機構の欠損によりゲノムの不安定性が高まっています。本研究では、WRNというヘリカーゼ酵素を阻害する化合物HRO761を新規に同定しました。HRO761はWRNに対して高い選択性を示し、その結合によりWRNを不活性な状態で固定化します。HRO761によるWRN阻害は、MSIを示すがん細胞特異的にDNA損傷を引き起こし、p53非依存的な細胞死を誘導しました。HRO761の経口投与はMSIがん細胞株および患者由来のマウス異種移植モデルにおいて、用量依存的な抗腫瘍効果を示しました。本研究はMSIがんに対する新たな治療戦略となる可能性を示しています。」

Multi-project wafers for flexible thin-film electronics by independent foundries

独立系ファウンドリによる、柔軟薄膜エレクトロニクス向けマルチプロジェクトウェハ
「シリコンチップを製造する際、1枚のウェハ上に複数の異なる設計を載せて製造コストを下げる「マルチプロジェクトウェハ」という手法があります。本研究では、この概念を2種類の薄膜トランジスタ技術(IGZOとLTPS)に適用し、同一ウェハ/基板上に異なる設計の回路を製造することに成功しました。テストケースとして、1970年代の名作マイクロプロセッサ6502を両技術で設計・製造。これにより、薄膜トランジスタを使った柔軟なエレクトロニクスの設計と製造が、より手軽に、低コストで行えるようになると期待されます。」


要約

淡水中の溶存有機物(DOM)の分子構造の複雑性生成を促進する脱芳香族化反応

本研究では、アマゾン川の4地点とスウェーデンの2つの湖から採取した溶存有機物(DOM)サンプルを、13C NMRを用いて詳細に構造解析しました。その結果、DOMは通常の生体分子とは異なり、非常に高い割合の4級炭素(Cq)を含んでいることがわかりました。この特異的な構造は、リグニンやタンニン由来のポリフェノールが酸化的脱芳香族化(ODA)反応を受けることで生成したと考えられます。ODAは平面的な芳香族化合物を、酸素に富む複雑な立体構造の脂肪族化合物へと変換します。さらに、カルボン酸の化学反応もDOMの構造変化に寄与していることが示唆されました。研究チームは、ODAがDOMを微生物による分解を受けにくい構造へと変化させ、炭素を長期的に隔離する上で重要な役割を果たしている可能性を指摘しています。本研究は、DOMの分子構造の時間的進化メカニズムに新たな視点を提供するものです。

事前情報

  • 溶存有機物(DOM)は地球上で最も複雑で豊富な有機炭素源の一つだが、その化学的反応性は不明な点が多い

  • DOMの構造的特徴を理解することは、地球の炭素循環におけるDOMの合成、代謝、分解過程の解明に役立つ

行ったこと

  • アマゾン川の4地点(白水、黒水、混濁水、透明水)とスウェーデンの2つの湖からDOMサンプルを採取

  • 多重度編集13C NMRを用いてDOMの炭素骨格を構成する主要な部分構造を定量

  • DOM中の4級炭素(Cq)や酸素含有脂肪族基などの存在比を算出

検証方法

  • 多重度編集DEPT (distortionless enhancement by polarization transfer) 法、QUAT (quaternary carbon only) 法、シングルパルス法を組み合わせた13C NMR分析

  • 1H NMRスペクトルの類似性に基づくサンプルのプーリング

分かったこと

  • DOMは通常の生体分子に比べ、非常に高い割合(56-66%)の4級炭素(Cq)を含んでいた

  • リグニンやタンニン由来のポリフェノールの酸化的脱芳香族化(ODA)により、酸素に富む複雑な脂肪族化合物が生成されていた

  • カルボン酸の化学反応(脱炭酸、カルボキシル化など)もDOMの構造変化に寄与していた

  • ODAはDOMを微生物による分解を受けにくい構造へと変化させ、炭素を長期的に隔離する役割を果たしている可能性がある

この研究の面白く独創的なところ

  • DOMの分子構造の時間的進化メカニズムに、ODAという新たな視点を提供した点

  • ODAがDOMの構造的複雑性を加速度的に増大させることを初めて明らかにした点

  • 海洋の難分解性溶存有機物(CRAM)の形成にODAが関与している可能性を示唆した点

  • 13C NMRによる詳細な構造解析により、DOM分子の特異的な化学的特徴を明らかにした点

この研究のアプリケーション

  • 過去の有機物の構造や反応性、分解耐性の理解に貢献

  • 地球の炭素循環におけるDOMの役割の解明に役立つ

  • 海洋の炭素貯留メカニズムの理解に貢献し、気候変動予測の精度向上に寄与

  • 創薬など、新たな生物活性物質の探索に応用可能

著者と所属
Siyu Li, Mourad Harir, David Bastviken, Philippe Schmitt-Kopplin, Michael Gonsior, Alex Enrich-Prast, Juliana Valle & Norbert Hertkorn
(Research Unit Analytical Biogeochemistry (BGC), Helmholtz Munich, German Research Center for Environmental Health, Neuherberg, Germany; Chair of Analytical Food Chemistry, Technische Universität München, Freising-Weihenstephan, Germany; Department of Thematic Studies – Environmental Change, Linköping University, Linköping, Sweden; Chesapeake Biological Laboratory, University of Maryland Center for Environmental Science, Solomons, MD, USA; Institute of Marine Science, Federal University of São Paulo, Santos, Brazil)

