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いっぺん死んでみる試み①

とある会に参加し、とある試みをすることを決めた。

私は、おそらくだが「普通に働く気」がないタイプの人間だ。今までも色々バイトとかはやってみたし、今も引っ越し屋のアルバイトとして働いているが、そこにほとんど喜びはない。もちろん、小さな面白いポイントや、喜びポイント、楽しいポイントはあったが、根本的には何も面白くない。
「こんなことやりたくない」と思いながら働いているし、連続すると心が死にすぎて「こんなことしなきゃいけないのなら本当に死のうかな」と思うようになる。定期的に思う。

また、「そこにいる人間として然るべきこと」みたいなのを求められると途端に嫌になるし、ものすごくとんでもないエネルギーを奪われる。具体的には
「家に一緒に住んでいるからには、家事は手伝わないといけない」
「友達の家でご飯を出してもらったからには、食器ぐらいは片付けないといけない」
「バイトなのだから、社員のすることに口出ししてはいけない」
「年配の人やお世話になっている人には、お礼をしなけきゃいけない」といったようなものだ。

そんな私が、目下直面している問題がある。

今私は実家暮らしで、母親に生活の基盤を依存している。
その対価として、月に3万円お金を家に入れて、週に一回料理を担当し、洗濯や洗い物はなるべく積極的にやる。というようなことをしている。

私はこの「取引の対価として、お金と労働力、あとは『積極的に報いる姿勢』みたいなものを見せることによって、代わりにここにいさせてもらう」という行いがものすごく辛い。

これは何も、相手に強制されているからではなく、それをやっていない自分を他でもない自分が認めてやれないから、半分自主的にやっている側面がある。

一緒に住んでいる相手に「最低限ここまではやってね」という取引条件みたいなものを突きつけられることも悲しくて辛いし、それに従う自分のこともめっちゃ嫌だ。

だからいつか、「何が起こるかわからないし、自分が正しいとも思えないけど、ただ自分が望んでいるからというだけの理由で、わがままや本心を出す方に舵を取れたらいいなぁ」と内心思っていた。

そんな中、坂爪圭吾さんという方が主催する、ちょっと真剣なお話会、お茶会みたいなものに参加する機会があった。

かなり簡潔にまとめると、「大丈夫かわからないままやっちまえ。いっぺん死んでこい。」的なエールをもらうことができ、「よし、家に帰ったらやるぞ。言うぞ。」と思いながら家に帰ることになった。

帰宅1日目は、なんか普通に旅行の土産話的な話になってしまい、なあなあで言い出せずに終わった。
2日目、夕方母が家に帰ってきて、いよいよ言わなきゃいけなくなった。その会でできた友達に、1月中にやると約束してしまったのだ。

母のいる2階に続くドアを開こうと、ノブを握ったが、怖くて開けられない。震えて涙が出てきた。
何が怖いのかなと思い、改めて整理すると「母に嫌われて見捨てられることも怖いが、それと同時に『自分がこの行いを正しいと思えない、筋が通っていると思えないから、何かマイナスの結果を招いた時に、自分が自分の味方をしてやらない。受け止められない。』ということが怖いのだ。」と思った。

私はその会でできた友人に電話をかけた。
わけを話すと、その友人は「正しさがなくて怖いというのはよくわかる。ただ私は、正しくもなんともないただを鼻水垂らしながらこねている自分を『またやっとるなぁ、生きとるなぁ笑』と微笑ましく可愛く見ている上位の自分の存在がある。」と話してくれた。

それを聞いて私は「確かにその視点、自分の中にもあるな」と思った。
正しい正しくないとかじゃなくて、玉原岳大という人物は、もっというと人間は、「可愛いな」「面白いな〜」「生きてるな〜」「尊いな〜」「愛しいな〜」と、無条件に何があっても思っている存在が自分の中にもいるなーと思った。

友人は「正しいとかじゃなくて、めっちゃただっこやっていいと思う。ぶちかましてこいや。」と言ってくれた。私はお礼を言って電話を切った。

「自分を可愛いと思う上位存在」の目線を獲得した私は、「死ね、死ね、今日死ね、可愛い、お前は可愛い、アホみたいなことやっとるなー笑」と、アイドルのオーディションの舞台袖みたいな独り言を呟いてドアを開けた。

以下母との会話の議事録


結果
「月3万円払わない」
「家事しない」
「手伝わない」
って言った結果、3ヶ月後に出ていくことになった。
話し合いにはなった。

開口一番、「俺は、もう毎月の3万円を払わない。」と言った。

母は少しムッとして、「では、どうするつもりなの?一人で暮らしていくつもりなの?」と言った。
俺は「それでもここにいさせてくれ」と言った。
母は「それは無理。」と言った。

「払いたくないなら払わなくていい。ただし、3ヶ月後には出ていって欲しい。あなたからもらった3万円は、別に私の懐に入れているわけではない。電気代とかすごくかかって云々。」的なことを話しだした。

内容は納得すぎたし、家を出ていくこと自体は別にそんなに嫌じゃないなと思った。
なんなら、いい意味で「死ぬルート」「生ぬるい生の保証から抜けるルート」っぽくて、心が軽くなる面もあるなと思った。
思ったけど、なんかモヤモヤした。
なんかそういう話じゃねえ、的なことを思った。

俺は、結果的に無理でも、話し合いがしたいんじゃないか。現実的に棲家をくれという話ではなく、俺はこんな気持ちでいた、俺はこんな人間なんだ。ということを母に話したかっただけなんじゃないかなと思って、少し話の軸を変えてみることにした。

