不適切養育は遅効性の毒

私は、虐待を受けていたわけではない…と思っている。
陶器の皿で叩かれたり、寝ている時に蹴られたことはあるが、日常的ではなかった。

すごく嫌だったし、痛かったけど、トラウマというレベルではない。
それぞれ一度きりのことだったというのもある。
鮮明に覚えてはいるけれど、反発したしすぐにやめてくれたから
恨むほどではない。

身体に受けた「嫌なこと」は、こんな風にエピソードとして覚えている。
だから解毒しやすい。

しかし、なかなか思い出せないのが心に受けた傷のこと。

些細な言葉かけや反応が、私にチクチク刺さったはずだけど

どんな時に
どんな言葉で
どんな気持ちになったか

を細かく思い出すことが難しい。


しかもその言葉自体の即効性は低いから自覚しにくい。

「死ね」
「バカ」
「お前なんかいなくなれ」
みたいな明らか暴言だったら、覚えていたはずだろう。
当時、誰かに相談することもできたかもしれない。

でも、不適切な声掛けは、その時に気付くことはできないレベルの
些細な違和感でしかなかった。

30代になって、ようやく違和感の正体に気付いた。
そして、「嫌だったのかも」と思っていた日々のことを思い出した。

思い出せる範囲で、書き出してみる。

・母親の過度な期待
→進路を勝手に決める。東大に行け、弁護士になれ等、力に見合わない期待をする。もちろん東大には行っていないし、弁護士にもなっていない。

・小学生のころ友達から叩かれて嫌だったことを母親に話した時に、「我慢するのが一番いいのよ」と言われた
→厳密には「ありがとう」と笑顔で言えば、疫病神が逃げていくよとアドバイスをされた。実行してうまくいったが、私の心は感情を失いかけていた。

・父親の不干渉
→「母親がしんどい、お父さんから注意してくれない?」と相談した時に「お母さんも大変なんだから少しは我慢しなさい」と言われた。これ以降、だんだん人を頼るという選択をしなくなっていった。

・母親が、祖母の悪口を言う
→兄弟の中で、なぜか私が常に聞き役だった。私は普通に祖母のことが好きだったから、その人の悪口を聞かされるのは精神的に大きな負担だった。「やめて」と言ったが、「私の見方になってくれないのね?嫌な子!」と怒り散らして不機嫌になったので「やめて」というのをやめた。

・「〇〇して」と言ったことと違うことをする。私のニーズを満たさない。
→頼ったのにすかされたり、自分でやれと突っぱねられたりした印象。

・母親が、私が学校や塾などで失敗したときに「先生が悪い」と言う
→「先生があなたの良さに気付いてくれない」「先生の力が足りない」「新任だから〇〇」「ベテランの先生ならわかってくれるのに」等、経歴や能力を差別するような言い方もよくしていた

・母親が、他人を学歴で判断する
→「〇〇くんは東大目指してるんだって」「△△ちゃんは偏差値60の学校だって」という話が多かった

・母親が、夕飯の最中に突然「今日はどれくらい頑張った?」という質問を始める。「アタシはね120点頑張ったのよ!」と結局母親自身が頑張ったという話をしたいだけだが、他人が頑張っていないのを聞くとあからさまに不機嫌になる
→頑張っている風に見せる(だます)ことだけを覚えてしまった

・体調が悪い時だけ優しくしてもらった。アイスをくれたり、「いつも頑張って偉いわね」とほめてもらえた。
→いたわってほしい時に体調を悪く見せるという方法が定着してしまったように思う

・私が嫌な気持ちになって泣いたときに、両親とも無視する
→隣の部屋で泣いているのに、話し声や笑い声が聞こえてきた。
1時間くらい経ってから父親が困り顔でやってきたが、「あっち行ってて」というと本当に行ってしまったことに絶望した。孤独感と寂しさでいっぱいになった


人に見せる用の書き方が出来ていないが、許してほしい。

不適切養育の積み重ねによる心の不調などを、発達性トラウマというらしい。

関連書籍を読み進めているので、何かわかったらまた記事を書こうと思う。

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