詳しい解説
本研究は、アマゾン川とスウェーデンの湖から採取した溶存有機物(DOM)を最先端の13C NMR分析技術で詳細に調べ、DOMの分子構造の複雑性を生み出すメカニズムを解明しました。
DOMは地球上で最も複雑で豊富な有機炭素源の一つですが、その化学的性質や反応性については不明な点が多く残されていました。研究チームは、アマゾン川の4つの異なる水タイプ(白水、黒水、混濁水、透明水)とスウェーデンの2つの湖からDOMサンプルを採取し、多重度編集13C NMR法を用いて炭素骨格の主要な部分構造を定量的に解析しました。
その結果、DOMには通常の生体分子に比べて非常に高い割合(56-66%)の4級炭素(Cq)が含まれていることがわかりました。特に、1つの酸素原子と3つの炭素原子に結合したOCqC3ユニットが豊富に存在していましたが、これは一般的な生体分子ではほとんど見られない構造です。
研究チームは、このようなDOMの特異的な構造が、リグニンやタンニン由来のポリフェノールが酸化的脱芳香族化(ODA)反応を受けることで生成したと考えました。ODAは、平面的な芳香族化合物を、複雑な立体構造を持つ酸素に富む脂肪族化合物へと変換します。この反応は有機合成化学の分野で天然物の骨格を作る際にも広く利用されている重要な反応ですが、環境中のDOM生成においても同様の反応が起きていたのです。
さらに、カルボン酸の化学反応もDOMの構造変化に寄与していることが示唆されました。例えば、脱炭酸反応によって生じたラジカルは分子内で再配列を起こし、より緻密な構造へと変化します。また、酸化反応によってカルボキシル基が導入されることで、DOMの官能基が増加します。
ODAとカルボン酸の化学反応によって生成したDOMは、微生物による分解を受けにくい構造を持っていると考えられます。つまり、ODAはDOMを"難分解性"の構造へと変化させ、炭素を長期的に隔離する上で重要な役割を果たしている可能性があるのです。実際、海洋に存在する難分解性のDOM(CRAM)の形成にもODAが関与していることが示唆されています。
本研究は、DOMの分子構造の時間的進化メカニズムに新たな視点を提供するものです。ODAという新しい概念を導入することで、DOMの構造的複雑性がどのように加速度的に増大していくのかを説明することができました。また、13C NMRによる詳細な構造解析により、DOMの特異的な化学的特徴を明らかにしたことも大きな成果です。
今後、本研究の知見は、過去の有機物の構造や反応性の理解、地球の炭素循環におけるDOMの役割の解明、海洋の炭素貯留メカニズムの理解など、様々な分野に貢献することが期待されます。さらに、DOMから新たな生物活性物質を探索するなど、応用面での展開も期待できるでしょう。
DOMは地球環境と密接に関連した物質ですが、その実態はまだまだ謎に包まれています。本研究は、DOMという複雑な物質の理解に向けた重要な一歩を踏み出したと言えます。


非常に低温の褐色矮星から予想外のメタン輝線放射を検出

簡単なサマリー 本研究では、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡を用いて、約482Kの低温褐色矮星W1935から、3.326マイクロメートルにおける強いメタンの輝線放射を検出しました。大気モデリングの結果、1-10mbar付近に約300Kの温度逆転層が存在すれば、この輝線が再現できることがわかりました。母星からの加熱がない天体で、木星型大気にこのような大きな温度逆転が見られたのは初めてのことです。オーロラ加熱などの可能性が考えられますが、内部や外部の力学過程の寄与も排除できません。最良のモデルでは、太陽系の巨大惑星で顕著なH3+輝線の寄与は否定されましたが、これはW1935の放射が高圧領域から来ていて、そこではH3+が急速に破壊されるためと整合的です。

事前情報

  • 褐色矮星は温度が約3000Kから250Kの天体で、スペクトル型はL、T、Yに分類される。

  • Y型矮星は最近発見された最も冷たい天体で、星形成過程で生まれたと考えられている。

  • 太陽系外でのオーロラは、孤立した褐色矮星の電波観測から示唆されていた。

行ったこと

  • 約482KのY型褐色矮星W1935を、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡のNIRSpecおよびMIRIで観測した。

