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(5-11)心の因果関係を紐解く【 45歳の自叙伝 2016 】

◆ Information
 【 45歳の自叙伝 】と題しておりますが「 自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅 」が本来のタイトルです。この自叙伝は下記マガジンにまとめています。あわせてお読み頂けましたら幸いです。and profile も…

◆(5-11)心の因果関係を紐解く  登場人物

神内先生 … 日立OBの研究者。薬王石を使った放射能汚染対策を研究していた。以降、様々に教えをいただいた。「(5-10)神内先生との出会い 」をお読み頂けましたら幸いです。


相手の事情を汲め

 このころ不覚にも、神内先生に対して、どこか父親のような雰囲気を感じ取ってしまっているようだった。事実それから神内先生の存在は、私にある種の影響力を及ぼし始めていた。

 多くのやり取りで様々の教示を頂いたが、特に印象的だったのは「どうしたら相手(物事)が動きやすくなるか」だった。これは情報を仕事にしてきた先生ならではの切り口であるように感じたが、考えてみれば当然で、相手の立場になって物事を考える必要性を説いたものだった。

 一方で、神内先生とのやり取りは、今まで会ってきた先輩の幾人かを思い出させた。それは、物事が進まなくなると「やる気があるのか、無いのか、どうなんだ!」という精神論に陥り、業を煮やして「あいつは駄目だ!」などとレッテルを貼る人たちであり、進まない理由をしっかり読み解かないまま、実際は、その先輩自身が物事を停滞させているようなケースであった。

 神内先生は、それを「情報の流れ」と言って、その流れを阻害する要素を取り除き、思い込みを排除し、より客観的に行う重要性を指摘していた。どこで相手(物事)のブレーキが掛かっているかをきちんと見抜いてあげる、この見方にどことなく自然な優しさを私は感じ始めていた。そして、これは仕事や物事はもちろん、人の心にこそ当てはめて見るべきだとも思った。

 心の動きにも因果関係はある。その人(私も同様)の心がどこでブレーキが掛かっているか、相手の立場になって考えるとき、自ずと見えてくるもの、そしてそれを見守る優しさである。

 相手の事情が分からないのは、自分に見る目や想像力が無いのであり、まして「教えてもらえない」などと、相手に非を求めたところで、それは自らの無能さをさらけ出しているに過ぎないのである。早い話が「相手の事情を汲め」と言うことである。これに似たような内容が、司馬遼太郎の『二十一世紀に生きる君たちへ( 1989年「小学国語六年下」大阪書籍 )』の一節に著されている。


◇  ◇  ◇

二十一世紀に生きる君たちへ

 さて、君たち自身のことである。君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。自分にきびしく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。二十一世紀においては、特にそのことが重要である。

( 中略 )

 社会とは、支え合う仕組みということである。原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいが助け合いながら生きているのである。自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。

「 いたわり 」
「 他人の痛みを感じること 」
「 やさしさ 」

 みな似たような言葉である。この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。

 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。この根っこの感情が、自分の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

( 中略 )

 もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもしい君たち” になっていくのである。

 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていく上で、欠かすことができない心がまえというものである。

出典:「 二十一世紀に生きる君たちへ / 司馬遼太郎 」


◇  ◇  ◇

我々を救うもの

 人間関係において、巷では「自分が変わらないと、相手も変わらないよ」などと尤もらしく言われているが、その実際とは何なのか?自分の都合で相手を変えたくて、かりそめにいくら模範的人格を得ようとしても、結局それはエゴに過ぎないのではないか?

 思うに、まずもって「相手の立場に立てるかどうか」が大事と考える。自分の都合を一切排除し、相手のリアクションや態度から最大限の想像力を働かせ、相手がそうせざるを得なかった心の因果関係を冷静に読み解く。そして、もし相手に不快な思いをさせているのなら、自分の至らなさを知る必要がある。相手の態度があまりに不遜なら、そうならざるを得ない相手の境遇を慮り「相手も悩める人間」と、不完全な我々人間の「業」を垣間見て、私も同じと、我がこととして受け止めるべきだと思う。

 さらに仏教の言葉を借りれば、我々は誰しもが「無明」である。完璧な人間など存在しないのに「私は間違っていない」と言い張り、自分の都合を優先すると心の因果関係を見失なってしまう。

 大切なのは責めないことである。これは相手に対してのみならず、自分についても言えるのであって、責めないセルフチェックを行えば、その冷静な洞察により問題解決の糸口を見出せるようになるのである。

 結局、このセルフチェックは自分の至らなさへの気づきである。そしてその冷静な洞察が深まるとき、本当の「謙虚さ」の発掘に繋がるのであり、自分を変えるとは、気づかせてくれた「縁(相手や事象)」に対しての自然発生的な感謝のこみあげ、発露があって一区切りとすべきではないか。

 この一連の自己解決という謙虚さとその気づきへの感謝は、お互いの風通しを良くして共有すべき情報が流れ易くなるのであり、さまざまな物事の成就へと繋がると信じたい。自分を変えることが出来れば、きっと相手も変わっているだろうし、何より自分の見方が良いほうに変わっているに違いない。

 読み返していたら『十八史略の人物学』に関連する文章を見つけた。一個人の人生のみで「自分を知る( 如実知自心 )」ことは難しい。やはりそれは、先哲の知恵(学問)に触れるからこそ成しえるのだろう。

【 十八史略の人物学から抜粋 ⑤ 】

 学問は人間を変える。また、変えるようなものでなくは、学問とはいえない。そしてまた、他人を変えようと思ったら、まず自分を変えることだ。

 「人間の哲学が変わるとき、あらゆるものが変わる」とはアメリカの心理学者マズローの名言だが、たしかにその通りで、まず、心が変われば態度が変わる。態度が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば人生が変わる。

 いうなれば、人間の本質的要素である徳性を涵養するのが学問であり、それが自分自身を救い、世の中を救い、人間を救うのである。

出典:「 十八史略の人物学 / 伊藤 肇 」




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この記事につきまして

 45歳の平成二十八年十月、私はそれまでの半生を一冊の自叙伝にまとめました。タイトルは「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」としました。この「自然に生きて、自然に死ぬ」は 戦前の首相・広田弘毅が、東京裁判の際、教誨帥(きょうかいし)である仏教学者・花山信勝に対し発したとされる言葉です。私は 20代前半、城山三郎の歴史小説の数々に読み耽っておりました。特に 広田弘毅 を主人公にした「落日燃ゆ」に心を打たれ、その始終自己弁護をせず、有罪になることでつとめを果たそうとした広田弘毅の姿に、人間としての本当の強さを見たように思いました。自叙伝のタイトルは、広田弘毅への思慕そのものでありますが、私がこれから鬼籍に入るまでの指針にするつもりで自らに掲げてみました。

 記事のタイトル頭のカッコ内数字「 例(1-1)」は「自然に生きて、自然に死ぬ~ある凡夫の一燈照隅」における整理番号です。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。またお付き合い頂けましたら嬉しく思います。皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。



タイトル画像は michicusaさん より拝借しました。
心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

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