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【躁鬱】上司に病気を告白する〜準備編〜

こんにちは。りんごりらです。
とうとう明日は上司に躁鬱であることを打ち明けます。頭が痛いです…

具体的には今の自分にはフルタイムで働く体力が無いこと、疲労感で体調が悪くなるので業務負荷の軽減などをお願いします。

本当になさけない…病気したとはいえ新入社員よりも働けないなんて…
さらに無駄に高いプライドのせいで、仕事ができない自分を許せません。

「すでに2日休んでしまったけど、3日目から何食わぬ顔をして働けばいいんだ。わざわざ人に弱みを見せて、業務負荷や持病があることを相談しなくていいんだ」

今まで通り、自分が我慢していれば全て上手くいくんだと。

「でもその理屈では限界があって、もう3回も休職しているじゃないか。環境を変えても、自分の働き方を変えられないからいつまでも苦しんでいるんじゃないか」

と、自問自答の日々。私が周りで見てきたケースだと、業務負荷を軽減してもらった同僚はみんな辞めている。やっぱ体力が持たないで限界を迎えるのか、気まずくて辞めるのかなあと思う。
メンタルで休職した者の末路は知れている。良くて窓際所属で社内ニートである。社内ニートは嫌だな。周りは仕事してるのに、自分だけ仕事がないのは仲間外れと同じだからだ。

私は仕事そのものを大事だと思わないし、お金のためと割り切っている。勤務態度は「サボり上等」と思う不真面目人間。

仕事はどうでもいいが、同じ部署で働くチームメンバーに対しては誠実でありたいと思っている

だから鬱々した顔で出社して周りに気を遣わせたり、仕事を振り辛くするのはちゃんと働いてる人に対して失礼だと思っている。もちろん業務量を減らしてほしいとか、病気だから配慮しろというヤンキープレイも本来好ましくない。

それは周りから見れば平等ではないので、給料ドロボウと思われたり、あいつだけズルいとか、精神疾患があるやばい奴だから避けようとか思われる可能性がある。不安である。
自分の心は分析できても、他人がどう思うかは全く未知数だ。八方美人は自覚してるけど、人から嫌われるのは傷つくから怖い。

それに持病のことを話しても、その辛さなんてわからない。
上司は最近、子供が生まれたらしい。結婚して子供がいて、支え合えるパートナーがいて孤独じゃなく、順風満帆な人生を歩んでいる人に私の苦労なんかわかるもんか!と思う。だから自分だけ弱みを見せるのは癪に触る。

「4年間、どんな治療も効かず再発を繰り返し、一生治らない薬漬けの生活になってみろ」

「国から障害年金が認定されるほど重症化して休職せざるを得ず、失業するかもしれない恐怖に怯えてみろ」

「経済的に困窮し、実家にも帰れず助けてくれる親族もいない中で、1人で自殺したい衝動に耐えてみろ」なんて呪いの言葉を吐き捨てる。

だって甘い、甘いんだよ上司。もちろん人生の先輩であるあなたにも苦労はあったろうけど、文字通り、死ぬほどの苦労をしたのか?

普通の人には決してわからない。果てしなく続く絶望の意味はわからない。

いわゆる躁鬱タイプの鬱は「動ける鬱」であるため、演技して明るく朗らかな表情、声をしていれば普通の人に見える。「なんだ、元気そうじゃん」と言われる。誰も鬱で死にたくなってるとは思わないのだ。

そしてある日、突然自殺するのである。

自殺は魅力的だ。心理的視野狭窄になってる自覚はあっても、抱えている全ての問題が即時に解決する。まるで寝てる時みたいに何も考えず、そして永遠に苦しまない世界にいける気がする。だから自殺は希望である。

それでも自殺は罪である。

問題が解決するように見えて、あの世で何倍にもなって苦しめられるだけである。そして結局、いつかは乗り越えなきゃいけない。それなら早く対処するに限る。自殺や自傷行為は根本的解決にならないのでしない。ただ、やりたくなる気持ちはよくわかる。

明日は勇気がいる。弱みを見せてお願いするのはすごく心苦しい。プライドが許せない。

しかし結果として鬱が悪化したまま自分が働けなくなったら、今度は貧困を理由に自殺する可能性がある。それも避けなければいけない。

生きるためには人に頭を下げて、嫌われるかもしれない恐怖に打ち勝たないとならない。

ああ、本音は逃げ出したい。現状維持のままがよくって、自分だけ人に弱みを言いたくない。言ったからって鬱が軽くなるとは思えないが、それが上司に事情を話さない理由にはならない。引きこもって、また休職中の惨めな思いをしたいのか?それも嫌である。

自分の弱さを認められる勇気がほしい。

上司と会話した結果はまた別の回で。

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