  • 比較のため、よく似た褐色矮星W2220も同様に観測した。

  • 3.326マイクロメートルでのメタンの輝線放射の起源を、大気モデリングで調べた。

  • H3+輝線の寄与も検討した。

検証方法

  • NIRSpecのG395H分光データとMIRIの測光データを用いたSED解析

  • Brewsterと呼ばれる大気モデリングコードを用いた、温度-圧力プロファイルと組成の推定

  • 温度逆転の有無や、H3+の寄与を検討するためのモデル比較

分かったこと

  • W1935から、3.326マイクロメートルでの強いメタンの輝線放射を検出した。

  • 大気モデリングから、1-10mbar付近に約300Kの温度逆転層があれば、この輝線が説明できる。

  • よく似た褐色矮星W2220では、このような輝線は見られなかった。

  • 最良のモデルでは、H3+輝線の寄与は否定された。

この研究の面白く独創的なところ

  • 母星からの加熱がない低温褐色矮星で、大気の温度逆転を示唆した点が画期的。

  • メタンの輝線という新しい観測的証拠から、温度逆転の存在を突き止めた点が独創的。

  • 太陽系の木星型惑星との類似性と相違点を議論している点が興味深い。

  • オーロラ加熱など、太陽系外天体への新しい示唆を与えている点が重要。

この研究のアプリケーション

  • 褐色矮星や巨大惑星の大気構造と進化の理解に役立つ。

  • 太陽系外天体におけるオーロラ現象の探査に新たな指針を与える。

  • 系外惑星の大気観測にも示唆を与え、ハビタブル惑星の検出に役立つ可能性がある。

  • 大気モデリングや観測手法の発展にも貢献すると期待される。

著者と所属 Jacqueline K. Faherty, Ben Burningham, Jonathan Gagné, Genaro Suárez, Johanna M. Vos, Sherelyn Alejandro Merchan, Caroline V. Morley, Melanie Rowland, Brianna Lacy, Rocio Kiman, Dan Caselden, J. Davy Kirkpatrick, Aaron Meisner, Adam C. Schneider, Marc Jason Kuchner, Daniella Carolina Bardalez Gagliuffi, Charles Beichman, Peter Eisenhardt, Christopher R. Gelino, Ehsan Gharib-Nezhad, Eileen Gonzales, Federico Marocco, Austin James Rothermich & Niall Whiteford (Department of Astrophysics, American Museum of Natural History, New York, NY, USA; Department of Physics, The Graduate Center City University of New York, New York, NY, USA; Department of Physics, Astronomy and Mathematics, University of Hertfordshire, Hatfield, UK; Planétarium Rio Tinto Alcan, Montreal, Quebec, Canada; Département de Physique, Université de Montréal, Montreal, Quebec, Canada; School of Physics, Trinity College Dublin, The University of Dublin, Dublin, Ireland; Department of Physics & Astronomy, Hunter College, New York, NY, USA; Department of Astronomy, University of Texas at Austin, Austin, TX, USA; Department of Astronomy, California Institute of Technology, Pasadena, CA, USA; IPAC, Caltech, Pasadena, CA, USA; NSF's National Optical-Infrared Astronomy Research Laboratory, Tucson, AZ, USA; United States Naval Observatory, Flagstaff, AZ, USA; Exoplanets and Stellar Astrophysics Laboratory, NASA Goddard Space Flight Center, Greenbelt, MD, USA; Department of Physics & Astronomy, Amherst College, Amherst, MA, USA; Jet Propulsion Laboratory, California Institute of Technology, Pasadena, CA, USA; NASA Ames Research Center, Mountain View, CA, USA; Department of Physics, San Francisco State University, San Francisco, CA, USA; Department of Astronomy and Carl Sagan Institute, Cornell University, Ithaca, NY, USA)

詳しい解説
本研究は、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)を用いて、約480Kという非常に低温の褐色矮星から予想外のメタンの輝線放射を検出した、大変興味深い成果です。褐色矮星は、質量が小さすぎて主系列星になれなかった天体で、低温のものはガス惑星に似た特徴を持っています。今回観測されたW1935は、表面温度が約480Kと推定され、最も冷たい褐色矮星の一つです。
研究チームは、W1935とよく似た性質を持つW2220という褐色矮星も同時に観測し、比較を行いました。JWSTの分光器NIRSpecと撮像装置MIRIを用いて、近赤外から中間赤外までの波長域で高精度のデータを取得しました。その結果、W1935からは3.326マイクロメートルにおいて強いメタンの輝線放射が検出されましたが、W2220ではそのようなシグナルは見られませんでした。
この輝線放射の起源を探るため、研究チームはBrewsterと呼ばれる大気モデリングのコードを用いて解析を行いました。その結果、W1935の大気中の1-10mbar付近に、約300Kもの温度逆転層が存在すれば、観測されたメタンの輝線を説明できることがわかりました。一方、W2220では温度逆転を考慮する必要はなく、モデルと観測がよく一致しました。
母星からの加熱がない孤立した天体で、このように大きな大気の温度逆転が見つかったのは初めてのことです。類似の現象は太陽系の木星型惑星でも知られていますが、そこでは太陽からの加熱に加えて、衛星からの潮汐加熱やオーロラ加熱などが寄与していると考えられています。W1935の場合、オーロラ加熱が有力な候補の一つですが、内部からのエネルギー輸送など他の可能性も排除はできません。
また研究チームは、太陽系の巨大惑星で顕著に見られるH3+イオンの輝線が、W1935でも検出されるかどうかを調べました。しかし、最良のモデルではH3+の寄与は必要なく、これは観測された放射が比較的高圧の領域から来ていることと整合的だと考えられます。なぜなら、そのような高密度の環境ではH3+イオンが速やかに破壊されてしまうためです。
本研究は、褐色矮星という太陽系外の極低温天体の大気に、予想外の構造と現象が存在することを明らかにした点で重要な成果だと言えます。特に、系外惑星に似た温度域で大気の温度逆転が起きていることは、系外惑星の大気観測を行う上でも示唆に富んでいます。今後、このようなメタン輝線が他の褐色矮星でも見つかるのか、また温度逆転の原因が何なのかを解明することが課題です。
JWSTをはじめとする新しい観測施設により、褐色矮星や系外惑星の研究が大きく進展することが期待されます。太陽系外の天体には、まだまだ未知の現象が隠れているに違いありません。地球外生命の兆候を探る上でも、系外惑星の大気を理解することは欠かせません。本研究は、褐色矮星という最も惑星に近い天体の観測から、系外惑星大気科学の新たな一歩を切り開いたと言えるでしょう。


ガンマデルタT細胞受容体-CD3複合体の構造解明から見えた、独自の組み立てメカニズムと機能調節

本研究では、ヒトのガンマデルタT細胞受容体(γδ TCR)とCD3の2種類の複合体(Vγ9Vδ2型とVγ5Vδ1型)の構造を、クライオ電子顕微鏡を用いて解明した。その結果、Vγの種類に応じて異なる2つの組み立てメカニズムが明らかになった。Vγ9Vδ2型は1量体構造で、TCRとCD3をつなぐペプチドの長さが抗原との結合やT細胞の活性化を調節していた。一方、Vγ5Vδ1型は2量体構造をとっており、2量体形成がT細胞の活性化に重要であることがわかった。これらの知見は、γδ TCRの多様な機能を理解し、がん免疫療法などへの応用に役立つと期待される。

