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【短編]白い月

 最近、彼女が僕のことを避けようとしているような気がする。

 彼女と僕はもう長いこと一緒にいるけれど、こんなふうに彼女から避けられているような感じを覚えるのは初めてのことだった。

 年明けから環境ががらりと変わったのが原因だろうか。
 思い当たることは片手で数えきれないくらいあるけれど、今までだってこうやって僕たちを取り巻くものたちがすっかりと変わってしまったことが無かったわけではない。一体何が原因なのだろう。

 そんなことを考えながら空に浮かぶ白い月の存在を感じつつ、僕はいつものように彼女の車椅子の横に並んで歩く。
 よく晴れた空の下。朝でもなく昼でもない。そんな時間の中ノンビリと。ゆっくりと。

「あのさ」

 不意に彼女が車椅子を止めた。

「なに?」

 僕は彼女より半歩進んだところで足を止めると、彼女の方へくるりと身体を向けてそう応える。彼女は僕と目を合わさず、きっちりと揃えた彼女の膝へと視線を向けたまましばらくじっと固まっていた。

 その間、僕は彼女の口から出てくるであろう今後の展開について色々と考えを巡らせた。僕にとって一番ダメージが軽いものからこの世界から消えてしまいたくなってしまうような展開まで。彼女は僕に何を告げるのだろうか。何を望むのだろうか。

 彼女から視線を上げると白い月が見えた。

 夜に月を見上げる人間と昼に月を見上げる人間。
 同じものを見ているはずの両者の間には決して超えることのできない壁が存在している。そんなことを昔、僕は考えていた。そういえばここしばらくの間はそんなことを考えたこともなかったな。
 何も言わない彼女の横で月を見上げながら、僕はふとそんなことを思いだしていた。

「私さ」

 ふいに顔を上げた彼女はそう呟いた。そんな彼女を視界の端で確認しながら、僕は変わらず青い空に浮かぶ白い月を見上げ続ける。そしてそんな僕にはお構いなしに彼女は言葉を続けた。

「普通の人間になりたいんだよね」

「普通の人間?」
 僕は月から視線をそらさずに彼女の言葉を繰り返す。

「うん。普通の人間。皆が出来ることを普通にこなせて、皆の中にいても違和感を感じない、感じさせない。そういう人間になりたいの」

 僕は白い月から目を離さずに「そう」と呟いた。

「普通の人間であるアナタにはわからないかもしれないね。この感覚は。まあ、わかって欲しいとも思わないけど」
 投げやりな感じでそう話を切り上げた彼女に、僕は月を見上げたまま答える。

「普通の人間になるために僕が邪魔っていうことでいいのかな」
 僕の心は波風も立たずただ凪いでいた。

「邪魔とかそんなこと、ひとことも言ってないじゃん」
 彼女の顔が勢いよく僕の方に向いた。

 普通になりたいことと僕を避けること。その間にあるナニカ。
 邪魔だと思っているわけではないと言いながらも、僕を遠ざけようとする。その理由。
 僕よりもよっぽどこの世界の「普通」な生活をしているくせに、僕の方が普通だと感じている。そんな彼女。

 理解できるような。出来ないような。
 でもそんなことは問題ではないのだろう。
 僕は白い月が見えなくなるまでその場所で空を見上げていた。


 あの日から数年が経ち、青い空に浮かぶ白い月ばかりを見上げる僕は、暗い空に浮かぶ黄色い月ばかりを見上げる彼女とまだ一緒に過ごしている。

 普通。普通じゃない。同じ。違う。
 そんなことを考えながら、今日も車椅子の彼女の横で、彼女が決して見上げようとはしない青い空に浮かぶ白い月を僕は見上げている。

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