「俺はお母さんに認めてもらおうといい子ぶっていたが、本当はそんなやつじゃない。金を払うのも嫌だし、家事を手伝うのも嫌だし、それでいて文句は言わずここにいるのを許せよ、と思っているようなやつだ。」

「母親だから許さないといけない、とは一切思わない。ただ、多分生まれた時から俺はこういうやつで、多分成長したら変わるとか、大人になるから変わるとかそういうのじゃなくて、俺はこういうやつなんだ。多分これからも本質は変わらないと思う。それを否定されて生きてきたような感じがしていて、それが悲しかった。」

「俺にとっては、お母さんから欲しかった愛情表現というのは、そういう生まれつきこういうもんとしか言いようのない自分を、『これが俺だ!』と見せて、「うむ、それがお前だよな」と認めてもらうことだった。」

「俺はお母さんが俺を愛していることはなんとなくわかっていたが、そこがモヤモヤしていた。現実的にできたかどうかとかは置いといて、そうして欲しかったと思っていたことを言いたかった」と伝えた。

お母さんは、「それはわかる。いい子ぶっていることもなんとなくわかっていたし、逆に本気で優しい部分があるのもわかっているつもりだ。私は岳大がどんなのでも大好きだし愛している。しかしどんなのでも許すとか受け入れるとかと、愛しているとかとは違うと思う。」というようなことを話した。

結局「まぁ、色々経験したらわかるようになることもあるんじゃないのかなと思うよ」みたいなことを言われた。

俺は
お母さんに理想の俺像を求めて欲しくない、という理想のお母さん像をおれもお母さんに押し付けようとしているのかな。みたいなことを思い始めていた。

また、このままだと何か平行線な気がする。俺は「お母さんに何かを理解させよう」とし始めてしまっている気がするし、お母さんも俺に「この条件ならこうできる。期限はいつまで。」的な落とし所をつけたがっているように思えた。

ここで終わったら、結局今までの延長線上で、理屈は通っているけどモヤモヤみたいなまま終わるんじゃないか。でも、そうじゃない自分の今伝えたいことが今よくわからない。でも今言える印象は言っておきたい。と思って

「この表現が正しいかはわからないし、どういう感覚なのかも上手く言語化はできんけど、今回話してみて、前よりも少しは本当の親子になれたような気もする。しかし、100%気持ちよく何かを言えた感じがするかというと全然そうではない。今後言えるようになるといいなと思う。」みたいなことを言った。

3ヶ月後出ていくにあたって、電気料金のこととか、携帯電話の契約の切り替えとか、そういう必要事項的なことについて話して、話は終わった。

俺は、「これから俺は文句も言うし、喧嘩をすることもあるかもしれない。また、お母さんのことをただ人間の好き好みという意味だけでいうと、嫌いな面もいっぱいあるし、文句言いたいこともクソいっぱいある。ただ、お母さんという存在はこの世でも物凄く大好きなものだ。」と伝えた。

母は、そこについては喜んでいるように見えた。

---ここまで議事録---

感想

俺の今の気持ちとしては、3ヶ月後野に放たれて、どこにいくかわからないようになるのはそんなに嫌じゃないなと思っている。
だけど、何を言えてないのかわからないのになんかモヤモヤするものが残った。

思い返すと、喧嘩ができなかったなって思った。
話し合いとして成立しない、「うるせえ!やだやだやだ!」みたいなこと言えてなかったなと思う。
それを言うのはめちゃくちゃ怖い。怖いと思ったから脳内から排除してたのかもしれない。

あくまで相手を話し合いの相手として扱って、「ここまでが私の気持ちです。あなたはどうですか。」みたいな、配慮をしちゃってたんだなと思った。

今からまた「うるせえ!」つってただこねなきゃいけないの?と思うとめちゃめちゃ怖いし気が重い。

でもやらなきゃなと思う。

少なくとも、今はもうメンタルポイント使い切ってしまったから一回休みたいと思う。

理不尽にキレるの怖い。
自分に非しかない、何の正当性もないことで人に駄々こねてキレるの嫌すぎる。
そんなやつに誰も味方いないんじゃないかなと思う。

上記のやり取りを経て、上位の自分の「アホみたいなことやっとるなーこいつ笑 でも生きとるなー笑 可愛いなー笑」的な目線とのリンクが、今はかなり薄くなった。怖さがクソ勝つ。

でも「話し合いをしちまった。」というモヤモヤはかなり耐え難い。

親に言われた「社会に出て通用しない。」とか「ここまではいいけどここからは無理。」みたいな正論に、頭が納得しすぎて何も言えないことが物凄く悲しい。社会に出て通用しないってなんだよ。

リトライ案件だと思う。

ただ、どうリトライしていいかはまたふわふわしていてわからない。

ひとまず今確かに言えることは、3ヶ月後には家を出なければいけないということだ。

具体的な計画を立てる気持ちが今のところ一切湧いてきていないので、道端で死にかけているかもしれない。4月までに、道で暖かく寝る方法ぐらいは見つけておかないといけないかもしれない。

もしそうなった時、1日ぐらいならうち来なよ。飯ぐらいなら奢るから会おうよ。と言ってくれる方がいたら、ぜひ連絡をください。

また、別に飯とかは奢らないけど今話したいって人がいたら、それはそれでめっちゃ嬉しいので連絡ください。

これから自分はどうやって生きていくのか不安でいっぱいでもあり、楽しみでもあります。

読んでくれてありがとうございました。

玉原岳大

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