事前情報

  • ガンマデルタT細胞は、通常のαβT細胞とは異なる働きを持つT細胞の一種

  • γδ TCRはMHC非依存的に多様な抗原を認識し、がん免疫などに重要

  • γδ TCRはCD3と会合してT細胞の活性化シグナルを伝達する

行ったこと

  • ヒトVγ9Vδ2型とVγ5Vδ1型のγδ TCR-CD3複合体の構造を、クライオ電子顕微鏡で解析

  • 各複合体の生化学的・生物物理学的性質を解析

  • TCRとCD3をつなぐペプチドの長さを変えた変異体を作製し、T細胞活性化への影響を調べた

検証方法

  • クライオ電子顕微鏡による構造解析

  • ゲルろ過クロマトグラフィーや化学架橋によるオリゴマー状態の解析

  • TCRとCD3をつなぐペプチドを改変した変異体のT細胞活性化アッセイ

分かったこと

  • Vγ9Vδ2型γδ TCR-CD3複合体は1量体で、TCRとCD3の間に構造的な柔軟性がある

  • TCRとCD3をつなぐペプチドの長さが、抗原との結合やT細胞の活性化を調節する

  • 膜貫通部にコレステロール様分子が結合し、シグナル伝達を阻害的に制御する

  • Vγ5Vδ1型γδ TCR-CD3複合体は2量体を形成し、背中合わせにVγ5ドメインで相互作用

  • Vγ5Vδ1型の2量体形成がT細胞の活性化に重要である

この研究の面白く独創的なところ

  • γδ TCR-CD3複合体の構造を初めて高分解能で解明した点

  • Vγの種類によって、1量体と2量体という異なる組み立て様式があることを発見した点

  • TCRとCD3をつなぐペプチドの長さという、シンプルな要素が機能調節に重要な役割を果たすことを示した点

  • 膜貫通部のコレステロール様分子による阻害的制御という新たな調節機構を見出した点

この研究のアプリケーション

  • γδ TCRの多様な機能を理解する構造基盤を提供

  • γδ TCRを標的としたがん免疫療法などの開発に役立つ知見

  • TCRとCD3をつなぐペプチド長を改変することで、T細胞活性化を制御する新たな方法の開発につながる可能性

  • 膜貫通部の脂質による調節を標的とした、新たなシグナル制御法の開発に発展する可能性

著者と所属
Weizhi Xin, Bangdong Huang, Ximin Chi, Yuehua Liu, Mengjiao Xu, Yuanyuan Zhang, Xu Li, Qiang Su & Qiang Zhou
(Research Center for Industries of the Future, Center for Infectious Disease Research, Zhejiang Key Laboratory of Structural Biology, School of Life Sciences, Westlake University; Institute of Biology, Westlake Institute for Advanced Study, Hangzhou, Zhejiang Province, China; Westlake Laboratory of Life Sciences and Biomedicine, Hangzhou, Zhejiang Province, China)

詳しい解説
本研究は、ガンマデルタT細胞受容体(γδ TCR)とCD3タンパク質の複合体構造を初めて高分解能で解明した画期的な成果です。 ガンマデルタT細胞は、通常のαβT細胞とは異なる特徴を持つT細胞の一種で、感染防御やがん免疫などで重要な役割を果たすことが知られています。γδ TCRは多様な抗原を主要組織適合遺伝子複合体(MHC)非依存的に認識し、CD3と会合してT細胞の活性化シグナルを伝達します。しかし、γδ TCR-CD3複合体がどのような構造をとり、どのように機能するのかは不明な点が多く残されていました。
研究チームは、ヒトの2種類のγδ TCR-CD3複合体(Vγ9Vδ2型とVγ5Vδ1型)の構造を、クライオ電子顕微鏡を用いて解析しました。その結果、Vγの種類に応じて、1量体と2量体という2つの異なる組み立てメカニズムが存在することが明らかになりました。
Vγ9Vδ2型複合体は1量体構造をとり、TCRとCD3の細胞外ドメインやそれらをつなぐペプチド領域に構造的な柔軟性があることがわかりました。興味深いことに、このペプチドの長さを変化させると、抗原との結合親和性やT細胞の活性化が変化したのです。また、膜貫通部にコレステロール様の分子が結合しており、シグナル伝達を阻害的に制御していることも見出されました。
一方、Vγ5Vδ1型複合体は2量体構造をとっており、2つのプロトマーがVγ5ドメインを介して背中合わせに相互作用していました。生化学的・生物物理学的な解析からも、この2量体形成が裏付けられました。さらに重要なことに、Vγ5Vδ1型TCRの2量体形成がT細胞の活性化に必須であることが示されたのです。
本研究は、γδ TCR-CD3複合体の構造的な多様性と、それが機能の多様性を生み出す仕組みを明らかにした点で非常に意義深いものです。Vγの種類によって1量体と2量体という異なる組み立て様式が存在することや、TCRとCD3をつなぐシンプルな要素であるペプチド長が抗原認識やシグナル伝達の調節に重要な役割を果たすことなど、γδ TCRの独自の性質の理解につながる重要な知見が得られました。
また、コレステロール様分子による膜貫通部での阻害的制御は新たな調節機構の発見であり、TCRシグナル伝達の理解を深める上でも興味深い発見です。
今後、本研究で得られた構造情報を基に、γδ TCRを標的としたがん免疫療法などの開発が加速することが期待されます。TCRとCD3をつなぐペプチド長を改変することで、T細胞の活性化を制御する新たな方法の開発にもつながるかもしれません。また、膜貫通部の脂質による調節を標的とした、新たなシグナル制御法の開発にも発展する可能性があります。
ガンマデルタT細胞は未だ謎の多い細胞ですが、その独自の機能は感染症やがんなど様々な疾患の治療に役立つ可能性を秘めています。本研究は、その基盤となる構造的理解を大きく前進させた点で高く評価されるべき成果だと言えるでしょう。今後のさらなる研究の発展が大いに期待されます。


