「俺ってゲイなのかも」と思った話(雑記)

小説投稿用に開設したアカウントですが、今回は雑記として、最近考えたことについて書かせてもらいたいと思います。

また、今回はLGBTというホットな話題を取り上げるので、僕(筆者は男性です)の個人的な知り合いもそうでない方も、「そういう話題はちょっと…」という人は今のうちにブラウザバックでお願いします。

ただ個人的には、「ちょっと最近面白いこと考えてるから聞いて!」というテンションで、どうしても誰かに話したかっただけなので、読んでくれる方もそういうテンションで読んでいただけると幸いです。



さて、本題。
LGBTという言葉が世の中に周知され、段々と馴染んできた昨今ですが、割とテレビっ子だった自分にとってはなんとなく遠い話ではないような気がしていました。例えば『ラスト・フレンズ』というドラマでは上野樹里さんが性同一性障害(この言い方はあまり良くないという事は理解してますが、原作遵守ということで)の役を演じられていましたし、もっと言えばいわゆる「オカマタレント」全盛期の時代でした。そういう意味ではプライベートな親交はありませんでしたが、身近な存在として自分の世界の中に取り込まれていた概念だったように思います。

しかし、テレビを見ていて違和感があったのは確かです。それは、はるな愛さんが「男」としていじられていた事です。「その頃からジェンダー意識があってすごい!」という賞賛の声が聞こえてくるようですが実はそうではありません。当時の僕は単純に

「はるな愛、可愛くね?」

と思っていた訳であります。


高校生くらいになってから当時のことを思い返し、自分の中で一つの答えを見つけました。それは自分が「ニューハーフも恋愛対象になりうる人間」であるということです。
これは「見た感じ可愛ければいいじゃん」程度の認識でそこからジェンダー論に発展することはなく、その時から自分の事を「特殊性癖を持った異性愛者」として認識してきました。



ちょっときな臭い自分語りが長くなってしまいましたが、ここから本論という事で。

大学生になってから、世の中に「LGBT」という言葉が段々と広まっていきました。当然僕は「異性愛者」ですから、対岸の火事のようにそれを眺めていた訳ですが、ここで唐突な発見があります。

トランスジェンダーってオカマの事だよね?

この気づきにより、自分の認識は大きく覆ります。つまり、「肉体が男性である人物を恋愛対象に入れている自分はゲイなの?」という疑問が生まれました。

ここから「LGBT」という概念について様々な思考を巡らせたのですが、これがなんとまぁ

面白い!


面白いという言い方は失礼かもしれませんが、とても複雑で興味深い世界が広がっていた事は確かです。

まず、皆さんは「LGBT」という言葉がどういう意味かご存知でしょうか?これは性指向と、性自認についての言葉で

Lesbian・Gay・Bisexual・Transgender

のそれぞれ頭文字を取ったものになります。
ご存知の方は多いと思いますが、レズビアンは女性の同性愛、ゲイは男性の同性愛、バイセクシャルは異性愛同性愛を両方持つ事、トランスジェンダーは性自認と肉体性別の不一致を表します。(はるな愛さんはここにあたるようです。)
ここまでで多くの方は「あーはいはい知ってる知ってる」とお思いだと思います。

ですが今回の話、ここまでは入口も入口。

八門遁甲で言えば休門にも届いていません。
自分でもこんなに長くなるとは思いませんでしたので、ここらで1度小休止でも挟んでください。



閑話休題
ここまで読んでお気づきの方もおられるかもしれませんが、LGBとTは大きく性質の異なる言葉です。最初の3つは性指向、つまりどの性別を恋愛対象とするかについての言葉であり、最後のTは性自認、つまり自分の性をどう認識しているかの言葉になります。ここでもう一つ気付きがあります。

これは組み合わせ可能である!

LGBTとはそれぞれで一つづつ、計4種類の性別を表した言葉ではないんですね。これに気付いた時自分は天才かと思いました。ここにヘテロセクシャル(異性愛者)とシスジェンダー(性自認が一致する人)を合わせると一気に性別の数が膨れ上がります。

ここまでで「そんなの常識常識」という方もいるでしょう。勉強不足ですみません。

ここまでの話をまとめると
肉体が男性、性自認男性、性指向女性の人と
肉体が男性、性自認女性、性指向女性の人は違う性別として存在していると思います。
(上がヘテロセクシャルのシス男性、下がレズビアンのトランス女性という理解です。間違ってたらすみません。)

自分は、「ほーなるほどなるほど」なんて呑気に構えてた訳ですが、これらは恋愛や、性指向についての考察です。つまり当然ですが、相手が存在するのです。もう一度

相手が存在するのです!

