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自分のこととかすこしだけ。

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テヅクリを中心とした自分自身のことを書いたよ集。 以前投稿していたものを非公開にしていましたが、再アップしています。 なぜかスキ♡の数が、パソコンでは見た目と実数があっていませ…
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2020年5月の記事一覧

note再スタート

この1週間更新していませんでした。 考えごとをしていました。 noteを始めるときに「長文は書かない」と決めていたのに、気付いたらどんどんどんどん長くなってしまい、書くことに時間を取られ過ぎていました。 読もうと思ってくださる方も、こんな長いのは読みたくないだろうな…と。 何者でもない私の長文は、私の自己満足と単なる記録に過ぎず、これはいけない!(>Д<;)…と。 さて、どうするか、ここから軌道修正するか…と思っていたところ、西野亮廣エンタメ研究所(YouTube)に

思い出のカメラ。

カメラやビデオデッキ、ミシン、レンジ等、それまで一般家庭になかったようなものが普及されていく段階で、 我が家にはわりと早くにそういったものが家にありました。 父が新し物好きだったからです。 その中でもカメラは何度も買い替えていて、前のがいらないなら私にくれればいいのに! とずいぶん文句を言った気もします。 マンガ、文章、手芸…と、色々と創作に興味を持っていく中で、 中学生くらいから少しずつ惹かれて、20歳過ぎにどっぷりはまっていった カメラ。 夫からは、本格的にカメラを

手芸は私の根っこの部分に存在します。

インターネットもTVゲームもまだなかった時代、時間はゆっくり流れていたように感じます。 買わずにツクルことはわりと当たり前のことで、その今とは違う時間の流れの中で、 その後の自分をつくっていく、大切な時間でした。 1980年に入ってすぐに出会った手芸は、今でも私を構成するものの1つ。 今回は、長く長く付き合うことになった手芸の話です。 父と母から勝手に影響を受ける父は休みの日には、よく何か作業をしていました。今も変わらずです。 バイクの整備だったり、家電を直したり、屋根を

マンガも描きたかったけど、文章も書きたかったのです。

文を書くことに夢中になった時はまだ子どもでしたので、まずは作文、そして詩。 どちらも授業がきっかけで、マンガ絵を描き出したのとほぼ同じ頃はまり出した。 そしてマンガのストーリーを考えるうちに、小説も書き始めることになっていきます。 きっかけはまた同じ担任担任の先生の「あなたの描く絵はみんな同じ」発言から始まった絵を描く日々でしたが、 それから少ししてまたその担任から言われたのです。 「あなたの書く作文はみんな同じ」 前回の投稿にも書きましたが、お題が悪くないですか?(

12年間、漫画家になりたいと思っていました。

小2の時、友達から借りた『リボンの騎士』を見て、一発で虜になってしまいました。 言わずと知れた、巨匠手塚治虫の作品です。 なんて美しい絵なんだろう…。ものすごい衝撃でした。 それからずっと、自分もこんな漫画を描きたい!漫画家になる!と思い続けたまま大人になりました。 ※タイトル画像は、高校時代の設定画です。 担任の言葉が私を変えた小2の時担任の先生が、図工の授業中に私の絵を見て、 「あなたの絵はいつも同じ」 と言いました。 確かにいつも同じような絵だったと思います

さて、何をしましょう!

仕事を辞めることが決まった去年の12月。 3月に辞めたらすぐに動けるようにしようとおもっていました。 性格的に計画を立てるということを、まずしたことがないのですが、 大雑把には時期とやることを決めておくことにしました。 心がとても軽やかで、誰もいない真っ直ぐな道を、自転車に乗ってかっ飛ばしながら、 お花を撒いているような、そんな不思議な気分。 コロナが世界中で混乱を引き起こすことになる、直前の頃でした。 10ヶ年計画を立てる○ヶ年計画だなんて、なんだか大きく出ましたが、

じゃあ「クリエイティブなこと」って何?

友達の言葉から、その時の自分の仕事は、クリエイティブを否定されていることに気づきました。 そしてそのことが、私は辛かったのだと分かりました。 もちろんパワハラそのものも、相当しんどかったのですが、パワハラって結局はクリエイティブの否定なのだと… 事務職でクリエイティブ?と思われるかもしれませんが、モノヅクリの場面だけでなく、 どんな仕事にも、また一般的には仕事と認知されないであろう家事や育児にも、 クリエイティブは存在すると思っています。 クリエイトとリクリエイトとクリ

シンプルな言葉が、思考もシンプルにさせてくれました。

友達からの1つの言葉が、今の仕事を辞めたい…から、今の仕事を辞める!…という変化を、私にもたらしました。 似ているようで、希望願望から決断への変化はかなり大きいかったのです。 その言葉の何が私を動かしたのか。 仲間とのありがたいムダ話この1年程、ふざけた話から真剣な話まで、わりと自分を見せ合って過ごせる仲間がいます。 考え方も生き方も、真ん中よりもだいぶ端っこにいそうな面々で、そういう部分を長年ある意味閉じ込めて生きてきた私のことを、 端っこにいても受け止めてくれる(とい