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脆くて不完全な自分と生きる

どうしようもなく髪を切りたい衝動に駆られ、肩にかかるくらいまで伸びていた髪をバッサリと切った。

引越しをしてきてからすでに2年半近くの月日が経つというのに、アパートから歩いて数分のところにある美容院の存在を、私はその日はじめて認識した。

コンクリート造りのビルの2階。物音ひとつしないビルの階段を恐る恐る登っていく。一瞬、目の前に現れたドアの存在にドキッとした私だったが、ふぅーっと息を吐き出したあと、ゆっくりと扉の向こうに足を踏み入れた。

カット台が2台だけの、こじんまりとした美容室。無機質なデザインの店内では、壁から下がったドライフラワーたちが、空間に華やかさをもたらしていた。

突発的な衝動で髪を切りに来たと話す私に向かって、美容師さんは「本当にいいんですか?」と何度も何度も確認をとった。突発的とはいえ、私にとってはミディアムをショートにするだけの小さな決断。何度目かの確認で、「また伸ばせばいいから、思いっきり切ってください」と伝えると、美容師さんはようやく私の髪にハサミを入れた。

ここ数ヶ月、これまで感じられていた「幸せ」という感覚が、私の中からごっそりと消えてしまったかのような日々を過ごしていた。

これまで封じ込めていた感情の数々。湧き上がってくる怒り、嫌悪感、悲しみ。そんな感情たちに呑み込まれ、自分が自分じゃなくなっていくことが、情けなくて、悔しくて、辛かった。

木々が色付き始めたことにも気が付かず、好きだったはずのものにも興味が持てなくなっていって、夜には決まって涙を流すことが多くなっていった。私を取り囲んでいるものは、何一つ変わってはいないはずなのに、その幸せを感じられなくなっている自分がとてつもなく嫌だった。

それでも、完全に立ち止まってしまうことが怖くて、ずっとやりたかったヨガを始めた。健康維持の要素よりも、リラックスすることを目的としたような柔らかな雰囲気のヨガ教室。生徒さんも、30代〜70代くらいの幅広い年代の男女が集まる教室で、自分のペースでヨガを楽しむことができた。

あのとき、無理矢理にでもヨガを始めておいてよかったなと改めて思う。リラックスする時間を確保できるようになったことはもちろんだけど、笑顔が素敵なヨガ教室の先生との出会いは、私にとって大切な出会いとなったから。

こうして歩みが止まりそうになったときほど、自分にとって大切にすべきものが身に沁みて分かる。

大切にすべき人や物、感情、環境、感覚…。

30歳というタイミングで、自分にとっての幸せを、大切にすべきものを、今の自分の素直な気持ちを改めて見つめ直すことが出来たことは、ある意味幸運なことだったのかもしれない。少なくとも、そう思えるだけの前向きな気持ちが、ようやく私のなかに戻りつつある。

少しずつ、少しずつではあるけれど。

生きるということは選択の繰り返し。その選択が大きなものでも、小さなものでも、その決断の重みはきっとその人にしか分からない。

いつだって自分が楽しくいられる方を選びたい。決してそれが険しくて苦しい道だったとしても、後悔しない方を選んでいたい。もちろん、引き際を間違えてはいけないとは思うけれど、みっともなくても自分が納得できるまで足掻いてみるのも悪くないんじゃないかとも思う。

このままでいいのかと迷うことも、周りに反対の道を勧められることもあるけれど、とにかく今は、ここ数ヶ月のことなんて、何事もなかったかのように思える未来の自分を信じてみたい。

あれだけ躊躇していた美容師さんだって、私が笑顔を見せた瞬間「ショートヘアー、想像以上にお似合いですね」なんて、簡単に言えちゃうもんなんだから。

どんな自分も、全部一旦受け入れて、自分が選んだ決断を自分が正解にしていければそれでいい。

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