高性能なポリマーゲル電解質を用いた繊維状バッテリーの開発

本研究では、ウェアラブルバッテリーの安全性と柔軟性を向上させるため、電極にチャネル構造を設計してポリマーゲル電解質を取り込み、電極と安定した密着界面を形成する戦略を報告しました。複数の電極繊維を撚り合わせて整列したチャネルを形成し、各電極繊維の表面には網目状のチャネルを設計しました。モノマー溶液が整列チャネルに沿って浸透し、網目状チャネルに入り込んだ後、重合してゲル電解質となり、電極と密着した安定な界面を形成しました。得られた繊維状リチウムイオン電池(FLB)は、高いエネルギー密度(約128Wh/kg)と優れた電気化学特性を示しました。この戦略により、巻き取り速度3,600m/hという高速でのFLB製造も可能になりました。連続したFLBを50cm×30cmのテキスタイルに織り込むことで、2,975mAhの出力容量を達成しました。FLBテキスタイルは-40℃から80℃の温度範囲や-0.08MPaの真空下でも安全に動作しました。このFLBは消防や宇宙探査への応用が期待されます。

事前情報

  • 液体電解質をポリマーゲル電解質に置き換えることは、ウェアラブルバッテリーの安全性と柔軟性を向上させる一般的かつ効果的な方法として認識されている。

  • しかし、ポリマーゲル電解質と電極の界面が不十分な濡れ性のため接触が悪く、特にバッテリーの変形時に電気化学特性が大幅に低下する。

行ったこと

  • 電極にチャネル構造を設計し、ポリマーゲル電解質を取り込んで電極と安定した密着界面を形成する戦略を考案した。

  • 複数の電極繊維を撚り合わせて整列したチャネルを形成し、各電極繊維の表面には網目状のチャネルを設計した。

  • モノマー溶液を整列チャネルと網目状チャネルに効果的に浸透させ、重合してゲル電解質とした。

  • この戦略を用いて、高速製造が可能な繊維状リチウムイオン電池(FLB)を作製した。

  • 連続したFLBを織り込んだテキスタイルを作製し、極限環境下での動作を評価した。

検証方法

  • 電極のチャネル構造をSEM、X線CTで観察し、水銀圧入法でチャネルサイズ分布を測定

  • モノマー溶液の電極への浸透挙動を蛍光顕微鏡で観察

  • FLBの電気化学特性をサイクリックボルタンメトリー、充放電試験、インピーダンス測定で評価

  • ラマン分光で電極内のリチウムイオン挿入量を測定

  • FLBテキスタイルを極限環境下(-40℃〜80℃、真空、曲げ、切断など)で動作試験

分かったこと

  • 整列チャネルと網目状チャネルを持つ電極は、ゲル電解質を効果的に取り込み、電極と密着した安定な界面を形成できる。

  • チャネル構造を持つFLBは、高エネルギー密度(約128Wh/kg)と優れた電気化学特性を示した。

  • 本戦略により、巻き取り速度3,600m/hという高速でのFLB製造が可能になった。

  • 50cm×30cmのFLBテキスタイルで2,975mAhの出力容量を達成した。

  • FLBテキスタイルは-40℃〜80℃の温度範囲や-0.08MPaの真空下でも安全に動作した。

この研究の面白く独創的なところ

  • 電極にチャネル構造を設計してゲル電解質を取り込み、電極と密着した安定な界面を形成するユニークなアプローチ

  • 整列チャネルと網目状チャネルの組み合わせによる、効果的なゲル電解質の浸透と界面形成

  • 高速製造が可能な繊維状リチウムイオン電池の開発

  • 極限環境下でも安全に動作する高性能な繊維状バッテリーテキスタイルの作製

この研究のアプリケーション

  • ウェアラブルデバイス用の安全で柔軟な高性能繊維状バッテリー

  • スマートテキスタイルへの応用

  • 極限環境下での使用が求められる用途、例えば消防士用ウェアや宇宙服への実装

  • 繊維状バッテリーの量産化に向けた高速製造プロセスの実現

著者と所属
Chenhao Lu, Haibo Jiang, Xiangran Cheng, Jiqing He, Yao Long, Yingfan Chang, Xiaocheng Gong, Kun Zhang, Jiaxin Li, Zhengfeng Zhu, Jingxia Wu, Jiajia Wang, Yuanyuan Zheng, Xiang Shi, Lei Ye, Meng Liao, Xuemei Sun, Bingjie Wang, Peining Chen, Yonggang Wang & Huisheng Peng
(State Key Laboratory of Molecular Engineering of Polymers, Department of Macromolecular Science, Institute of Fiber Electronic Materials and Devices, and Laboratory of Advanced Materials, Fudan University, Shanghai, China; Department of Chemistry and Shanghai Key Laboratory of Molecular Catalysis and Innovative Materials, Institute of New Energy, iChEM (Collaborative Innovation Center of Chemistry for Energy Materials), Fudan University, Shanghai, China)

