見出し画像

7日間の鬱日記

これは二十歳の僕のネパール日記。

8/2

ネパール二日目
体調を崩した。
多分熱もある。

13:50
元気を出そうと、日本料理屋でカツ丼を頼んだがカツが口に入らない。

日本の3倍ほどカツが分厚い。
味もとてもうまい。
だがカツが口に入らない。

体調不良の時に調子に乗るものではない。

8/3

9:11
三日間がこんなに長く感じるのは初めてだ。
もう耐えられない。
帰りたい
「帰りたい」と思うのも負の連鎖の始まり。

マインドコントロールなんて言葉を嘲笑ってきたが、今自分に大切なのはそれだ。


15:48
日本の綺麗な道路を歩きコンビニに行きたい。

安心な暮らしと、ものの機能性の結びつきを考える。
道と機能性、外壁と機能性、看板と機能性。。

16:50
買い物に行こう。

とにかく臭いこの町も、鼻が詰まっているので
いつもより遠くまで歩ける気がした。

暫く歩くと楽器屋を見つけ、中に入った。
店内にはGibsonのマンドリンが置いてある。かっこいい…

でも私は悩んだ。

「自分のやっていきたいデザインについて考える為、ネパールに来たのに
マンドリンを買ったら熱中し過ぎて、
考える時間がなくなってしまうのではないか?」

結局買わずに店を出た。
近くにケンタッキーを見つけ入った。
席に座ると涙が止まらなくなった。

ネパールのケンタッキーにはピザがある。
大号泣しながらピザを食べた。

本当に限界だと思った。
帰りにはパン屋でパンを買った。



“あのマンドリンが忘れられない”

こういう時、いつも相談する友達がいる。
「りつき」だ。りつきは賢い。

電話をかけ一通り相談する。
すると
間髪入れず返事がくる。
「それは違う」

なんでや?
「マンドリン練習することで、心に余裕ができたり
今までボーッとするだけの休憩時間が豊かになるやろ。

考える以外の時間も有効に使えてたら、もっと考える時間の密度が上がるよ。」

プロだ…幸せのプロだ…

私は駆け足で楽器屋に行き、Gibsonのマンドリンを買った。
憧れのギブソンだ。



家に帰った。

何故か自信の出た僕は、宿のオーナーの元へ宿泊費の交渉に向かった。

「一泊いくら?」
『1000ルピー(約千円)と答える。」

日本では安いが、僕は納得できない。

30分ほどの格闘の末、一泊500ルピーにまで下げることができた。

ずっとここに泊まることを決めた。

この三日でよく英語が聞き取れるようになった。と不思議な感覚に陥った。


部屋に戻ると家族からLINEが来ていた。
マンドリンの写真を送っていたのだ。

「ギブスンやん」

何のことかわからない。
私はマンドリンをじっと見つめた。



「Gibson」だと思っていたマンドリンは「Givsun」だったのだ。

騙された…

騙されたものの
「偽物へのロマン」というのが私の中には存在したため少し嬉しかった。


22:15
あんなにネパール料理が嫌になったのに、
チキン…
チキンティッカをむさぼりたい…

僕の眠気を阻止できるほどのティッカが迫ってきている。

22:30
昔見たギター練習動画で、
[1日目はギターと一緒に寝よう!]と言っていたのを思い出した。

今夜はマンドリンと寝る事にする。

8/4

6:10
ネパールに到着し、4日目が経った。

5:00に目を覚ますと、外では犬が吠え続けている。
犬に噛まれると狂犬病で死ぬ。
死ぬのは怖い。
帰りたい。

どんな言葉から連想ゲームが始まっても、「帰りたい」で終わらせれる特技を身につけた。

でもよく考えると、こんな街でも人は沢山生きている。
「死」よりも「生」に目を向けよう。

でも日に日に帰りたくなる。
何故こんな町に来たのか?とすら思う。

電話で「帰りたい」と呟いた瞬間涙が溢れた。
もうメンタルの限界だ。

よし、とにかく考えよう。
私が来た意味は、とにかくインプットすること、
そして考えるべき事を考えることだ。

考えて考えて考えて、
「もうこの街で考える事は何もねぇ!」って無理矢理なってやろう。

8:06
私は分かった。何故この国が響かないのか。

「ネパールインドは自由だよ!それがいいよ!」
なんて言葉をよく聞く。

しかし、
この町より、今の自分の方が自由だということに気づいたのだ。

大学には大きな森があり、ボートを漕げる池もある。

ギターを弾きたい時に弾け、バンドをしたい時すぐにスタジオに入れる。

週に三日のバイトでお小遣いは事足りるし、
寂しいなんて思えばすぐに、大好きな人に会える事もできる。

私は恵まれ過ぎていることに気づく。

そして、日本での生活を超える自由を、この国で見つけることができていない。


この国での自由は、
「何もしない」という事だ。ゆったりと時間が流れている。

でも、決まった生活に見つける「隙」こそが自由だと思う。

常に暇なのは、私にとって自由なんかではない。

8/5

10:24
匂いが嫌だ。とにかく臭い。
最悪だ。
音もうるさい、人も怖い。

何故こんなところにいるのだ?

8/6

8:55
目が覚める。日本での生活を思い出す。

いても立っても居られないほど、この国が嫌になる。

毎日訪れる躁鬱を、鮮やかにすら思えた。

外に出れば変わるかな?しかし町に繰り出すのが怖く、心が拒絶する。

この先の日々を考えると、胸が結束バンドで締め付けられる感覚に陥る。


9:45
「帰る場所がある」というのは辛い事なのかもしれない。
とふと思う。


12:00
自分が「見つけた」事を、デザインを通して「見つけさせる」ことができる。
デザインがとても好きだ。

19:36
パンを買って帰ったが食べる気にならなかった。
東條新の鬱日記が終わるのが先か、帰るのが先か。
負けたくないな。と思う。

次回:「奇跡起こる」

とにかく奇跡が起こります!お楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?