もはや激震走るですね。つまり、上記に

性指向女性

と軽々しく書いてますが、女性って何!?って話です。ここまで読んでくれた人は分かると思いますが、「ただの男性」「ただの女性」というものは今回の話には存在しないのです。
相手の肉体の性別、相手の性自認すらも自分の性別と密接に関わってくるわけですね。

ここでもう一度まとめようと思うのですが、本来ここに「アセクシャル」や「Xジェンダー」、「クエスチョニング」などまた別の様々な概念が加わってくるようなのですが、分かりやすさの為省略させてください。本当にごめんなさい。


ではまとめです。つまり性別は

自分の肉体の性別(男性or女性)
自分の性自認(男性or女性)
自分の性指向(男性or女性or両方)
相手の肉体の性別(男性or女性)
相手の性自認(男性or女性)
によって決まります。

計算すると2×2×3×2×2=48
実に48種類もの性別が世の中に存在しているわけです。そして上記の通り、その他にも性自認、性指向には様々な概念があります。
また、ここで思い出して欲しいのは、冒頭の僕の自分語りです。
僕は異性愛者でもあり、トランス女性も性指向に含まれます。つまり

相手の性別は複数選択可能

ということです。ここで、理系大学生の僕は計算するのを諦めました。

ここまでの理解ですと僕の性別は
「性自認が女性の方を恋愛対象とするシス男性」
となります。ややこしぃ〜。


ここまで怒涛の勢いで話を進めてきましたが、ふと僕の頭の中の上田晋也が(あ、言ってませんでしたが、この文章は僕がしゃべくり007に出演できた時の為の原稿も兼ねています。)
「いや、じゃあ有田が『実は俺、心は女なんだよね』って言ってきたら、君は付き合えるの?」と聞いてきました。
僕はすかさず「じゃあ上田さんは、有田さんが『俺実は、心も体も女性なんだよね』って言ってきたら付き合えるんですか?」と返すと、流石の上田晋也も「ごめん、俺が悪かったわ」とぐうの音も出ない様子でした。

つまりそういうことなんです!

何がそういうことかと言うと、

恋愛に性別は関係ないんです!


星一徹並みのちゃぶ台返しを披露したところで、皆さんに聞きたいです。

男性諸君、ガッキーと付き合えるなら、ガッキーが男か女かなんて関係なくない?

女性諸君、山Pに「俺実は女なんだよね」と言われても山Pと付き合いたくない?

私たちは「ガッキーが女性だから好き」なのではなく、「ガッキーがガッキーだから好き」なのです。
「山Pが男性だから好き」なのではなく、「山Pが山Pだから好き」なのです。

つまり恋愛において、「相手がその性別であるから好き」という人は存在しないのです。ヘテロ男性として生きてきた人でも、今まで好きだった人が「女性だから好き」だった人はいないのではないかと思います。「好きな人が女性に偏っていた」という表現の方がしっくりくるような気がします。


突然ですが僕は「LGBTを理解しよう!」みたいな人が好きではありませんでした。その原因はここにあったのです。恋愛という土俵においてお互いに理解し合うためには、「人が人を愛するとはどういう事なのか」という大きな枠組みでの理解と、「今目の前の相手がどう感じ、何を思っているのか」という1対1の小さな枠組みでの理解の両方が必要不可欠なのです。「LGBT」という微妙な大きさの枠組みではなかなか理解し合えないという事実が、心の引っ掛かりになっていたのだと思います。

一応追記しておきますが、人権や差別などの問題に関してはまた別の答えがあると思います。


またこれは別の切り口ですが、

発見は疑いから生まれる

という気付きも得ることができました。「俺ってゲイなのかも」という疑いが、ここまでの長文を産んだと思います。もし身近にジェンダー意識の低い人が居てイライラしているとしたら「LGBTの人はこうこう、こういう所が大変で…」みたいな話をするより「あなたはホントに異性が好きなんですか?」と問いかけてみてください。そしたら案外コロッと理解が得られるかもしれません。



ここまで読んでいただきありがとうございました。何回か書きましたがこれは「僕が頭の中で考えた事」です。身近にLGBTの方がいるわけでもありませんし、専門的に勉強したわけでもありませんので、詳しい方や当事者の方は
「それは違うよ!」
とお思いかもしれません。不快にさせてしまっていたら本当に申し訳ありません。
ただ今回の話の結論としては、

性別って...面白!!...

という所にあります。ここで言う性別は、マジョリティ、マイノリティ関係なく全般として、性別を考察する事の興味深さで締めさせてください。


そして、またしても自分語りになってしまうのですが、僕はこういった思考を「娯楽」と位置づけています。何かを考え、考察することは楽しいものです。そういった「娯楽」の一環で、自分の性別について深い理解を得られた事は個人的にもとても興味深い体験でした。
これを読んで頂いた方も楽しんでいただけていたら幸いです。そして、その「娯楽」を通じて少しでも世界に優しくなれるなら、これはこれでまた、これ幸いと思います。

長々とありがとうございました。



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