詳しい解説
本研究は、ウェアラブルバッテリーの安全性と柔軟性を向上させるために、電極にチャネル構造を設計してポリマーゲル電解質を取り込み、電極と安定した密着界面を形成する革新的な戦略を提案しています。
従来、ウェアラブルバッテリーの電解質には液体が用いられてきましたが、漏液や可燃性の問題があります。そこで、液体電解質をポリマーゲル電解質に置き換えることが有効な解決策として注目されてきました。しかし、ゲル電解質と電極の界面の濡れ性が不十分だと接触が悪く、特にバッテリーの変形時に電気化学特性が大幅に低下するという課題がありました。
本研究では、この課題を解決するために、電極に整列したチャネルと網目状のチャネルを設計する独自のアプローチを考案しました。まず、複数の電極繊維を撚り合わせることで、繊維間に整列したチャネルを形成します。さらに、各電極繊維の表面には、粒子間に網目状のチャネルを設けます。この階層的なチャネル構造により、モノマー溶液が整列チャネルに沿って効果的に浸透し、網目状チャネルにも入り込むことができます。その後、モノマーを重合してゲル電解質とすることで、電極と密着した安定な界面が形成されます。
この戦略を用いて作製した繊維状リチウムイオン電池(FLB)は、高いエネルギー密度(約128Wh/kg)と優れた電気化学特性を示しました。特に注目すべきは、本手法により巻き取り速度3,600m/hという高速でのFLB製造が可能になった点です。連続したFLBを50cm×30cmのテキスタイルに織り込むことで、2,975mAhもの大容量を達成しました。さらに、このFLBテキスタイルは-40℃から80℃までの広い温度範囲や-0.08MPaの真空下でも安全に動作することが確認されました。
本研究が提案したチャネル構造の設計戦略は、ゲル電解質を用いた繊維状バッテリーの界面問題を解決する画期的なアプローチといえます。高性能と高速製造を両立したFLBは、ウェアラブルデバイスやスマートテキスタイルへの応用が大いに期待されます。特に、過酷な環境下で使用される消防士用ウェアや宇宙服などへの実装が有望視されています。
また、本研究は繊維状バッテリーの量産化に向けた道筋を示したといえます。これまで、繊維状バッテリーの実用化には製造速度が課題となっていましたが、本手法により高速製造が可能になったことで、量産化への障壁が大きく下がりました。
繊維状バッテリーは、ウェアラブルデバイスのみならず、ロボットや電気自動車などさまざまな分野での活用が期待されています。本研究で開発されたチャネル構造設計と高速製造プロセスは、繊維状バッテリーの実用化に向けた重要な一歩となるでしょう。安全性、柔軟性、高性能を兼ね備えた繊維状バッテリーが、私たちの生活やさまざまな産業に革新をもたらす日が近づいているのかもしれません。


マイクロサテライト不安定性(MSI)を示すがんにおいて、WRNヘリカーゼ阻害薬HRO761が合成致死効果を示した

本研究では、いくつかの遺伝学的スクリーニングによりマイクロサテライト不安定性(MSI)を示すがん細胞の合成致死標的として同定されたWRNヘリカーゼに着目し、WRNを選択的に阻害する低分子化合物HRO761を見出しました。構造解析の結果、HRO761はWRNのD1およびD2ヘリカーゼドメインの境界面に結合し、WRNを不活性なコンフォメーションで固定化することが明らかになりました。HRO761によるWRN阻害はMSIがん細胞選択的にDNA損傷を引き起こし、p53非依存的な細胞周期停止やアポトーシスを誘導しました。さらに、HRO761の経口投与によりMSIがん細胞株および患者由来異種移植モデルにおいて用量依存的な抗腫瘍効果が認められました。本研究はWRNがMSIがんの治療標的となることを薬理学的に実証するとともに、HRO761のMSIがんに対する臨床応用の可能性を示しています。

事前情報

  • WRNは遺伝学的スクリーニングによりMSIがん細胞の合成致死標的として同定された

  • MSIがんはDNAミスマッチ修復機構の欠損により、高い変異負荷とマイクロサテライト領域の不安定性を示す

  • 免疫チェックポイント阻害薬が有効であるが、MSIがん患者の一部は恩恵を受けない

行ったこと

  • 革新的なヒット化合物探索と構造活性相関研究によりWRN阻害薬HRO761を同定

  • HRO761のWRNに対する結合様式と阻害メカニズムを構造生物学的に解明

  • HRO761によるWRN阻害のMSIがん選択的な細胞応答を生化学的・細胞生物学的に評価

  • HRO761のMSIがんモデルに対する薬理学的作用を in vitro および in vivo で検証

検証方法

  • X線結晶構造解析によるHRO761とWRNの共結晶構造の決定

  • 生化学アッセイによるHRO761のWRN阻害活性および選択性の評価

  • 細胞アッセイによるHRO761のMSI/MSSがん細胞に対する増殖阻害効果の比較

  • ウェスタンブロットやqPCRによるHRO761誘導性の細胞内シグナル伝達の解析

  • MSIがん細胞株・PDXモデルマウスを用いたHRO761の抗腫瘍効果の検証

分かったこと

  • HRO761はWRNのD1/D2ドメイン間に結合し、WRNを不活性なコンフォメーションで固定化する

  • HRO761はMSIがん細胞選択的にDNA損傷を引き起こし、p53非依存的な細胞死を誘導する

  • HRO761はMSIがん細胞においてWRNタンパク質の分解を引き起こす

  • HRO761の経口投与により、MSIがんモデルマウスで用量依存的な抗腫瘍効果が認められた

この研究の面白く独創的なところ

  • WRNの合成致死性をMSIがん選択的に標的とする初の薬理学的証拠を提示した点

  • 構造に基づく薬剤設計により選択的かつ強力なWRN阻害薬の創出に成功した点

  • WRN阻害がMSIがん細胞でp53非依存的な細胞死を誘導するメカニズムを解明した点

  • HRO761の経口投与によるMSIがんモデルに対する顕著な抗腫瘍効果を実証した点

この研究のアプリケーション

  • 免疫療法が効きにくいMSIがん患者に対する新たな治療選択肢になり得る

  • WRN阻害による合成致死の概念を他のがん種への応用が期待される

  • HRO761の薬物動態や安全性プロファイルは臨床応用に適していると考えられる

  • 現在HRO761はMSI大腸がんおよび他の固形がんを対象とした第I相臨床試験中である

著者と所属
Stephane Ferretti, Jacques Hamon, Ruben de Kanter, Clemens Scheufler, Rita Andraos-Rey, Stephanie Barbe, Elisabeth Bechter, Jutta Blank, Vincent Bordas, Ernesta Dammassa, Andrea Decker, Noemi Di Nanni, Marion Dourdoigne, Elena Gavioli, Marc Hattenberger, Alisa Heuser, Christelle Hemmerlin, Jürgen Hinrichs, Grainne Kerr, Laurent Laborde, Isabel Jaco, Eloísa Jiménez Núñez, Hans-Joerg Martus, Cornelia Quadt, Markus Reschke, Vincent Romanet, Fanny Schaeffer, Joseph Schoepfer, Maxime Schrapp, Ross Strang, Hans Voshol, Markus Wartmann, Sarah Welly, Francesco Hofmann, Henrik Möbitz & Marta Cortés-Cros
(Novartis BioMedical Research, Basel, Switzerland; Novartis Pharma AG, Basel, Switzerland; Novartis BioMedical Research, Cambridge, MA, USA)

詳しい解説
本研究は、マイクロサテライト不安定性(MSI)を示すがんに対する新たな治療戦略として、WRNヘリカーゼの合成致死性を標的とする低分子阻害薬HRO761の同定とその作用メカニズムの解明を行いました。
MSI は、DNAミスマッチ修復機構の欠損を特徴とし、大腸がん、子宮内膜がん、卵巣がんなどの様々ながん種の10~30%で認められます。MSIがんは高い変異負荷とマイクロサテライト領域の不安定性を示すことから、免疫チェックポイント阻害薬に高い応答性を示すことが知られています。しかし、MSIを示す大腸がん患者の中には、既存の治療法の恩恵を受けない集団も存在しています。
本研究グループは、いくつかの大規模な機能ゲノミクススクリーニングにおいてWRNがMSIがん細胞の合成致死標的として同定されていたことに着目し、創薬標的としてのWRNの可能性を追求しました。構造に基づく薬物設計と精力的な構造活性相関研究により、彼らはWRNを強力かつ選択的に阻害する新規化合物HRO761の創出に成功しました。
HRO761とWRNの共結晶構造解析から、HRO761はWRNのD1およびD2ヘリカーゼドメインの境界面に位置するアロステリック部位に結合し、WRNを不活性なコンフォメーションで固定化することが明らかになりました。この結合様式により、HRO761はWRNに対して高い選択性を発揮し、他のRecQヘリカーゼに対してほとんど阻害活性を示しませんでした。
続いて、HRO761のMSIおよびマイクロサテライト安定性(MSS)を示すさまざまながん細胞株に対する増殖阻害効果を評価したところ、HRO761はMSIがん細胞選択的な細胞傷害性を示しました。この感受性はWRNの遺伝的な発現抑制の表現型と一致しており、WRN阻害の合成致死効果を薬理学的に再現することに成功しました。興味深いことに、HRO761はMSSがん細胞と同様にMSIがん細胞に対してもWRNに結合したにも関わらず、DNA損傷の誘導と細胞死の促進はMSIがん細胞でのみ観察されました。
メカニズム解析から、HRO761によるWRN阻害はMSIがん細胞においてDNA二本鎖切断の蓄積を引き起こし、ATMキナーゼの活性化を介して細胞周期停止やアポトーシスを誘導することが示唆されました。また、この細胞死誘導経路はp53非依存的であることも明らかになりました。これは、p53変異を有するMSIがん細胞株や p53 ノックアウト細胞株においてもHRO761の感受性が維持されていたことから裏付けられます。さらに、HRO761はMSIがん細胞選択的にWRNタンパク質の分解を促進することも見出されました。
HRO761の in vivo での薬効評価実験から、HRO761の経口投与により、MSIがん細胞株および患者由来異種移植モデルマウスにおいて用量依存的な腫瘍増殖抑制効果が認められました。血中薬物濃度と薬力学的因子との間には良好な相関が認められ、HRO761の経口投与による全身曝露がMSIがんに対する有効性を示すのに十分であることが示唆されました。さらに、HRO761とイリノテカンの併用療法により、各単剤に比べて優れた抗腫瘍効果が得られたことから、HRO761と既存の化学療法薬との併用によるMSIがん治療の可能性も期待されます。
本研究の成果は、WRNがMSIがんの治療標的となることを強力に支持するものであり、HRO761がMSIがんに対する有望な治療薬となる可能性を示しています。実際、HRO761は現在、MSI大腸がんおよびその他のMSI固形がんを対象とした第I相臨床試験が進行中であり、その安全性と忍容性、および初期の抗腫瘍効果が評価されています。
本研究は、WRNの合成致死性というコンセプトを創薬に応用し、新たな作用機序を有する抗がん剤の開発に道を拓くものです。さらに、MSIがんの生物学的特性を標的とした治療法の確立に向けた重要な一歩となるでしょう。将来的には、WRN阻害薬とがん免疫療法など他の治療モダリティとの組み合わせにより、MSIがん患者に対するより効果的な個別化医療の実現が期待されます。


多品種の薄膜トランジスタ(TFT)をマルチプロジェクトウェハの概念で製造することで、柔軟なエレクトロニクスの設計・開発を加速


本研究では、マルチプロジェクトウェハの概念を薄膜トランジスタ(TFT)技術に適用することで、柔軟エレクトロニクスの製造モデルに変革をもたらすことを目指しました。具体的には、ウェハベースの非晶質IGZO(インジウムガリウム亜鉛酸化物)と、パネルベースの低温ポリシリコン(LTPS)という2つの主要なTFT技術について、同一基板上に異なる設計の回路を製造する手法を確立しました。 テストケースとして、1970年代の名作マイクロプロセッサ6502を両技術で設計・製造。IGZOではウェハ上の1つのダイに、LTPSではパネル上の複数のダイに、6502を他の回路と併せて製造することに成功しました。これにより、TFTを使った柔軟エレクトロニクスの設計を、ファブレス(設計のみ行う)企業が低コストで行えるようになります。また、より複雑な設計にも対応できるようになり、IoTやウェアラブルヘルスケアなど、様々なアプリケーションへの応用が期待されます。

事前情報

  • TFTは、ディスプレイや大面積イメージセンサ、マイクロプロセッサ、ウェアラブルヘルスケアパッチ、デジタルマイクロ流体デバイスなどに使われている

  • 現在のTFT製造は垂直統合型(IDM)モデルで、設計の自由度が限られコストも高い

  • シリコンCMOSではマルチプロジェクトウェハ(MPW)の概念が一般的だが、TFTではまだ確立されていない

行ったこと

  • 200mmウェハベースの0.8μm IGZOと、GEN3.5プレートベースの3μm LTPSという2つのTFT技術を対象とした

  • 6502マイクロプロセッサを両技術で設計し、MPWの一部として製造した

  • IGZOはPragmatic社、LTPSはPanelSemi社のファウンドリを利用した

検証方法

  • 製造したIGZOとLTPS版6502チップの動作周波数と消費電力を測定・比較した

  • IGZO版6502は104個のチップを3枚のウェハから、LTPS版は100個のチップを複数のGEN3.5プレートから評価した

  • 動作検証用にFPGAボードと専用の測定系を構築した

分かったこと

  • IGZOはLTPSに比べ高集積化に有利だが、相補型トランジスタがない

  • LTPSは相補型で高速動作・低消費電力だが、多結晶構造のためスケーリングに限界がある

  • IGZO版6502の歩留まりは42%、LTPS版は89%だった

  • LTPS版6502は最大454.5kHzで動作し、オリジナルの半分の速度に迫った

この研究の面白く独創的なところ

  • TFT向けにマルチプロジェクトウェハの概念を導入した点が革新的

  • シリコンCMOSで確立された製造モデルをTFTに適用した点が独創的

  • 2種類のTFT技術を比較し、それぞれの特徴と可能性を明らかにした点が興味深い

  • 6502の再設計を通じ、TFTでも複雑な回路が実現できることを示した点が印象的

この研究のアプリケーション

  • TFTを使った多様な柔軟エレクトロニクス応用の、設計と製造コストを大幅に下げられる

  • IoT、ウェアラブルヘルスケア、ラボオンチップ、ロボット用人工皮膚など、新しいアプリケーションの開発を加速できる

  • ファブレス企業による、TFTを使った革新的な製品開発が促進される

  • より高度なTFT向けPDK(プロセス設計キット)の整備が進むことが期待される

著者と所属
Hikmet Çeliker, Wim Dehaene & Kris Myny (ESAT, KU Leuven, Leuven, Belgium; imec, Leuven, Belgium)

詳しい解説
本研究は、薄膜トランジスタ(TFT)を使った柔軟エレクトロニクスの製造に、新しいパラダイムをもたらす可能性を秘めています。これまでTFTの製造は、ディスプレイメーカーが設計から製造まで全てを担う垂直統合型(IDM)のモデルが主流でした。しかし、こうしたモデルでは設計の自由度が限られ、また製造コストも高くつくという課題がありました。
一方、シリコンCMOSチップの世界では、1980年代後半から「マルチプロジェクトウェハ(MPW)」という製造モデルが確立されています。これは、1枚のウェハ上に複数の企業・研究機関の設計を載せて一括製造することで、コストを大幅に下げる手法です。ファウンドリ(製造専門企業)が製造を担い、ファブレス企業が設計に特化するという分業が進んだことで、CMOSチップの応用範囲は飛躍的に拡大しました。
本研究は、このMPWの概念をTFTの世界に持ち込むことで、同様の変革を目指したものです。具体的には、ウェハベースのIGZO(インジウムガリウム亜鉛酸化物)と、パネルベースのLTPS(低温ポリシリコン)という、2つの代表的なTFT技術を対象に、MPWでの製造手法を確立しました。
IGZOは200mmウェハを用いる比較的新しいTFT技術で、高い電子移動度と優れたスケーリング性が特徴です。一方、LTPSはすでにスマートフォン用の高精細ディスプレイなどに用いられている成熟した技術ですが、ガラス基板上で製造するため、パネルサイズが大型化する傾向にあります。研究チームは、前者をPragmatic社、後者をPanelSemi社のファウンドリに依頼し、それぞれ0.8μmと3μmの設計ルールでMPWを実施しました。
MPWの有効性を示すため、彼らは1970年代の名作マイクロプロセッサ「6502」を両技術で設計・製造しました。6502は8ビットのCPUで、当時のApple IIやCommodore 64などの機器に搭載され、大ヒットを記録した製品です。今回IGZOではウェハ上の1つのダイの一部に、LTPSではパネル上の複数のダイの一部に、6502を配置することに成功しました。
IGZO版の6502は、トランジスタ1個あたりの占有面積が非常に小さく、高集積化に有利であることが分かりました。一方でIGZOはn型の半導体しか作れないため、回路設計には工夫が必要です。対するLTPS版は、n型とp型の両方を使える「相補型」の構成を取れるため、高速動作と低消費電力化が可能です。実際、454.5kHzというオリジナル版の半分に迫る動作周波数を達成しました。
今回の6502の再設計は、一種のデモンストレーションですが、より複雑な機能を持つ回路をTFTで実現する上で重要な知見を与えてくれます。特にLTPSでは、高度な機能を持つマイクロプロセッサやセンサ、無線通信チップなども、MPWで低コストに製造できる可能性が見えてきました。
さらに本研究では、TFTにおける「プロセス設計キット(PDK)」の整備も進めています。PDKとは、ファウンドリの製造プロセスに関する技術情報をまとめたもので、設計者とファウンドリの間のインターフェースとなります。MPWでの製造を円滑に進める上で、PDKの存在は欠かせません。特にLTPSではPDKがまだ十分に整備されておらず、今後の拡充が期待されるところです。
TFTは本来、ディスプレイ用の技術として発展してきましたが、これからはIoTやウェアラブル機器、ヘルスケアデバイスなど、より多様な分野への応用が期待されています。本研究で示されたMPWの手法は、そうした新しいアプリケーションの開発を加速する上で重要な役割を果たすはずです。シリコンで培われてきたファウンドリモデルを、いかにTFTの世界に適用していくか。それが柔軟エレクトロニクスの未来を左右する鍵になりそうです。



最後に
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